第四幕~あなた自身の手で堕ろしてくださいな⑨~
「なっ………」
まさかそこまでバレているのか。驚愕でモートンは言葉を紡げない。
ウルスラは一切表情を変えないまま、顎に指を添えて場にそぐわない無邪気な笑みのままで、さらに続ける。
「今は4カ月といったころらしいですね?4か月といえばそろそろ人としての形作られる時期。お二人の子どもですから、さぞかし可愛らしいでしょうね」
言葉だけ聞けば、妊娠を祝う友人のようなコメントだ。だが、現実は紛れもなく、浮気相手を拘束した婚約者が発している。それがどれだけ恐ろしいことか、ユーリスはさっきから身体の震えが止まらない。
(くそっ、この女、一体何が言いたい!?)
もはやモートンは何もできなかった。力づくなど論外だ。彼を取り囲む5人の醸し出す雰囲気は尋常ではない。この中の一人ですら、モートンには太刀打ちできないということが本能的に分かる。
逃げることもできない。ユーリスを見捨てるなどできないし、諜報部員の一人はモートンの背後でドアを塞いでいる。
口でも、もう誤魔化しもハッタリも聞きそうにない。今目の前にいるウルスラは、完全にモートンを見下している。それが何よりも不愉快なのだが、それを覆せる希望も見いだせない。
ウルスラの紡ぐ言葉を、モートンは黙って聞くしかできない。
「…はぁ。私、これまではモートン様が真っ当な婚約者になってくれることを信じておりましたが、こんなことをされては、さすがにもう婚約を継続することは出来そうにありませんわ」
「っ!!そ、それは……」
ここでウルスラから、もっとも恐れていた言葉が出てきてしまった。
婚約解消。それをほのめかす発言に、モートンの顔から血の気が引いていく。それだけはまずい。婚約ひいては結婚が出来ないと、ヴィンディクタ家を乗っ取る計画は完全に頓挫する。
それを絶対に成し遂げるために、こんな醜い女との婚約を我慢していたのだ。ウルスラ側も婚約を解消しないというのは都合が良かった。
だが、ここにきてそれが崩れかけている。それも、決定的な証拠があるのだから、解消などでは済まない。婚約破棄だ。モートンの同意など必要ない。モートン有責で、一方的に解消される。
それだけはさせたくないと、モートンはウルスラにすがった。
「済まないウルスラ!その、つい魔が差して……ぼくが本当に愛しているのが君だけなんだ。ただ君がちょっとそっけなくて…だから、彼女にちょっと手を出してしまった。それだけなんだ。信じてほしい、今度こそぼくは生まれ変わるから!彼女とはもう金輪際会わないから!」
モートンは膝をつき、ウルスラのスカートを掴んで懇願する。
「モートン様!そんな……」
ユーリスの悲痛な声が上がる。だがモートンはそれを無視した。
その姿はひどく哀れで、滑稽だ。ウルスラの目には、ゴミのようにしか見えない。正直、そろそろ見たくないと思い始めている顔である。
そんな気持ちが、ウルスラの顔から笑顔を奪う。その顔を見たモートンが「ひぃっ!」と情けない悲鳴を上げるほどの、一切の感情が抜け落ちた表情で。
だが、まだその時じゃない。ウルスラは困ったとばかりに頬に手を当てた。
「……そこまでおっしゃるのでしたら、モートン様にお願いしたいことがあります。それを達成していただけるのでしたら、婚約は継続しましょう」
「ほ、本当かい!?」
「はい、嘘は言いませんわ」
一縷の希望を見出したモートンの顔には笑顔が戻る。
それをユーリスは信じられないといった顔で見ているが、モートンは気付いていない。
許してもらえる…そう確信しているかのような、笑顔だ。だが、ウルスラがそんな甘い『お願い』をするわけないと、未だに彼は学習しない。それがますますウルスラの中でモートンの愚かさを積み上げることになる。
笑顔のモートンに、ウルスラも笑顔で返す。そして、絶望的なお願いを告げた。
「それでは、彼女の中にいる子どもを、貴方の手で堕ろしてくださいな」
「…………はっ?」
「えっ?」
ウルスラの発言に、たっぷり間を空けたモートンは間抜けな声を上げる。ユーリスも、自分に関わる内容だったのに理解が出来ない。
ウルスラは表情を変えずに、笑顔のままで再度恐ろしいことを告げ直した。
「ですから、彼女の中にいる、貴方の子どもを、貴方の手で堕ろしてください。そう申し上げたのです。それが出来たら、婚約を継続しましょう」
「………ふっ、ざけるなぁぁ!!」
激昂したモートンはウルスラにつかみかかろうとした。だが、一瞬で彼の視界は反転。気付いた時には背中を地面に叩きつけられていた。
「ぐはっ!!」
「モートン様!」
「お嬢様に触れるな」
最も近くにいたラルフがモートンを投げ飛ばし、床に叩きつけたのだ。その早業にモートンは自分が何をされたのかに気付いていない。
背中の鈍痛に顔をしかめるモートンを見下ろしたウルスラは、呆れたように言った。
「あらあらモートン様……聞く気が無いということは、婚約破棄でよろしいと受け取りますわ」
「なっ…ま、待ってくれ!」
「待ちません。お返事は、『はい』か『いいえ』のどちらかです」
モートンを見下ろすウルスラの顔は、感情を一切感じさせない無となっている。それが、彼女は本気なのだということを、モートンに叩き込んだ。
(くそっ、くそっ!!どうする、どうすればいい!?婚約を解消しては…だが、堕ろせなんて聞けるわけがない…!)
どちらを取るか。モートンが下す決断を、その場にいる全員が待っている。
「このっ…人でなし!やっぱりあなたはモートン様がおっしゃったとおりだわ!最低よ!あなたみたいなのが貴族をやってるせいで、民が苦しむのよ!その自覚もないなんて最悪だわ!」
ついに我慢できなくなったのか、ユーリスが精いっぱいの罵声をウルスラへと向けた。すぐさま4つ子が動こうとしたが、それをウルスラは制止した。
しかし、ウルスラはそのままで、ユーリスを一切見ようとしなかった。自分の存在が完全に無視されているようで、ユーリスは唇を噛む。
寝転がったままのモートンは床に手を付き、体を起こした。だが、立ち上がることはできない。諜報部員の圧に加え、今ウルスラを見下ろす高さになることは、潜在的な恐怖を彼にもたらした。
床に片膝をついたまま、モートンは顔を上げた。無表情で見下ろすウルスラと目が合う。
その目を見たモートンは、もはや抗いようがないことを悟る。どんな言い訳も、ごまかしも、その瞳の前では無駄だ。選ぶしかない。婚約か、堕ろすか。
引きつらせた口許のまま、虚ろな目で彼は答えを口にした。
「分かった。堕ろすよ」




