終幕~わたしはもう死に戻らない⑮~
「フェリクス様、私は……あなたに嫉妬しています」
「うん………」
フェリクスはうなずいた。やはり彼は、ウルスラが自分に嫉妬していたことを分かっている。その上で、自身の劣等感の話をしたのだ。
ああ、彼はなんと素敵なのだろう。自分から己のコンプレックスをさらけ出したのだ。そんなことができる人間がどれだけいようか。しかもそれを、好きだと言った人にさらけ出すことに、どれほどの勇気がいるのか。
今この瞬間にも、ウルスラにはフェリクスへの劣等感が増していく。彼を素敵だと思えば思うほどに、自分が惨めになるのだ。
ここまで、復讐心だけで周りを動かしながら、自身はほとんど何もしてこなかった。その己の非力さが、どうしようもなく辛い。
だけど、それでも自分がどうしたいのか。その答えは変わらない。劣等感に苛まれた心が軋もうと、ウルスラの気持ちは変わらず、そして裏切ることができない。
フェリクスの傍にいたい。どうしようもないほどに嫉妬してしまう彼の隣に。
「あなたのおかげで、私の復讐は成りました。あなたの力があったからこそ……でもそれは、私が何もしていなかったのと同じで、あなたがやり遂げたのと変わらない。そう考えてしまうんです」
「………そうか」
フェリクスは否定も肯定もしない。ただ静かに、ウルスラの言うことに耳を傾けてくれる。それが有難い。
「何もできず、何もかも人任せにするような愚かな女は、あなたにふさわしくない…そう思えて、怖いんです。本当に、私はこの人の隣にいていいような人なのかって」
「…………」
「それなのに、私の心はあなたの隣にいたいと望むんです。どうしようもないほど愚かなのに、そんな資格なんかないって自分で分かってるのに、それでもいたいんです。私の話を真剣に受け止め、一緒にいてくれたあなたの隣に」
「……うん、いてほしいな、ぼくの隣に。ウルスラ、君だけがいてほしいんだ。君こそ、こんな王族の恥さらしのようなぼくの隣でいいのかい?」
「もちろんです。それに、あなたは恥さらしなどではありません。立派な、王族としての責務を果たしていますわ。………やり方は、ちょっと黒いですけど」
「ふふっ、その通りだね。でも、そっか……ぼくでいいんだ」
「はい」
二人は互いに顔を見合わせ、照れくさそうに笑った。
片や相手に怯え、片や相手に嫉妬する。それは歪んだ二人の関係なのかもしれない。だが、そんな自分を互いにさらけ出し、受け入れた上で望むのだ。それに異を唱える者がいるだろうか。いや、仮にいたとしても二人には関係ないことだ。誰より、自分が望む相手が受け入れてくれているのだから。第三者の異など全く意味のないこと。
二人の笑いが収まる頃、そこにユーリスが声を掛けた。その顔には、決意を秘めた真剣な表情がある。
「お嬢様、殿下。差し出がましいですが、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます。お嬢様は、自分を愚かな女と申しましたが、そんなことはありません。私はお嬢様に救われました。お嬢様のおかげで、あの男との決別を成し遂げ、しかも今こうして立派な職に就けさせていただきました。これ以上の幸せはありません。重ねて申し上げます。私はお嬢様に救われました。お嬢様は私の人生の救い主です。決して愚かな女などおっしゃらないでください」
「ユーリス……」
なんて素晴らしいことを言ってくれるのだろうか。
こんな愚かな女を救い主…いや、これ以上自身をそのように言っては、ユーリスに失礼だ。ウルスラにとっては、ユーリスはモートンを絶望に堕とすための駒の一つに過ぎなかった。そのはずなのに、自分でも思った以上に、ユーリスを気遣ってしまった。
それはもしかしたら、ユーリスをひどい目に合わせた負い目があったのかもしれない。ユーリスの境遇が、自分と重なったからかもしれない。いずれにせよただの駒ではなくなり、友でも部下でも家族でもない、まるで同じ境遇を生きた戦友のような、そんな信頼感がいつの間にか芽生えていた。
そのユーリスが、自分を讃えてくれているのだ。それを否定などできないし、うれしいと感じている。
感極まったウルスラの瞳から、涙がこぼれる。すかさずハンカチを取り出したユーリスが涙をぬぐうが、その手をウルスラは手に取り、頬にあてがった。
少し冷たいが、綺麗でなめらかな手だ。この手で、モートンを陥れるために最も重要な役割を果たしてくれた。そのことに感謝しかない。
「ありがとう……ユーリス」
感謝の言葉を伝えると、ユーリスは微笑んだ。
ユーリスの言葉を聞いて居ても立っても居られなくなったのか、今日の護衛であるアーサーも声を上げた。
「お嬢様、私からもお伝えしたいことがあります」
「どうぞ」
「われら4つ子は、お嬢様によって買われ、救われました。そして、誰も見分けることが出来なかった我々を見分け、その上で名前までいただきました。これは誰も成し遂げたことのない、お嬢様だけの偉業でございます。それが、どれほど我らにとっての救いとなったかは、我々以外には分かりづらいでしょう。他人と自分の区別が付かないことの苦悩は。お嬢様によって、我らは外に出られたのです。お嬢様には、ぜひとも誇っていただきたい。そしてこれからも、我々はお嬢様に仕え続けます。それが、我らが受けた恩を返す、唯一にして至高の在り方。お嬢様、これからもよろしくお願いいたします」
そこまで言い切って、アーサーは頭を下げた。
始めは、自分に都合のいい、決して裏切らない者が欲しいということで、奴隷から買っただけだった。たまたま目についただけの、アルビノの4つ子。誰にも見分けられなかった4人を見分けただけで、彼ら自ら忠誠を誓った。その後の復讐劇では、見事な諜報活動でウルスラの策をサポートしてくれた。
彼らもまた、ウルスラの復讐劇を成し遂げるために欠かせなかった人たちだ。ウルスラが感じていた負い目など知らぬとばかりに、手足となって動いてくれた。彼らにも感謝しかないのだ。
「ありがとう…アーサー。他の3人にも、伝えなくちゃね」
「そうしてやってくださいませ。涙を流して喜ぶでしょう」
まだ頭を下げたままのアーサー。しかし、彼の顔から雫が流れ落ちていた。他の3人が涙を流して喜ぶとどうして言えるのか、それは彼自身がその通りだからだ。
「ねぇ、ウルスラ。君はこんなにも慕われ、敬われている。そんな君が、一体どこが愚かだというのか、ぼくには分からないなぁ」
それまで静観していたフェリクスが、少しからかうような声色でウルスラへと声を掛けた。そちらに顔を向ければ、声色と同じように面白がるような笑みを浮かべている。
全くその通りだ。ユーリスに、アーサー、オーティス、ラルフ、デニス…彼らの主である自分が愚かと言っては、彼らに申し訳がたたない。
もうこれ以上自分を卑下してはならない。彼らのために、そして自分のために。そして、ウルスラが愚かでないのなら、それはきっと彼女の隣にいる人もそうなのだから。
「では、フェリクス様も素敵な方ですわ。だって、愚かではない私の隣にいる方が、王族の恥さらしだなんてはずがないですもの。ですよね?」
「………ははっ。確かにそうだ。そうだね……」
一杯食わされたとばかりにフェリクスは笑った。
その笑いは、彼にしては珍しい、どこか吹っ切れたような笑いだった。




