終幕~わたしはもう死に戻らない⑬~
「ど、どうして……」
「どうしてぼくがここにいるのかって事かい?ぼくが国外に行ったと思った?残念、真っ赤な嘘さ。だから君らの警戒は弱かった。おかげでこっちの仕事は簡単だったよ。張り合いが無いほどにね」
フェリクスは淡々と告げる。
フェリクスがここにいるということ。それはつまり、この周囲にいたであろう裏ギルドの連中を片づけたという証拠だ。
フェリクスはウルスラと一緒にここに来ていた。ウルスラを送り届けるための馬車の御者に化けて。ウルスラが屋敷の中に入ったのを見届けた後、一緒に馬車に忍び込ませた4つ子と共に潜伏した裏ギルドを瞬く間に制圧。始末した。
4つ子は屋敷の周囲で裏ギルドの連中の死体を片づけている。それが終わり次第、彼らもここに来る予定だ。
それを聞かされたモートンは、やっぱり裏ギルドは使えないと毒づく。
「くそっ!何が安心だ!嘘の情報を掴まされやがって、やっぱり役立たずな連中め!」
「あら、そんなことをおっしゃるなんて、ずいぶんと余裕がおありですね。うふふ、やっぱりそうこなくちゃ楽しくありませんわね」
モートンの苛立つ様子を、ウルスラは楽しそうに見下ろした。何もかもがこの女の手のひらの上だったのかと思うと、ますます怒りがこみあげてくる。
だが、体は痺れて動けない。どうしてこんなことになっているのか。そのことにモートンは、さっきユーリスから渡された水の違和感を思いだした。
(そういえばさっき飲んだ水……苦いような……?いや、嘘だ…そんな…ユーリスが……)
まさかそんなはずはない。モートンはすがるようにユーリスへと目を向けた。
「…ユーリス、まさかさっき君が俺に飲ませたのは…」
「ようやく気付きましたか。痺れ薬入りの水です。逃げられたら面倒ですからね」
「なん……!」
ユーリスだけは自分を裏切らない。そう信じ続けたいモートンは、まだユーリスのことが受け入れられずにいた。彼女の言う通り痺れ薬を飲まされたとしても、それはきっと彼女が脅されて仕方なくやっただけなのだ。
まだ彼女は騙されている。そう、どんなに自分がひどい目に遭おうと、きっと彼女だけは助けてくれるはずだと。
(ユーリスが…彼女だけは絶対に俺を裏切らない!俺を愛しているんだから、きっと理由があってやってるはずなんだ。だから……これが終わったら俺は彼女を許すんだ。この場をなんとか逃げれば…)
まだ自分は死なない。多少痛い目に遭うかもしれないが、殺されることは無いはず。そうモートンは何の根拠もなく確信していた。
モートンを見下ろしていたウルスラは、スッと腰を下ろす。そしてモートンが腰に差していた、ウルスラを殺すために磨き上げた剣を、鞘から抜いた。
「おい!貴様、俺の剣に触るな!」
「あらあら、これはまぁ見事に研いでありますね。この剣で、一体何を切るつもりだったんでしょう?」
ウルスラの手によって抜かれた剣はろうそくの明かりを反射させ、その刀身を美しく輝かせている。この輝きは殺意の表れだ。
剣が重いのか、少しウルスラはふらついた。それをフェリクスが後ろから支える。その親密な光景が、まるで自分とユーリスのようだとモートンは他人事のように見ていた。
(何だ、どういうことなんだ?どうしてこの2人はこんなにも…いや、そもそもどうして殿下がこの女にこんなに協力しているんだ?……まさか)
それに思いついた時、モートンはニヤリと笑った。責めどころが見つからなかったウルスラの弱点を見つけたのだ。喜ばないわけがない。
「おい貴様!俺という婚約者がいながら、殿下と浮気していたな!?よくそれで俺を浮気だなんだと言えたものだな、この恥知らずが!」
モートンの罵声が、静かな廃屋敷の中に響く。
誰も言葉を発しない。それにモートンは勝利を確信した。自分の言い分は正しいのだと。やはりウルスラこそが、真の間違いであり、自分こそが正しい存在なのだ。
だがその沈黙は、決してモートンの言い分を受け入れたからではない。心底呆れて、何も言えないだけだ。
ゆっくりとウルスラが口を開いた。
「はぁ……言っておきますが、殿下と浮気などしておりませんわ。だって殿下は正式な私の婚約者ですもの。当然、あなたとの婚約を解消したうえでね。殿下との婚約を非難されるいわれは、全くありませんわ」
「えっ……婚…約…?」
モートンは信じられないという表情でウルスラを見た。こんな醜い女が殿下と婚約などありえないと、その目が語っている。
その続きを、フェリクスが紡ぐ。
「彼女の言うとおりだよ。さらに言えば、ぼくが彼女を婚約者にと望んだんだ。婚約解消したと聞いてすぐにね。君には感謝しているよ。彼女のような素晴らしい女性に、婚約破棄を決断させるような愚か者が婚約者だったことにね」
「っ……!」
王族であるフェリクスにそう言われ、モートンは反論することができなかった。
いくらモートンと言えど、面と向かって王族に歯向かう勇気など無い。裏ギルドを権力に屈したと罵りながら、結局彼自身も権力に逆らえないのだ。
「さて、そろそろ終わりにしましょうか」
ウルスラはそう言うと、剣を持ち上げてその切っ先をモートンへと向けた。ついにこの時が来たのだ。ウルスラの手によって、モートンの命の火が消える瞬間が。
剣を向けられる意味が分からないほどモートンもバカではない。彼は、この場で唯一自分の味方であるはずのユーリスへと声を掛けた。
「ユーリス!この女を止めてくれ!このままでは…」
「はい、死んでください」
「…………はっ?」
冷酷に告げられたユーリスの一言。それにモートンは硬直した。
「聞こえませんでしたか?死んでくださいと言ったのです」
「ゆ、ユーリス……?」
「もう私の名を呼ばないでください。耳が腐ります」
「………」
自分の耳は、一体何を聞いたのだろうか。モートンは耳を疑った。
ユーリスは明確に、モートンの死を望んでいる。それは、どんな言葉を紡いでも誤魔化しようがない言葉だ。かつて、モートンがウルスラに向けて放ったように。言葉の綾などでは済まない。
「うそ……だ……」
「嘘ではありません。早く死ね、この外道」
続くユーリスの罵倒。その瞬間、彼は堕ちた。怒る気力は無く、生きる気力もない。その目から光が消えたことを、かつて自分も光を失ったことがあるウルスラは、しっかり見た。
彼は今絶望に呑まれている。完璧なる絶望は、嘆く力すら奪い取るのだ。モートンのそれを見ることができたと思うと、ウルスラの中の溜飲も下がっていく。こんな面倒を掛けられたのだ、ただ死んで終わりにしたのでは、納得も行かない。
「さようなら」
剣の切っ先が、まっすぐにモートンの心臓へと突き刺さる。心臓の場所は、フェリクスがウルスラにしっかりと教育済みだ。ろっ骨を避け、最も切っ先が刺さりやすい角度と、剣の自重をうまく使い、非力なウルスラでも心臓まで到達できるように。
「……ごふっ」
モートンの口から血がこぼれる。それっきり、彼は動かなくなった。瞼は閉じられず、瞳孔が開きっぱなしである。
剣を差した箇所から、服へとどんどん赤が広がっていく。
「…………」
ウルスラは、ゆっくりと剣から手を離した。その手は震えていた。
人を刺す感触。人が目の前で、自分の手によって死んだ経験。どちらも初めてであり、それはどんなに憎んだ相手であっても無視できるものではない。
(人を……殺した……)
この手を汚す。そう決め、その通りに実行した。
散々自分を殺そうとしてきた相手を返り討ちにしたのだ。殺さなければ、自分が殺される。いくらでも正当性を持つことはできる。
だが、実際の問題はそんなものではない。人を殺す。ただそれだけが、とてつもなく心に重くのしかかる。晴れやかさは無く、後悔も無い。ただ、人を殺したという事実だけが残っているだけ。
震えるウルスラの手を、フェリクスがそっと握った。顔を上げると、フェリクスはちょっとだけ困ったような笑みでウルスラを見つめている。
「お疲れ様。よく頑張ったね。これで…終わりだ」
「フェリクス様……ありがとうございます」
そう、これで長きにわたるモートンとの因縁が終わったのだ。それもまた事実。
だが、まだ終わってはいない。このままでは、ウルスラはモートンを殺した犯罪者になってしまう。まだ、最後の仕事が残っているのだ。
「さっ、二人は馬車に戻って。あとはぼくたちがやるから」
フェリクスの言葉に、いつの間にか背後にいた4つ子がうなずいた。
4つ子のうち、アーサーがウルスラとユーリスと共に屋敷を出た。二人を馬車に乗せた後、アーサーは御者席に座り、馬車を走らせた。
ウルスラは馬車から顔をだし、廃屋敷のほうを見つめた。徐々に廃屋敷は赤く染まり、空をも染め上げていく。フェリクスたちが屋敷に火をつけたのだ。全ての証拠をうやむやにするため。
ボロボロの廃屋敷は火の回りが早く、あっという間に屋根まで火に包まれていく。そこまで見たところで、ウルスラは馬車に戻った。
(本当に……終わったのね)
なんだか実感が無い。こんなにも自分の手に人を殺した実感があるのに、終わったという実感だけが乏しい。不思議な感覚だ。だけどそれもいずれ、しっかりと分かるようになるだろう。
誰もが眠る深夜。
一人の少女から始まった復讐は、天を焦がす篝火でもってその終わりを告げた。




