第四幕~あなた自身の手で堕ろしてくださいな⑥~
「ずいぶん楽しそうじゃない、ユーリス。どうしたんだい?」
「えっ、そ、そんなことないですよぉ」
「嘘おっしゃい。どうせあのイケメン騎士様のこと考えてたんだろ?」
「うっ」
図星だということが丸わかりになってしまうほど、ユーリスは頬を赤く染めた。
それを見た酒場のおかみはやれやれといった感じで肩をすくめる。それ以上は何も言わず、仕込みの準備に取り掛かった。
ユーリスは開店前の店の清掃をしつつ、美しい金髪の青年のことを思いだしていた。
ユーリスがモートンのことを気にし出したのは数か月前のことだ。初めて見たときは、令嬢時代でも見たことが無いほどに整った容姿の人だと思った。けれど、顔にはいつもマスクを身に着けている。表情は暗く、いつも壁際の席について、背中しか見えない。
(どうしてあの騎士様は、いつも壁を向いているのかしら?)
他人の事情に首を突っ込んでもろくなことにはならない。平民としての生活を続けていく中で、ユーリスが学んだ処世術だ。
来店はいつも一人。ぶらり訪れると、夕食だけを食べて帰っていく。酒場なのに酒も飲まない。
ただ、稀に声を掛けられることがあり、応じることもある。それだって、本当に一言二言だけ。世間話というレベルですらない、挨拶程度だ。名前も教えてもらい、「モートン」というらしい。
そんな彼がつい気になって、目で追うその背中が、どこか寂し気に見えた。
(少しだけ、お話してみようかしら?)
そう思ってしまった。だから、いつもは料理を届けたら食べ終えるまで関わらないのに、その日だけ、わざわざお冷をつぎ足すついでにお話ししようと思い、声を掛けたのだ。
「すみません、お冷つぎ足しましょうか?」
そう言って、彼がどんな表情をしているのかが気になって顔を覗き込んだ。
その時の彼の顔は、ちょっとびっくりしたとか、そんなものではない。まるで驚愕と怖れをない交ぜにしたような、絶望を感じさせる表情だった。
どうしてそんな表情をしているのか分からなかったユーリスだが、マスクが外された口腔を見て気付いたのだ。彼の歯が欠けていることに。
(そうか、それを見られたくなくていつも壁際に…)
彼の秘密を知ってしまった罪悪感に襲われている隙に、彼は脱兎のごとく逃げ出した。食事もそのままに、食事代も払わないまま。
おかみさんの怒号が響く。自分のせいで起こしてしまった事態だとユーリスは、すぐに追いかけるとおかみさんに声を掛け、店を出た。
辺りは暗くなっていたけど、あの煌めく金髪のおかげで探すのは簡単だった。彼に追いつき、謝ると彼は信じられないものを見るかのようでユーリスを見る。
(この人はきっと…この歯のせいでひどいことを言われたのね)
そんなことはない。彼は素敵な人だ。ユーリスは自分の気持ちを伝えようと彼に言葉を紡いだ。それはモートンに届き、彼に抱きしめられてしまった。でも、ユーリスにそれを嫌がる気持ちは起きない。
(モートン様……この人はきっと、私が支えて見せるわ!)
むしろ庇護欲が刺激され、彼を守らなければならないという気持ちが強くなった。
それから二人は急速に仲を深めていく。
その中で、モートンは自分には婚約者がいることを告白した。しかもその婚約者は、モートンの顔だけを気に入り、絶対に婚約を解消してくれないという。歯が欠けたのも、その婚約者が原因だというのだ。
(なんて自分勝手な人…!そんな人に、モートン様は渡さないわ)
ユーリスの心の中に、モートンを縛り付ける婚約者への憎しみが募っていく。さらにその令嬢が侯爵令嬢だということが、ユーリスの過去の出来事と合わせてますます増幅させた。
ユーリスの生家が没落したのは、侯爵家の人間が持ちかけた投資話が詐欺であり、多額の借金を負ってしまったことにある。そのせいで両親は無くなったのだ。ユーリスの高位貴族に対する不信感は強い。
そうしてウルスラへの憎しみがモートンによって育て上げられた時、モートンは恐ろしいことを言いだした。
それは、ユーリスが借りているアパートに仕事終わりのモートンを招き、ユーリスの手作りの料理を食べているときだった。
「実は僕は、婚約者の家を乗っ取ろうと思うんだ」
「えっ!?」
突然の話にユーリスは驚きの声を上げてしまった。
当然だろう。いくら憎んでいるとはいえ、乗っ取るなどというのは聞いたことが無い。しかしそんなユーリスの気持ちが分かっているかのように、モートンは続けた。
「実はその家は、令嬢だけじゃないんだ。その親も悪質で、金に物を言わせて自分たちの都合のいいように他人を操っている。気に入らない奴なんかがいれば、罪をでっちあげて没落させるようなことも平気でする。そんな奴が、王宮で内務大臣だって務めている。この国は腐ってるんだ。だから、私がなんとかしなくちゃいけない」
「そう、なんだ……」
平民となってしまったユーリスには、貴族の社交界についてもう知ることはできない。けれど、愛するモートンがそう言うのだから、きっと真実なのだ。
ユーリスの婚約者はウルスラという。ヴィンディクタ家の令嬢らしいが、ユーリスがまだ子爵令嬢だったときは、当主は人格者であるという噂を聞いていた。しかしそれをモートンは否定する。
「それは表向きだけさ。裏では、えげつないことを平気でしている。奴隷売買も、犯罪もね。この歯が欠けたのも、それを暴こうとして付けられた傷の名残なんだ」
「そんな…!」
ユーリスはここで初めて、モートンの前歯が欠けている真実を教えてもらった。その理由のひどさに、ユーリスの中でモートンの乗っ取り発言は正当さがあるように感じてきている。
ユーリスはモートンの考えを支持し、支えることを決めた。そこにモートンは更なる追い打ちをかける。
「家を乗っ取った暁には、君を妻に迎え入れる。もう一度、君を社交界に呼び戻して見せるから」
「モートン様…!」
もう諦めていた、華々しい社交界。いつか戻れる時が来れば…そう思って、髪の手入れだけは決して怠らずにしていた。モートンにも褒められ、その努力がようやく実を結ぼうとしているのだ。
嬉しくないわけがない。
この時を期に、二人の仲はより一層深まっていく。
そして、ついに二人は一線を越えてしまった。年頃の男女が、同じ部屋にいれば起きてもおかしくないことだ。そのことを誰が責めようか。
しかし、それを見る一つの影がいたことに、当然二人は気付かない。




