第四幕~あなた自身の手で堕ろしてくださいな④~
モートンはその日の務めを終えて、いつもの酒場に向かっていた。
モートンの人生はどん底にあった。1年前、ヴィンディクタ侯爵夫妻暗殺に失敗し、その失敗の逆恨みでマイクに顔を殴られ、そのときに前歯が欠けてしまってからすべてが狂いだしたのだ。
何とか騎士学校を卒業し、騎士となってからも不幸は変わらない。
針のむしろであるラトロ家を出て宿舎暮らしを始めたものの、歯を見られないように過ごし続けることで、騎士の中で明らかに浮いた存在となってしまった。
それはこれまで自分の顔にほれ込んでいた令嬢や夫人も同じで、彼女らに見られないようにと常にマスクを装着。何も飲まず食わずでいたら、徐々に不審がられてしまい、誘いは無くなった。
全てを手にするにふさわしい美しさをもった自分が、何もかも失いつつある。その現状に強い憤りを抱えている。
(くそっ!くそっ!何で俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!全てあの女のせいだ!)
憤りの矛先はいつもウルスラに向けられる。だが、当人を前にすればいつもその矛先は折れ、全く殺傷能力など無い。ウルスラの泰然とした態度、背後に控える従者にモートンの矛は何の役に立たなかった。
それがさらにモートンの苛立ちを加速させる。いつしかウルスラの誘いも無視するようになり、ヴィンディクタ家の屋敷に踏み入ることも無くなってしまった。
ヴィンディクタ家を乗っ取るどころではない。モートンは、自身の在り様まで見失いつつある。
次第に誰とも交流することが無くなったモートンは、夜には煩わしい宿舎から受け出て、酒場に向かうようになっていく。モートンにはお気に入りの酒場があった。そこには壁側を向いた席があり、そこでならモートンはマスクを外して思う存分料理を味わうことができた。
宿舎の食堂では、常に誰かに見られないようにと、マスクの隙間から料理を差し込んで食べている。そんな食べ方では、どんな料理も美味いわけがない。
この酒場を見つけ、その席を見つけたとき、モートンはようやく一息付けたような気がした。そこでモートンは、一人の女性と出会うことになる。
名はユーリス。長い黒髪がとても美しい女性だった。ウルスラと違い、まっすぐな髪はモートンが今まで出会ったどの女性よりもなめらかで素晴らしい。
モートンはその髪を何よりも『美しい』と認識した。彼は一目で、ユーリスを自分のものにすると決めたのだ。美しい自分にこそ、美しい彼女がふさわしいと。
しかしそんなユーリスの前でも、モートンはマスクを取らなかった。声を掛け、少しずつ言葉を交わすようになっても、美しくない前歯を晒すことはできなかったのだ。
だが、ついにその時が来てしまう。
モートンの食事中、ユーリスは水を注ごうとモートンの顔を覗き込んでしまった。その時に気付いたのだ、モートンの前歯が欠けていることを。
モートンはとっさに逃げ出した。料理を残し、金も払わずに酒場を飛び出していく。ユーリスを自分のものにすると決めた彼にとって、ユーリスに嫌われることだけは何よりも避けたいことだ。
(しまった…見られた!こんな醜い顔では、嫌われてしまう……くそぉ!)
だが、そこで彼にとって思いがけない事態に発展する。なんとモートンの後をユーリスが追いかけてきたのだ。
「はぁ、はぁ…モートン様!」
「!? ユー…リス?」
どうして彼女は追いかけてきたのか、モートンには分からない。
(どうして?こんな醜い顔を見れば、むしろ彼女が逃げだすはずだ。なのに、ユーリスのほうが追いかけて来るなんて…)
人気の少なくなった路地で逃げる足を止めると、息も絶え絶えにユーリスが追い付いた。息を整える間もなく、彼女が発した第一声は謝罪だった。
「ごめんなさい!」
「えっ?」
「その、モートン様が気にしてらっしゃるところに不躾に踏み込んでしまって……気を遣えず申し訳ありませんでした!」
ガバッと頭を下げたユーリス。その頭を、モートンは信じられない面持ちで見ていた。
「君は…この顔が醜いと思わないのか?」
そう声を掛けると、ユーリスは顔を上げ、不思議そうに首を傾げた。
「えっ、どこがですか?」
「どこって……それは……」
「どこにも醜いなんてところはありませんよ!」
「ユーリス……」
「モートン様のお顔はとても美しいです!誰ですか、醜いなんて言った人は!」
そのとき、モートンの心に久しぶりに温かいものが湧き上がってきた。
そうだ。自分は美しい。歯が欠けた程度で醜いなどと、そんなことがあるわけがない。いや、そのくらいの弱点があるほうが、人間らしいと言える。
今までだってそうだ。美しすぎる自分の容姿には、誰も彼もが寄り付き、この美貌の恩恵にあずかろうとする。だが、今はほんの少し美しさに陰りが出てきた。そのせいで、嫉妬や妬みといった感情を抱えた醜い者たちが足を引っ張ろうとしているだけ。
(そうだ、俺は美しい。何も気にする必要などないのだ。ああ…俺は一体何を馬鹿みたいに気にしてこそこそしていたんだ……。そう、俺の顔を馬鹿にしていたあの愚か者の女のことなど、どうでもいい)
モートンの頭には、醜いウルスラに歯が欠けたことを小ばかにされた記憶が思い浮かぶ。それにモートンは歯ぎしりをしながら耐えていたが、もう気にしなくていいのだ。
なお、そんな事実はどこにも無い。モートンが勝手に、ウルスラが自分のことを虐げているのだと記憶を捏造しただけだ。
あの醜い女ならきっとそういうこともする。モートンの中のウルスラ像はもはや修正不可能なまでに歪み、そこにどれだけ原型が残っているかは定かではない。
モートンはユーリスの手を取った。もうそこには欠けた前歯に怯えるモートンの姿はない。欠けた前歯を気にせず、笑顔を浮かべている。美しいユーリスの言葉によって、彼の自信は回復した。
「ありがとう、ユーリス。君のおかげで目が覚めたよ。君はぼくの女神だ」
「い、いいえ!モートン様の役に立ったのならそれで……それに、私は女神だなんて」
モートンの賞賛の言葉を恥ずかし気に受け入れてくれるユーリスを、モートンはますます美しいと感じた。
思い余って、彼女を抱き締める。ユーリスは一瞬体を震わせるが、それ以上動くことはなく、抱きしめられるままになっていた。
これだ。この謙虚さが美しいと呼べるものだ。あの愚かで醜い女は、あろうことか傲慢でもある。もはや存在自体許しがたい。
恥ずかしさから顔を俯かせたユーリスを見下ろしながら、モートンは口角を上げた。
(この娘こそ、美しいぼくにふさわしい女性だ。絶対に彼女と結婚してみせる。そのために…絶対愚かな女を排除してやるからな!)
自分に固執し、絶対に婚約を解消しようとしない醜い女ウルスラ。あの女は自分にふさわしくない。
絶望に落ちかけていたモートンは、そこに希望の光を見た。腕の中にある美しい人のぬくもりに、彼は固く誓う。ユーリスを自分の元で必ず幸せにするんだと。




