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【短編小説】ぶつかり魔

作者: 青いひつじ


「チッ、誰だよ」


電車の扉が開くと、堰を切ったようにホームは人で溢れかえった。

これは毎朝の光景なので、男は電車に乗る際は、なるべく扉前を陣取るようにしている。

そうして開扉とともに一目散に階段へと向かう。少しでも出遅れると階段を上がるための列に並ぶことになるからだ。乗り継ぎの都合上、ここでの足止めは何としても避けたいというのが男の考えだった。


この日は運よく先頭集団に紛れ込むことができた。階段を登りながら定期を取り出そうとカバンの中を覗いた、その時であった。勢いよく降りてきた誰かの肩が男の肩にぶつかり、大きくバランスを崩し、男は後ろに倒れそうになった。


「こらぁ!あぶねーだろ!」


すぐさま振り返ったが、階段に溢れる群衆の中から犯人を見つけることはできなかった。


「チッ、イライラするな」


乗り継ぎの電車に乗り込むと、男は携帯を取り出し文字を打ちはじめた。先ほどのことが余程頭にきたのか、貧乏ゆすりをしたり、頭を掻いたり終始落ち着かない様子である。

しかしそんな鬱憤も、あることをすればすっかりと解消されるのだ。


「よし、今日も書き込んでやったぞ。なにがグローバル賞だ。過大評価にも程があるんだよ。ちょっと人気があるからって調子にのるなよ、盗作のくせに」




オフィスに入ると、男を見つけたひとりの同僚が小走りで近づいてきた。


「おはよう。どうしたんだよ、物騒な顔して。朝からクレームでも入ったか」


『‥‥お前ニュース見てないのか』


「ニュース?見てないが。そんなことより今日は朝から最悪だった」


「お前が熱心に書き込みしていたアーティストがいるだろ。そのメンバーのひとりが、今朝遺体で見つかったらしいぞ』


同僚の耳打ちに、男はパソコンを開こうとしていた手をピタリと止めた。


『自宅で見つかったらしい。詳細は公開されてないが、多分自殺だろ。毎日書き込まれる中傷に悩まされてたって、ニュースで言ってたぞ。‥‥だから俺はそんなことやめろって言ったんだ』


「俺の書き込みが原因とは限らないだろ。似たようなコメントをしてる奴は俺以外も大勢いたんだ。そんな顔しなくても大丈夫だよ、米粒程度の俺の中傷なんて見ちゃいねーよ」



自分の言葉が相手を深く傷つけ、自殺に追いやったのかもしれない。そんなことが起きて平常心でいられるだろうか。心身に後悔と罪悪感と恐怖がこびりつき、それらが交互に襲ってきて、気が散り仕事に集中できなくなるのも無理はない。


ところが男は違った。仕事を難なくこなし、食事が喉を通らないなんてこともない。そのうえ驚くことに、帰る頃には自殺事件のことはすっぽり頭から抜け落ちていたのだ。

さらには電車に乗るとポケットから携帯を取り出し、また熱心に文字を打ち始めた。

男は暇さえあればネットの世界を歩き渡り、ボヤ騒ぎしているところに風を起こして燃え上がるを楽しんだ。最初は見かければ書き込む程度だったのが、いつしか趣味のようになり、気づけば毎日の習慣になっていたのだ。

書き込む相手はランダムで、特に決まった標的がいるわけではない。例のアーティストは、盗作疑惑やメンバーの不仲説で最近なにかと話題になっていたので、面白半分で火に油を注いだのだった。



改札をぬけ、乗り継ぎの電車に向かうため、男は階段を降りていく。次は何を書き込んでやろうと画面に夢中になっていたその時であった。

男の肩に、駆け足で降りてきた誰かの肩がぶつかった。

体は強く前に押され、階段を踏み外し、転げ落ちる一歩手前で男は手すりにしがみついた。

ギリギリのところで大事には至らなかったが、朝の件もあり、怒りはすぐに頂点に達した。

男は息を荒げて立ち上がり、階段から身を乗り出した。


「おい!今ぶつかった奴!どこだ!!」


放たれた怒号はホームの奥まで響き渡った。

男はさらに身を乗り出し犯人を探したが、階段下では溢れんばかりの人々が男を嫌な目つきで見上げるばかりで、またしても捕えることはできなかった。



この現象は連日に渡り男を悩ませた。

肩をぶつけられる度に男は大声を上げ、とっ捕まえてやろうと犯人を探すのだが、それらしい人物は見つからない。そもそも、大勢の中からどこの誰かも分からない、正体不明の犯人を見つけだすことは不可能に近いのであった。



「はぁ〜‥‥」


『なんだ朝から。例のぶつかり魔か』


「ここんとこ毎日だ。‥‥あいつ、大勢の中で見つからないからっていい気になりやがって」


『あいつ?正体は分かってないんだろ』


「あぁ。しかし見当はついてる。すれ違いざまにぶつかった時、肩が俺より高い位置にあった。それにあのゴツゴツした質感と力強さ。犯人は180センチ前後の男だと推測している」


『背の高い人間がそんなことするか?目立つだろ。人間じゃないナニかに取り憑かれてるんじゃないか。幽霊とか』


「バカいえ。とにかく、今日こそはあいつをとっ捕まえてやる」



この日男は、いつもより遅く会社を出て駅へと向かった。19時台の駅の中はどこもかしこも人で溢れ、犯人を捕まえるのには最適でないと考えたのだ。



21時の駅は、人がまばらで落ち着いていた。男は駅内のベンチに腰かけ乗るはずの電車を見送ると、少ししてから階段へと向かった。次発は20分後で階段を行き交う人はいない。

男は前と後ろを交互に警戒しながら、白く照らされた階段を慎重に降りていった。階段の半分まで降りても、誰かが現れる様子はなかった。

この状況ではさすがに現れないかと諦めて前を向いた瞬間、ホームから吹いてきた強い風に男は目を瞑った。

その時である。また、誰かが男の肩を押したのだ。


「うわっ」


かなり強い力だったが、すばやく手すりを掴んで踏ん張った。顔を上げた時には階段に人影はなかったが、男は諦めなかった。

逃がすものかと駆け降り、ホームの端の端まで

探していく。ところが、ホームのどこにも人影ひとつなかったのだ。



奇妙な現象は駅だけにとどまらず、男の通うスーパー、帰り道、会社の中にまで現れた。しかしどれだけ探しても、人気のない場所であっても、犯人の姿は見つからないのだ。毎日蓄積されていくストレスに、男の心は限界を迎えようとしていた。



「‥‥はぁ」


『おい、お前顔色悪いぞ。今日はもう帰ったらどうだ』


「あぁ。そうだな‥‥。悪いがこの資料だけ作ったら早退させてもらうよ」




パソコンを閉じカバンを持つと、男はオフィスを後にした。


トン。


俯きながら廊下を歩く男の左肩に、ナニかがぶつかった。


「おい!」


顔を上げても、そこには誰もいない。

一歩踏み出すと、今度は右肩を後ろから強く押された。


ドン。


「‥‥もういい加減にしてくれよ。‥‥俺が何したって言うんだよ‥‥」


一歩進むごとに、衝撃は強くなっていった。それは廊下の端まで続き、外まで着いてきた。歩道を歩き、改札を抜け、階段を降りる時までも。


ドン。ドン。


「‥‥やめろ、やめろよ。なんなんだよ」


すっかり折れた心をぶら下げたまま、男はどうにか駅のホームまでたどり着いた。タイミングよく、ホームに向かってくる電車が見えた。

男が黄色い線の外側に立った時。


ドンッッ。


男は大きく前に踏み出し、アナウンスが繰り返され、電車のクラクションがホームに鳴り響いた。





そこで男はパッと目を覚ました。

一面の白い天井を眺め、少しの瞬きをするだけで、状況が把握できないようだった。


『っ!おい!目が覚めたか!?俺が誰だか分かるか!?!』


「‥‥お前は、‥‥山田‥‥」


『そうだよ!!先生とお前のかあちゃん呼んでくるから待ってろ!あと、ついさっき警察の人が来たんだ!』


同僚は大慌てで病室を飛び出した。

しばらくすると、1人の医者と男の母親、2人の警察が病室を訪れた。


『気分はどうですか。痛いところはありませんか』


「‥‥えぇ、まぁ。状況がよく理解できないのですが‥‥」


『目覚めたのは奇跡といっても大袈裟ではない。あなたは2週間も昏睡状態だったのですから』


「‥‥2週間‥‥?よく覚えていないのですが‥‥』


『駅の階段を踏み外して転がり落ちた際に、頭を強く打ったのです。幸いにも傷は深くありませんでしたが、打った場所があと数センチずれていたらと思うと‥‥』


「はぁ、‥‥そうだったんですね。じゃあ‥‥あれは夢だったんだ‥‥」


『夢?』


「あ、いえ。ところで、それでどうして警察の方が?」


『あぁ失礼。それが、監視カメラを調査しましたところ気になる影が映ってまして、ご家族の方に見てもらおうと病院を訪ねたのです』


「‥‥影?」


『えぇ。あなたしかいないはずの階段に一瞬、人影が現れて、あなたの背中を押しているように見えるんですよ。誰か、覚えはありませんか?』




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