序幕~必ず殺してくる男③~
それから身支度を整え、食堂へと向かう。そこには亡くなったはずの父と母の元気な姿があり、ウルスラを笑顔で迎えてくれた。その姿に嬉しさがこみ上げ、思わずウルスラは母の胸へと飛び込み、また泣き出してしまった。
その様子に両親は驚くも、一緒についてきた侍女に「どうやら悪夢を見てしまったようです」と言われ、優しく抱きしめてくれた。
優しく、温かく、柔らかくて、安心する匂いがする母に、ウルスラは涙を止めて思う存分堪能した。
母に解放されると、今度は父が手を広げて待っている。ウルスラはもちろん父にも飛び込み、母と違ってちょっと硬くて痛いけど、でも確かな力強さで抱きしめてくれる父の安心感に浸った。
本当に自分は9歳に戻ってきたんだということを強く実感した。父がいて、母がいて、後ろには執事長もいる。懐かしい光景に、ウルスラはまた涙ぐみそうになっていた。
その後、ようやく親子での朝食が始まる。朝食での話題はもちろん、悪夢を見たウルスラについてだった。
「やれやれ。悪夢を見て怖がるとは、これではまだまだだな」
そう父は言いながらも、顔はデレデレだ。全くもってそんなことは思っておらず、むしろまだまだそうであってほしいという願望が透けて見えている。
それに対し、母もまた娘をかわいいと思いつつも、現実的な視点を忘れない。
「全くですわ。ウルスラ、それではお婿さんを迎えることができませんよ?」
婿。
その言葉にウルスラの頭にはモートンの姿がよぎり、恐怖で身体が固まってしまった。
それに父は気付かず、妻に向かって苦笑いを浮かべている。
「おいおい、まだウルスラは9歳だ。結婚の話は早すぎる」
「そんなことありませんわ。まだ9歳ではありません。もう10歳になるんです。その頃にはお茶会の誘いも増えますし、出会いもあります。そこでちゃんとした殿方を見つけないといけませんわよ」
「う、うむ……」
母の勢いに気圧される父をよそに、ウルスラの表情はこわばっていく。
ウルスラがモートンに出会ったのは、10歳になってから参加した茶会だ。その茶会でたまたま令息たちにいじめられ、それをモートンが助けてくれたのをきっかけに婚約したのだ。
そのときにモートンに一目ぼれしたけど、今ではモートンが恐ろしくてたまらない。絶対に結婚したくないし、まして婚約もいやだ。目にすることだって嫌だ。
(なんとかモートン様と出会わないようにしないと……。モートン様が出席する茶会は避けるようにしましょう)
死ぬ前、モートンがどうして自分をあれほどに憎んでいるのかは結局分からない。少なくとも、ウルスラにはその心当たりがなかった。分からないからこそ、わずかな可能性でも消していくしかないと思った。
その後、ウルスラは淑女教育を受けながら、母と一緒に茶会に参加した。もちろん出席者を確認し、モートンはもちろん、モートンの実家であるラトロ家が出席するときも避ける。
だが、ある茶会でついにウルスラはモートンと出会ってしまった。
(どう……して……)
目の前に少年時代の姿をしたモートンを見て、ウルスラは体中の血の気が引いたのを感じる。確かに出席者の名簿にはモートンの名前は無かった。なのにどうしてここにいるのか。
そよ風になびく柔らかな金髪は陽の光に煌めき、紅い瞳はしっかりとウルスラを見据えている。その顔は笑みこそ浮かべているが、ウルスラの目には獲物を見つけた獰猛な肉食獣にしか見えなかった。
「初めまして、モートン・ラトロです」
「う、ウルスラ・ヴィンディクタ……です」
「噂はかねがね聞いていました。とても可愛らしい令嬢がいると。ただ、不幸にも今日まで行き違いがあったようですね。やっと今日お会いすることができて、至福の極みですよ」
(この人……私を、探して……!?)
モートンの言葉は、今日が偶然の出会いではないということを物語っていた。明らかにウルスラを狙い、今日この場に現れたのだ。
ウルスラはその後の記憶がない。気付いた時には自宅の部屋に逃げ帰り、ベッドにくるまってガタガタ震えていた。
尋常ではない娘の様子に両親は心配したが、ウルスラは説明しようがない。モートンが将来両親と執事長を殺し、自分も殺すだなんてどうやって信じられようか。
その後、死ぬ前と同様にラトロ家からモートンとウルスラの婚約の申し出が届いた。
もちろん、ウルスラは受け入れられるわけがない。
「お父様…わ、私、他の方がいいです」
「…まぁいきなりだからな。断ることはできる。だがいいのか?なかなかにモートンは見どころがあると思うぞ。あの年にしては礼儀正しく、将来有望だ」
「そうよ。今はまだ少年だけど、将来は素晴らしい美丈夫になるわ。そのときに後悔しても遅いわよ?」
「それ、でも……いいです……」
両親はモートンを買っていた。それは当然だ。ウルスラだって、死にかけて彼が自ら暴露しない限り、彼の本性に気付かなかったのだから。
両親にしてみれば、モートンは婿として申し分ないように見えている。それなのに、当のウルスラが拒否し、それどころか怯えているようにすら見えることが不思議でならなかった。
両親はしばしウルスラを見つめたが、彼女が首を縦に振る気はないと分かって肩をすくめる。
「……分かった。ラトロ家には断りを入れよう」
「あ、ありがとうございます!」
父がそう決断してくれたことに、ウルスラは安堵した。
(よかった…。これで、あとは違う男性と婚約すればもうモートン様に殺されてしまう未来は回避できるのよね)
しかし、ウルスラは1年後に再び恐怖に襲われた。
「ウルスラ、彼を覚えているか?その……ラトロ家のモートンだ」
「モートンです。お久しぶりですね、お嬢様」
「あ……あ………」
11歳を少し過ぎたとき、父に庭へと呼び出されたウルスラ。
何事かと不思議に思いながら向かうと、そこにいたのは父と、その横に立つモートンだった。
(なん…で、彼がここに?もう会わなくて済んだと思ったのに…)
困惑するウルスラをよそに、父は申し訳なさそうな顔をしながら経緯を説明した。
「ほら、以前に彼からの婚約を断っただろう?その後も実は彼から何度も婚約の申し出が来ていてな…。そうしたら今度は、婚約が無理ならせめて衛兵でもいいと言われたんだ。そこまでしてでもウルスラを守りたいと言われては、断り切れなかったんだ」
嘘。嘘。嘘。嘘。嘘だ。
にこやかに笑みを浮かべて父の隣に立つモートンの笑顔が、恐ろしくて見たくない。でも、目を離した瞬間に食い殺されそうな、そんな恐怖で目が離せない。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
顔をこわばらせ、かすかにふるえる娘を見て、父は婚約を断ったことを申し訳なく思っている…その程度にとらえたようだ。本当はそんな小さなことではないというのに。
「ウルスラ。彼は婚約を断られたことは気にしていないと言っている。だから、ウルスラもそんなことを気にせずに、彼と接してくれ」
イヤだと言いたかった。関わらせないでくれと、父に泣いて懇願したかった。
でも、この男の前でそんなことをすれば、それこそ何をしてくるか分からない恐怖が、ウルスラを支配する。
「は、はい……」
「よろしくお願いします、お嬢様」
ウルスラのか細い返事に、モートンはしっかり応じた。それはまるで、死刑執行の同意書にサインを押したような心境で、ウルスラは生きた心地がしない。
それからは、ウルスラは同じ敷地内にモートンがいる恐怖で眠れない夜を過ごした。
だが、人間は慣れるもので、だんだんモートンがいることへの恐怖になれ、次第に鈍化していく。
数年も経つと、普通に会話を交わすようになり、出掛ける時の護衛にモートンがいても気にしないようなっていた。
だが、それは唐突に終わりを告げる。
ウルスラの婚約者が決まり、結婚も16歳になったら執り行われることが決まった。
今日は未婚の状態での最後のお出掛け。『たまたま』他の護衛の都合がつかず、モートンだけがウルスラの護衛として付いてきた。そのことに、ウルスラはもう恐怖を抱いていない。
市街地で馬車から下りると、お気に入りのカフェに向かう。
その道中、モートンは「お嬢様」と呼んだ。
「なぁに、モートン」
「ご結婚、おめでとうございます」
「ふふっ、ありがとう、モートン。あなたこそ、そろそろ結婚してもいいんじゃないかしら?」
「私は生涯、お嬢様だけをお守りします」
「もう、またそんなこと言って」
そう二人は軽口をたたき合う。モートンはもう自分を殺そうなんて考えてない。そう考えることすら、ウルスラの中からは消えていた。
だからこそ、その時が来たことに気付かない。
「いいえ。私はずっと、お嬢様が生きている限りお守りします。ですから、『お嬢様が死ねば』私は解放されるのです」
「えっ?それはどういう…」
意味深なモートンの言葉に振り向こうとしたとき、ウルスラの胸のあたりから何かが生えた。
「えっ?………がはっ!」
一拍遅れてその何かが刃だと気付いた時、ウルスラの口からは血が溢れた。
自分が刃物で貫かれている。
それが分かったのは、その刃物がモートンの手にあることに気付くのと同じだった。
周囲から悲鳴が上がる。
ウルスラの胸はどんどん流れる血で赤く染まっていった。徐々に意識が遠のく中、なんとか見ることができたモートンの顔は、『あの時』と同じ。
死に戻りする前、病床になったウルスラを前に嬉々としてネタバラシをしていたあの時と同じ、愉悦に満ちた顔だ。
その顔に、ウルスラの心はどうしてとか、なぜとかよりも、ただひたすらに絶望に染め上げられていく。
(やっぱり……モートン……は、私を……殺す気で……)
彼はずっと機会をうかがっていた。ウルスラを殺すために、数年もこの時を待ち続けていたのだ。
モートンはウルスラを貫いたナイフをそのままに、ウルスラを前に押した。もはや踏ん張る力もないウルスラは、そのまま地面に倒れ伏す。
徐々に周囲のざわめきが大きくなるのに、ウルスラの耳に届く喧騒は遠くなっていく。その中で、モートンの声だけは耳に届いた。
「私と結婚しないからいけないんです、お嬢様。あなたの全ては私のものなのに、私のものにならなかったあなたへの罰なんですよ」
なんと恐ろしいことを言うのだろうか。
しかしそれ以上に、たった数年で彼への警戒を解いてしまった己の迂闊さを呪った。決して彼と二人っきりになってはいけなかったのだ。そうすれば、こんなことにはならなかったはず。
でも、同時にウルスラは安堵した。これでもう、モートンと関わらなくて済むと。死ねば、もう彼がどうすることもできないのだから。
絶望の中、わずかな希望の光を見出し、ウルスラはゆっくりと目を閉じ、死んだ。




