第四幕~あなた自身の手で堕ろしてくださいな⑩~
「なっ……!?」
モートンの言葉に一番衝撃を受けたのはユーリスだった。
当然だろう。彼は自分の子どもを殺すという宣言をしたのと同じことなのだから。ユーリスにはもう怒りも湧かない。ただ、愛していた彼が、自分とその子どもよりも違うほうを選んだことへの絶望だけが、ユーリスを包み込んでいく。
もうそれ以上喋ることすらできないほど、彼女は茫然自失となっていた。
一方、モートンの答えを聞いたウルスラは、しばし無表情のままである。
(ああ……所詮この男は、どこまでも自分のことしか考えていない。どんなに『愛している』などと口にしようと、全て自分以下でしかないのね)
なんて愚かで、醜くて、情けなくて、自分勝手なんだろう。
これまで何度も、愚かなモートンをあざ笑ってきた。だが、今のモートンは笑えない。どうしようもない愚かさというのは、笑うことすらできないほどなのかと、ウルスラは現実逃避のように考えている。
これはウルスラにとって、最後通告だった。
もし万が一でも、ウルスラとの婚約よりもユーリスを取ったのであれば、二度と自分への接近を禁止することと、何かしでかせばその女と子どもに未来が無いという脅しを付けた上で解放するつもりだった。
いくらウルスラでも…これから生まれてくる命を無慈悲に奪えるほど、冷酷にはなれない。それは、女であるがゆえの性か。
だが、それすらもモートンは裏切った。
彼は愛すると言った女も、自分の血を引く子どもすらも裏切り、自分の目的を優先させたのだ。彼にとって、ヴィンディクタ家を乗っ取ることはそこまで大事なことだというのか。それがウルスラには全然分からないし、分かりたい気もない。
こんな愚かな男の血を引く存在など消えたほうがいい。そうはっきり切り替えることができるほど、モートンの愚かさは異常で、狂気の化身だ。
(この男に、ほんの少しでも慈悲を掛けようとした…本当に、私がバカだわ)
ウルスラは嗤えない顔に、無理に笑みを作る。モートンは虚ろな笑みのままだ。
ウルスラはアーサーに指示を出す。
「アーサー、娘の縄を外して」
「はっ」
アーサーは手際よく、ユーリスを椅子に縛り付けていた縄を解いた。
そのまま4つ子もウルスラも移動し、ドアの前に陣取る。それは二人を逃がさないためだ。縄を解いたのは、殴りやすくするため。
ユーリスは立ち上がらない。いや、立ち上がれないのだ。これから自分に待ち受ける、最悪の出来事を前に、足がすくんでいる。
「さぁモートン様、やっていただきましょうか」
ウルスラがそう言うと、モートンは立ち上がり、フラフラとユーリスへと近づいていく。「ひっ!」とユーリスから短い悲鳴が上がるが、彼が歩みを止めることはない。
モートンはユーリスの目の前に立った。もう拳が届く距離だ。少し離れたウルスラからでも、ユーリスが震えているのがはっきり見える。歯はカチカチとなり、目からは涙が流れ出していた。
そんなユーリスを前にして、モートンがどんな表情をしているのかは、ウルスラたちからは見えない。
モートンが振りかぶった。こぶしをゆっくりと後ろに下げ、その狙いは間違いなくユーリスのお腹だ。
「ごめん」
ただそれだけ。
そうモートンから聞こえた直後、人の腹を拳が殴りつける鈍い音が響いた。
「ごふっ!!」
腹を殴られたユーリスは、痛みに悶絶し、椅子から転げ落ちた。両手で腹を抑え、激しく呼吸をしている。
「げほっ、ごほっ…うえっ……」
口から何かを吐き出し、殴られた苦しみが見ているものにも分かる。その姿を見下ろしていたモートンが振り返った。その表情は虚ろなままだ。何も感情は読み取れない。
「これで、いいんだろう?」
そう、ウルスラに問いかける。その問いかけに、ウルスラははっきりと嫌悪の色を示した。
「何か勘違いしておりませんか?私は堕ろせと言ったのです。もう『出た』のですか?」
「…………」
ウルスラの言葉に、モートンはユーリスを見下ろした。ユーリスは、未だに床でうずくまっている。モートンは何のためらいもなく、ユーリスのスカートをめくった。
あらわになる脚。その付け根にあるショーツまで晒し、そこをモートンはじっと見つめた。
「な、何を……」
突然めくられたユーリスは慌てるしかない。しかし、腹を殴られた衝撃で抵抗できないままだ。
モートンは出てないことを確認すると、ユーリスの首を掴んで引っ張り上げた。
「ぐっ…!モートごぼっ!」
彼は間髪入れずに、二発目の拳ををユーリスの腹へと叩き込んだ。首を掴んでいた手を放し、倒れ込むユーリス。またスカートをめくり、確認する。
それをウルスラは、無表情で見ていた。モートンの醜悪さを、一部たりとも見逃さないように。この男に一片の慈悲でも与えようとした自分への罰であるかのように、凄惨な光景を見続けてた。
同時に、これがどれだけモートンの心を壊していくかを観察もしている。一発殴るたびに、彼の心はひび割れていくだろう。最初はわずかにためらいがあったはずが、回数を重ねるごとに淡々と、まるで作業のようにこなしていく。
…それから、何度もモートンは殴り続けた。そのうち、めくるのが面倒になったのかスカートを引き裂き、ユーリスは気絶して、反応しなくなっている。
もう何回目か分からないほどに殴った後、モートンはぽつりと言った。
「…………出た」
見れば、ユーリスのショーツは真っ赤に染まっている。ショーツには不自然なふくらみもあった。あれがおそらく、胎児だ。
ゆっくりとモートンが振り向く。彼の顔には何筋もの涙の痕が出来ていた。その光が無い目は、どこを見ているのかも定かではない。
ウルスラにはもう笑みを浮かべる余裕すらなかった。ただただ目の前にいるモートンという男に対する嫌悪しかなく、表情は無表情のまま。
「ええ、約束を果たしてくれたようで何よりですわ。これからも、婚約者として仲良くしましょうね」
ウルスラの言葉を無言で受け取ったモートンは再び振り返った。そして、倒れて気絶したままのユーリスへと近づいていく。
一体何をしようとしているのか。誰もが動かずにいた。
そして、その手がユーリスへと伸びたとき、ウルスラは声を荒げる。
「一体何をしているの!その娘から離れなさい!」
ついさっきまで散々殴りつけた娘。その娘に今度は何をしようというのか。
病院にでも運ぼうというのか、それとも部屋に運ぶつもりか。いずれによせ、ウルスラはもうユーリスにモートンが触れてほしくなかった。
(散々殴っておきながら、それで自分が何かしなくてはならないなどと、傲慢にもほどがあるわ!虫唾が走る!)
わがままか?わがままだろう。理不尽と呼ばれても構わない。そうさせたのはウルスラだと責められるとしても。それでも、ウルスラは触れさせたくない。これ以上、ユーリスがモートンによって汚されたくないと、そう漠然と思った。
「その娘に触れたなら、婚約は解消します」
伸びた手が止まる。そのまま、虚ろなままの顔だけがウルスラへと振り向いた。
「あなたはもうその娘と縁を切ったのです。そもそも、今のあなたにその娘に触れる権利があるとお思いで?どうしても触れたいというのなら、次はもう止めませんわ。ただし、もうヴィンディクタ家の屋敷を訪れることはできませんが」
「…………」
再びモートンの顔がユーリスへと向く。
そのまましばし固まっていると、彼はゆっくりと立ち上がった。そして、そのまま反対を向き、ウルスラのほう…いや、ドアのほうへと向かって歩き始める。
ウルスラも4つ子も道を空ける。モートンはそのまま何も言わずにドアをくぐり、外へと出ていった。
「はぁ………」
ウルスラは息を吐いた。その胸には、モートンを絶望に叩き落した高揚感は無い。思ったよりもはるかに重い嫌悪感。初めは嗤うつもりだったのが、全く嗤えない。
こんなはずじゃなかったのに。思った通りの結果なのに、その結果を受け止めた自分が思った通りではない。その矛盾が、ウルスラの心を重くする。
顔を、倒れたままのユーリスへと向けた。モートンがどんなつもりだったにせよ、彼がなんとかしようとしたのを止めたのだ。彼女をどうにかしなければならない責任は、ウルスラにある。
「…オーティス、彼女を部屋まで届けてちょうだい」
「……処置は?」
「…………無しでいいわ」
「はっ」
「後は片しておいて。……帰りましょう」
全ての後始末が終わったあと、倉庫内を照らしていたろうそくの火が消えた。もうそこには、何の痕跡も残されていない。




