終幕~わたしはもう死に戻らない①~
「……ん、収支は問題ないようね」
「はい、販売は好調なようで、次の輸入までに在庫が足りるかどうか心配するくらいですよ」
自室でウルスラは、ハーブティーの販売店の収支を確認していた。
ハーブティーの売れ行きは好調で、紅茶に比べて割高にもかかわらず貴族に人気が高い。特にリラックス効果が高い種類の人気が高く、輸入のほうが追い付かないくらいだ。
経営が軌道に乗ってきたということで、事業はほぼウルスラが管理するようになった。父からの権限移譲もほぼ済んでおり、近いうちにオーナーという立場も譲られるだろう。
今はユーリスと共に収支と販売状況をチェックしている。ユーリスは数字に強く、意外にも資産管理に優れた能力を発揮した。彼女には経理の一部も担当してもらっている。
おかげで侍女業は少し減らしているが、元々ウルスラの元には侍従兼護衛兼諜報部員の4つ子がいる。入浴や着替えなどはユーリスや他の侍女の担当だが、それ以外は相変わらず4つ子の担当だ。
これ以上規模を大きくするのであれば、さらにユーリスの負担が増すだろうが、現状ウルスラにはその気はない。というのも、目下ウルスラには別の悩みがあった。
(……そろそろ、本気で探さないとダメよね)
それは、ウルスラの新たな婚約者探しだ。
モートンとの婚約破棄…いや、解消はこれ以上ないほどにスムーズに行われた。そもそも婚約継続の意思はウルスラにしかなかったわけだから、その当人であるウルスラが拒否すれば、婚約はすぐに解消されるのだ。
ラトロ家も了承し、あっさり婚約は解消された。さらにラトロ家はこれまでのモートンのやらかしに対する慰謝料を提示し、ヴィンディクタ家はこれを受け入れた。もっとも、その慰謝料額はラトロ家の提示したものを大幅に減額させている。
ラトロ家は領地が少なく、その資産に余裕は無い。そこからさらに支払わせるのは、罪悪感が強い。それに、ヴィンディクタ家はもともと裕福な資産家だ。慰謝料ごとき要らないというのが本音で、ラトロ家の罪滅ぼしにあえて乗った形でしかない。
そうして婚約者がいなくなったウルスラだが、彼女はヴィンディクタ家の一人娘だ。現状、彼女は家を継げず、このままではヴィンディクタ家は廃位となる。そのため、彼女には婿を取る義務がある。
とはいえ、現状はまだ今すぐというわけではない。なにせモートンの動向が気になる。そんな状態で、のんきに男探しというわけにもいかない。
今すぐではないが、いずれ…というほど遠くもない。悩ましい問題であった。
ふと、ウルスラの脳裏にフェリクスの顔が浮かぶ。
もうすぐ27歳になるフェリクスだが、未だに彼は未婚だ。婚約者もいない。第三王子という立場であり、表向きは何も問題は無い。裏向きでは大いに問題ありだが、それもわざわざフェリクスに干渉しようとしなければ、関係ない話だ。
年齢差こそあるが、貴族社会には珍しくない。はたから見れば、第三王子と侯爵令嬢は何も問題が無いのだ。
それなのに、ウルスラはフェリクスを婿に…と考えることができない。
それは、ウルスラがフェリクスはどうして結婚しないのかを知らないことにある。フェリクスは何か事情があって結婚しないのではないか、だから結婚はおろか婚約者もいない。そう考えている。
実態は単純で、「結婚したいと思える女性がいなかった」というものなのだが、それを知る由もない。それが、さらにウルスラが踏み込む勇気を持たせない要因の一つにもなっていた。
(私……どうして殿下が結婚しないのか、それすら知らないんだわ)
およそ7年間も一緒にいて、そんなことすら知らない。それすら知らない自分が、フェリクスにふさわしいと思えない。そのことにウルスラは顔をしかめた。
ウルスラはフェリクスのことを好きだと自覚しながら、それから踏み出せずにいる。踏み込めない自分から逃げるように、違う男性を婿にと考えていた。
当然、既に好きな男性がいるのに他の男性を婿にと考えて、まともでいられるはずがない。必然、ウルスラは悩むことが増えた。
それは近くにいるユーリスや4つ子にも分かることだ。最初こそ気にしていたが、結局ウルスラがその心中を明かさないため、今は見守る程度にとどめている。
「はぁ……」
収支報告書を眺めながら、ウルスラは愁いを帯びた顔でため息をついた。ユーリスはそのため息が収支報告書が原因ではないと分かっているので、何も言わない。
ゆっくりと立ち上がったユーリスは、新たなお茶の準備を始めた。最近は試飲にハーブティーばかりなので、久しぶりに紅茶を用意している。お茶菓子は、珍しいチョコレートケーキだ。
「お嬢様、一度休憩にしましょう」
「…ええ、そうね。そうしましょうか」
壁に控えていたオーティスは書類を回収し、空いたテーブルにユーリスが紅茶とチョコレートケーキを並べていく。
久しぶりの紅茶の芳醇な香りに、わずかな渋み。そこに甘いチョコレートケーキのコンボが加わると、ようやくウルスラの顔には笑顔が戻った。
一緒に席に付いているユーリスも、美味しそうにケーキを食べている。どうせなら侍女服ではなくドレスを着せたいところだが、断固として断られていた。
(このまま……平和でいられたらいいのに)
そう願ってしまう。あれほど復讐を望んだ日々が、いともあっさりと無散してしまったのには自分自身呆れるが、事実もうあの黒い絶望の火は消えてしまった。
もはやモートンの死などどうでもいい。自分と関係のないところで、くたばってくれればいいのに。でも彼はきっとそうしない。確実にウルスラを殺しに来る。殺すか、殺されるか。それしか未来は無い。
行儀悪くフォークを口にくわえたまま、ウルスラは窓から外を見た。天気の良い今日は、柔らかな陽射しが木々の緑を優しく照らしている。2階にあるウルスラの自室は、ベランダに出れば美しい庭園を眺めることができる。今は部屋の中央にあるテーブルに付いているので、花々は見えず、塀沿いに整えられた木々しか見えないのだが。
「お嬢様、いけません」
ウルスラのフォークに気付いたユーリスが、フォークを奪い、口から抜き去ってしまった。なんとなく口寂しい感覚を覚え、そのまま置くのかと思ったら、そのフォークでケーキを切り、掬ってウルスラの口元へと運んでくる。
「はい、あーん」
「ゆ、ユーリス?そんなことしなくても…」
まさかの行為にウルスラは慌てた。そんなこと、幼子の頃以来されたことが無い。慌てて当然だし、恥ずかしい。何のつもりなのかとユーリスの顔を見る。ユーリスはいたって真面目な顔で、ウルスラを見ていた。
「あーん」
「……………あーん」
ウルスラは折れた。ユーリスに譲る気が一切無いことを悟って。開けた口に、甘いチョコレートケーキが差し込まれる。口中を満たすチョコレートの甘い香り。それを追いかけるようにスポンジの柔らかな食感と、味覚としての甘さが押し寄せてくる。間のクリームに混ぜられたチョコチップのカリッとした食感が、アクセントにいい。
見事な芸術品だ。高級なチョコレートをふんだんに使っており、侯爵令嬢のウルスラといえど滅多に食べられるものではない。
ユーリスによって差し込まれた一口を咀嚼し終えるころ、次の一口が差し出される。ユーリスは変わらず真顔で、その意図が分からない。分かるのは、自分は今口を開けなければいけないということだけだった。
(ユーリスってば……もう、何のつもりよ)
熱くなった顔を誤魔化すように口を開く。あっという間にチョコレートケーキは無くなり、今度はカップが差し出される。それは強引に奪い取り、自分で飲んだ。
口の中の甘さが紅茶で洗い流され、スッキリとしたところでウルスラはユーリスに問うた。
「…ユーリス、何のつもりよ」
口調に、ちょっと恨みがましさがこもるのは仕方ない。口をへの字に曲げ、ジト目でにらみつけるウルスラを前に、ユーリスは自分の分のチョコレートケーキを食べ始めた。
「お行儀の悪いお嬢様へ、ちょっとしたお仕置きです」
「……むぅ」
そう言われてはぐうの音も出ない。やりたくてやったわけではないのに…と弁明しようとしたところで、無駄だと気付き、口を噤む。
それでも、こうして自分のために何かしてくれるユーリスの存在が嬉しく、そして頼もしい。
(ずっと…こうしていられればいいのに…)
穏やかなひと時。しかし、それを打ち壊すノックの音が、部屋に響いた。
「お嬢様、ラルフです」
「入りなさい」
部屋に入ってきたラルフは、珍しい様相だった。髪は少し乱れ、執事服もどことなく整っていない。常にパリッと整えているのに、どうしたのか…そう思っていると、ラルフから驚きの事実が告げられた。
「申し訳ございません、お嬢様。…モートンを、見失いました」




