第一幕~手駒を作りましょう③~
奴隷市場を出て、裏路地からどんどん表へと抜けていった。
その途中、またもどこからかマントを取り出したフェリクスはそれを4つ子に渡し、被るように言う。さすがにあからさまに奴隷のような風貌の彼らを連れて、表通りは歩きたくないようだ。
表通りに戻ると、そこからしばし歩いた所にある建物に6人は入っていった。
建物は表からはシンプルな木造2階建てに見えた。
中に入るとテーブルやカウンターがあり、2階に上がる階段もある。階段の先にはそれぞれドアがあり、個室があるようだ。人はポツポツおり、食事をしている人もいた。
6人が入っても誰も注目しない。…はずなのに、一瞬だけ見られたような違和感をウルスラは感じていた。
「フェリクス殿下、ここは…?」
「ただの宿屋。…に見せかけた、ぼくの諜報部の活動拠点さ。ここにいる人間は全員諜報部のものだよ」
「まぁ、そうなのですね」
まさかこんなにも堂々と諜報部の活動拠点があることに驚きだ。いや、勝手に諜報部だからコッソリしているものだと思い込んだのは、前世の記憶の影響かもしれない。
「コイル、後ろの4人が例の新入りだ。連れて行って、磨いてやってくれないか?」
「かしこまりました」
フェリクスはカウンターにいた男に声を掛けた。コイルと呼ばれた男は指示を受けると、4つ子をどこかに連れて行ってしまう。
「殿下、彼らはどこに?」
「ああ、お風呂に連れて行ったんだよ。いつまでもあのままでいてもらっては嫌だろう?」
「それは……はい」
部下にするといった手前言えずにいたが、4つ子からはあの市場と同じ臭いがしていた。正直、お風呂に入れさせてもらえるのはありがたい。
「さっ、ぼくらはこっちの部屋で待とうか」
フェリクスに促され、奥の個室へと入っていく。そこは大き目の部屋で、中央に大きな円形のテーブルがあった。椅子の数から10人は座れる設計のようだ。壁には申し訳ない程度に絵が飾ってある程度で、殺風景といっていい。
フェリクスは椅子の一つを引き、手招きをした。王族にわざわざ椅子を引いてもらうなど畏れ多いのだけれど、ここは素直に甘えることに。
ウルスラが座ると、その隣にフェリクスは座った。
「あの、聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「いいよ、何でも答えてあげよう」
諜報部のトップに「何でも」と言われると、本当に何でも答えそうで怖い。それは置いておいて、ウルスラは奴隷市場を案内されたときから気になっていたことを聞くことにした。
「奴隷市場を、王族は容認しているのですか?」
奴隷について、アデュナティオ国は法で禁止はしているはずだ。しかし、当然のように奴隷市場は存在している。しかも、王族であるフェリクスが何食わぬ顔で行き来し、そこで奴隷を買っている。これはどういうことなのかが気になるのは、当然のことだろう。
「容認はしていない。黙認しているのさ」
「黙認……」
「本気で取り締まれば、あの奴隷市場は無くなるだろうね。でも、それじゃあより深く潜られて見つけづらくなる。黙認しているのは、本当にあそこにいてはまずい人間を見つけ出すためさ。誘拐されたとかね。ただ、借金代わりとか、親がいなくなったからとかの理由だと放置することもある。それならむしろ新しい主人に買ってもらったほうがいい暮らしができることもあるし。国としても、全員を助けることはできないからね」
「なるほど……」
フェリクスの説明にウルスラは納得したようにうなずいた。
ダメだからと規制した結果、余計に悪化したというのは前世の記憶からでもよくあることだ。合理性と現実性を追求した結果なのだろう。理想論だけで世の中が良くなるほど、甘くはない。
そのうち、テーブルには料理が並び始めた。サンドイッチにスープ、サラダにスクランブルエッグ、フルーツと普通のランチだ。サンドイッチはレタスやトマト、ベーコンや焼き肉が挟まれており、食欲をそそる香りをしている。スープは具沢山で、ジャガイモやニンジン、キャベツなどといった具材がゴロゴロ。こちらには厚切りのベーコンが入っており、かなり食べ応えがありそうだ。
スクランブルエッグもたっぷりのバターが使われているようで、豊潤なバターの香りが鼻をくすぐる。
フェリクスとウルスラの前には一般的な量が並んだが、それ以外の―おそらく4つ子が座る―席には、その倍の量が並んでいる。
空腹だろう彼らに配慮してくれたことに、ウルスラは感謝を示した。だが、それにフェリクスは黒い笑顔を浮かべる。
「明日からは何を食べても吐くしかできないほどきつくなるからね、今日のうちだけさ」
「………そうですか」
彼らはウルスラの諜報部となるために買われたのだ。そのためには、きっと厳しい訓練が待ち受けているのだろう。
ちょっと遠い目になった。
(ごめんなさい、アーサー、オーティス、ラルフ、デニス……死なない程度に頑張ってね)
未来の諜報部員を案じていると、4つ子が部屋に入ってきた。
薄汚れていた肌は見事に白さを取り戻し、服も白のシャツに黒のスラックスを履いている。栄養不足の眼窩の不気味さはそのままだが、顔の造詣はそれなりに整っていた。きちんと身なりを整えれば、かなり様になっている。何より、もう変な臭いがしない。
「きれいになったんなら、今度は腹ごしらえだ。さっ、座りたまえ」
フェリクスの合図で食事が始まった。
4つ子はやっぱりお腹が空いていたようで、用意された料理は瞬く間に消えていく。フェリクスが追加を用意させると、それも完食。それでやっと4つ子は落ち着いたようだ。
一息ついたころ、ようやくフェリクスは本題を切り出した。
「さて、君たちは彼女の奴隷となったわけだけど、本当は奴隷じゃない。君たちには彼女専属の諜報部になってもらう」
「…ちょうほうぶ?」
呟いたのは一人だけど、首を傾げたのは4つ子全員。本当に寸分狂いなくシンクロしていることと、そこから説明しなければならないのかということにウルスラは驚いた。
(これは……本当に殿下に全部任せてしまっていいのかしら?基礎的な教育はこちらでするべきでは…)
ウルスラの不安をよそに、フェリクスは淡々と説明していく。
「諜報部とは、簡単に言えば彼女の代わりに情報を集め、時には彼女のために汚い仕事をし、ときには彼女を守ることが仕事だ。こう言えば分かるかい?」
「「「「……はい」」」」
「もちろん、そのためには今の君たちは力不足だ。だからぼくの元で2…いや、3年訓練してもらう。それが済めば、晴れて君らはウルスラ嬢の諜報部だ」
「よろしくね。オーティス、アーサー、デニス、ラルフ」
フェリクスの説明の後、ウルスラは一人ずつ顔を見ながら声を掛けた。
それに4つ子の顔は驚きに見開かれ、フェネクスもある疑問が浮かんだ。
「……ウルスラ嬢、まさかだけど、君は彼らの見分けがつくのかい?」
「? はい、もちろんですが」
ウルスラの言葉に、フェネクスは一度4つ子の顔を見渡し、ウルスラへと向き直る。
諜報部トップとして優れた観察眼を持つフェネクスですら、4つ子の見分けは出来ていなかった。少なくとも外見上の区別は一切つかない。目つき、鼻の大きさ、唇の形、顔の輪郭、体型…どれをとっても違いなど一切ないのだ。
それを、何の特殊な技能も無さそうなウルスラが見分けている。それが驚きで仕方なかった。
「…ちょっと、テストさせてもらっていいかな?席を立って、あっちを向いてもらえるかい?」
「はい」
ウルスラは席を立つと、壁側に体を向けた。
その間に、フェネクスは4つ子に席を移動してもらうように告げた。ウルスラの耳には椅子が床を引きずる音と足音が聞こえ、すぐに収まる。
「いいよ、ウルスラ嬢。こっちを見てもらって」
「はい」
振り返ったウルスラは4つ子を見る。何も知らない者からすれば、4つ子は一切移動していないようにしか見えないだろう。目の前で見ていたフェネクスですら、直接見ていなければそうとしか見えない。
「左から順に呼んでもらえるかい?」
「アーサー、ラルフ、オーティス、デニス、です」
その瞬間、4つ子は立ち上がった。いきなりの起立にウルスラは驚くも、4つ子はそのままウルスラへと近づき、その場で跪いた。その顔には涙が浮かんでいる。
「「「「…ウルスラ様!」」」」
「な、何かしら?」
突然の4つ子の行動にウルスラも困惑するしかない。一体どうしたのかと不思議に思っていると、4つ子は順々に喋りだした。
「俺たちは今、ものすごく感動しています!」
「今まで出会った誰も彼もが、俺たちを見分けられずに一人の人間として認識できず、ただの4つ子とばかり扱ってきました!」
「でも、俺たちだって一人一人違います!」
「ウルスラ様は、そんな俺たちに名前を付け、それぞれを一人の人間として名前を呼んでくれた!」
「ウルスラ様は、俺たちの光です!」
「俺たちは、ウルスラ様に忠誠を誓います!」
「訓練が終わったら、是非俺たちを存分に使ってください!」
「「「「ウルスラ様!」」」」
目を閉じれば一人が喋っているようにしか聞こえず、示し合わせたわけでもないのにそれぞれが何の違和感もなく言葉を紡ぎ合わせている。
そんなことができる時点でこの4つ子はだいぶおかしいのだが、ウルスラは別のことに驚いていた。
(どうしてか名前を付けて呼んだだけで忠誠を誓われたんですけど!?)
忠誠を誓ってもらえるのは願ったりかなったりだ。彼らにはいずれモートンへの復讐劇を手伝ってもらうのだから、信頼ある関係を結べたのはうれしい。
ただ、そのきっかけがどうにも腑に落ちないだけだ。
(ふふっ、なるほど、これはなかなか…彼らの闇も深かったようだね)
その様子をフェリクスは面白そうに眺めていた。
4つ子ということで見わけがつかず、個別の扱いをしてもらえなかった彼ら。それにウルスラは終止符を打った。そのことは彼らにとってどれほどの救いを与えたと言えるか。
期せずしてウルスラは、4つ子に莫大な恩を売ることに成功してしまった。