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プチ悪役令嬢の嘆き (Die Klage eines kleinen Bösewichts)

 軍艦乗りには読者家が多い。これにはもちろん理由がある。宇宙が広すぎるのだ。

 現代の重力推進の宇宙船でも、宇宙旅行には時間がかかる。惑星─衛星間の旅行には数日、惑星間の旅行には数週間から数ヵ月の時間がかかる。

 それに対し宇宙空間の戦闘は普通は数時間、長くても一日で決着がつく。つまり軍艦乗りは時間のほとんどを移動に費やす。

 一度出港したら途中で降りることができない狭い軍艦の中で、単調なルーチンワークを繰り返す日々。それが軍艦乗りの日常だ。暇つぶしは軍艦乗りの精神の健康を保つのに重要な要素だ。

 暇つぶしの手段は人によって千差万別だが、やはりポピュラーなのはネット利用だ。だがここでも宇宙の広さが問題になる。電波通信でも超光速通信でも、通信距離と通信速度は反比例する。惑星上ならどんなに長くても通信距離は数万キロ以下に収まるが、惑星間旅行では数億キロの距離を移動しなければならない。だから宇宙船のネット回線の通信速度は惑星上と比べるとかなり遅い。情報量が多い動画や音楽は惑星の近傍を航行しているときしか利用できない。惑星から離れると利用できるコンテツは情報量が少ないテキストベースに限定される。そのため軍艦乗りのネット利用者には小説投稿サイトの利用者が多い。実は私もその一人だ。

 もっともこれは平時の話だ。戦時では個人でのネット利用は禁止される。通信を敵に傍受や逆探知されると情報漏洩に繋がりかねないからだ。戦時では軍用通信でさえ、必要最低限に制限される。

 そんなわけで、〈ロスバッハ〉が一年ぶりに本国に帰還し、個人によるネット利用が解禁されたとき、私は乗組員たちに半舷上陸の休暇を与えたあと、ネットで本国の最新のベストラーを電子書籍で買いまくった(火災予防のため紙の本は原則として艦内に持ち込めない)。

 本当は私も上陸して本国で休暇を楽しみたかったが、艦長が艦隊司令長官に拉致されてどこかに連れ去られてしまったので、副長の私が責任者として艦に残らなければならなかった。

 乗組員の半分を地上に送り出したあと、私は売れている順に買った本を読もうとした。最初に手にしたのは『ロルバッハ物語』という恋愛小説だった。本を買ったときは機械的にポチったので、本のタイトルは見なかった。なので本を手にしたとき、私は初めてこのタイトルに違和感を覚えた。『ロルバッハ』という単語は聞いたことがない。おそらく作家による造語だろう。だが〈ロスバッハ〉の艦名に似ているのは偶然だろうか。

 結論から言えば偶然ではなかった。『ロルバッハ物語』はマルガリア殿下とフォン・ハウゼン艦長をモデルにした恋愛小説だった。固有名詞やストーリーの細部は変更しているが、明らかに実話をネタにした小説だ。艦内の生活シーンや戦闘シーンにはリアリティがなかったが、恋愛小説を専門にしている作家にリアルな戦記物が書けるはずもないし、読者もそんなところに期待などしていないのだろう。

 久しぶりに愛用の小説投稿サイトにアクセスしたら、『ロルバッハ物語』の二次創作が大量に投稿されていた。本国でダントツのベストセラーになっているというのは本当らしい。

 それだけならどうということもないのだが、『ロルバッハ物語』には艦長に横恋慕して二人の恋路を邪魔する人物が登場する。それがヴィーネ・ヘルマンという女性副長なのだ。明らかに私をモデルにしているのだ。もちろん実物の私はそんなことはしていない。

 ヴィーネ・ヘルマンは二次創作の中では『プチ悪役令嬢』と呼ばれている。ヒロインが敵国から『悪役令嬢』と呼ばれているので、区別をつけるために『プチ』という接頭語をつけたのだろうが、自分まで小物扱いされているみたいで、不愉快なこと極まりない。

 私は艦内に残っていた読書仲間のテッサ・ホーマン船務長とグレオール・ドラケン砲術長を捕まえて、食堂で盛大に愚痴……意見交換をした。

「風評被害よ!」

 食堂でビールジョッキを片手に熱弁を振るう私を、テッサとグレオールは(なだ)めようとした。

「イニシャルは同じだけど名前は違うから、名誉毀損で訴えるのは無理だろう」

 男性のグレオールは理詰めで私を説得しようとする。

「気持ちはわかるけど、ヴィーが発言しても燃料を投下することになるから、炎上するだけだよ」

 女性のテッサは損得勘定で私を説得しようとする。

 実は二人の言ったことは私もわかっている。ただ愚痴を聞いてもらって、慰めて欲しかっただけだ。なまじ頭の良い艦橋要員(ブリッジ・クルー)を相手に選んだのは私の失敗だ。

「あの作家の作品、瞬発力はあるけど持久力はないんだよね。ロングセラーは一本もないから、ブームが去るのを大人しく待ったほうが良いよ」

 テッサはよく恋愛小説を読んでいるので、作家についても詳しい。

「でも今回は長引くかもよ」

 ちょっと空気が読めないところがあるグレオールは、私物の携帯端末で動画投稿サイトの画面を私たちに見せた。艦長と殿下が腕を組んで皇宮に入場するシーン、続いて謁見の間で艦長が拝謁の栄誉に浴するシーンが映し出された。

「帝国海軍の公式チャンネルが投稿した動画だ。投稿から一時間足らずで再生回数が一億回を越えている。艦長は今や救国の英雄だ」

 艦長が英雄であることには、私も異存はない。だがブームが続くのは困る。

「なんでそんなものを艦内に持ち込んでるの?」

 話が脱線しているが、テッサの疑問も理解できる。艦内のネット回線は低速か使えないかのどちらかだ。携帯端末を持ち込んでも利用価値は低い。持ち込める私物の量には制限があるから、普通は別の物を選ぶ。

「ダウンロードしたゲームを遊びたいから」

「オンラインでは遊べないじゃない」

「オフラインでも遊べる買い切りのソフトもあるんだよ」

「それならゲーム専用機の方が良いんじゃない?」

「もちろんそっちも持っている」

 なるほど、グレオール(こいつ)は読書家であると同時にゲーマーでもあるのか。

「長官に拉致られてどこに行ったかと思えば、艦長は皇宮で謁見か」

「宮中晩餐会にも出席する予定になっている」

「こっちとは大違いですね」

「確かに宮中晩餐会にはかないませんけど、〈ロスバッハ〉の食事は地上と比べても遜色ないですよ」

 いつの間にかポーニャが加わっている。

「〈ロスバッハ〉には有機物リサイクルシステムがあるから、プログラム次第でどんな料理でもできるわよ。でも宮中晩餐会のメニューが連日続いたら栄養が偏りそうだし、美味しすぎる料理って飽きそうよね」

 私がそう言ったら、ポーニャは得心がいった顔をした。

「あ、だから厨房がなくて自動化できているんですか」

 リサイクルシステムはかなり大きいから、コルベット艦並みの大きさしかない〈ブリュンヒルデ〉には搭載していなかっただろう。それに皇族に出す食事なら、シェフが作るのが当然だろうな。

「やっぱり巡洋艦は居住性がいいですよね。フリゲート艦だと食事は冷凍食品か保存食ですし」

 テッサの言葉にグレオールがうなずく。この二人は巡洋艦で勤務するのは〈ロスバッハ〉が初めてだった。

「フリゲート艦って、ベッドを他の人と共有(シェア)するんですよね?」

 どこで情報を仕入れたのか、ポーニャが訊いてきた。

「そうですけど、よく知っていますね」とテッサ。

「同じ船室の人に聞きました」

「〈ブリュンヒルデ〉はフリゲート艦より小さかったけど、ベッドは共有しなかったの?」とグレオール。

「しませんよ!」

「〈ブリュンヒルデ〉は軍用船じゃないから、ダメコン要員が乗っていなかったのよ」

 私がそう言うと、テッサとグレオールは納得した。

「でもポーニャはなぜ下船しなかったの? 皇宮に戻ればよかったのに」

 私がそう訊くと、ポーニャから意外な答えが返ってきた。

「私はマルガリア殿下の専属ですから」

 嫌な予感がした私は、ポーニャに確認した。

「……まさか殿下はこの艦に戻って来るの?」

「はい。明日、〈ロスバッハ〉でサザーランドへ行く予定……ですよね?」

「「聞いてないわよ!」」「聞いてないぞ!」

 私たち三人は悲鳴を上げた。私たちの本国での上陸休暇はなくなったのだ。

 私はジョッキの中身を飲み干して、空になったジョッキにサーバーからビールを注ぎ込む。自分でもピッチが速すぎると思うが、自分を含めて誰も止めない。

「サザーランドは合(恒星を挟んだ反対側)に近い位置にあるから、往復したら三ヵ月近い時間がかかる。上陸できると思って予約を入れたのに……」

 ジョッキを煽りながら愚痴る私に、テッサが訊いた。

「何の予約ですか?」

「……相談所」

「あの、聞こえなかったんですけど」

「結婚相談所! 悪い? 私だって結婚願望ぐらいあるわよ」

「悪いなんて言ってませんよ。同じ女性として理解できます」

「平民も縁組には苦労するんですね」

「女性の初婚の平均年齢は二十九歳ですから、普通ですよ」

 グレオールが端末で調べている。慰めているつもりなのか。

「昨日、三十になりました」

「えっ、言ってくれればお祝いしたのに」

「イヤよ。まだ二十代のテッサにはわからないだろうけど、女の三十は呪いよ。成婚率がガクッと下がるんだから」

 警官と軍人は婚期を逃すと特に難しい。

「でも平均より一個上なだけですよ」

 グレオールがやたらと平均値にこだわる。

「それ、統計の誤謬だから。女性の初婚年齢の最頻値は二十四歳。一部の高学歴・高収入のバリキャリの極端な晩婚化が平均値を押し上げているだけで、本当の普通は二十四歳なの」

 今は四十代でも安全・確実に出産ができるけど、子供が成人する頃は六十代なんてイヤよ。

「副長もバリキャリじゃないですか。帝国海軍最年少の中佐ですよ」

 こいつは本当に気が利かないな。私が晩婚になると言いたいのか?

「私より一個下の艦長が大佐じゃない」

「艦長なら准将に昇進しましたよ」

 グレオールがニュースサイトの画面を私たちに見せた。

「海軍初の二十代の将官ですよ。三十代の将官もいなかったのに。やっぱり殿下との結婚への布石ですかね」

 まあ、私もそう思うんだけど、このタイミングで他人の結婚の噂をする?

「艦橋にいたときの殿下、艦長を見るときは目から好き好き光線を出していましたね」

 うん、私も気がついていた。

「相手が一方的に悪かったとはいえ、政略結婚の失敗で殿下の名誉は傷つきました。でも艦長との結婚が実現すれば、むしろプラスになります。政略結婚としては理想的です」

 貴族の立場からの解説をありがとう。でも今の私が欲しいのは解説じゃないの。

「『ロルバッハ物語』が実現しちゃうんですね」

 テッサの無神経な言葉を聞いたとき、私は無意識にジョッキをテーブルに叩きつけていた。派手な音とビールの飛沫が周囲に飛び散った。

 三人は気まずそうに黙ったが、ブチ切れた私は空気を読まない。

「留守が多い軍艦乗りだっていうだけで敬遠されるのに三十路と風評被害……婚活三重苦の私にどうしろっていうのよ!」

「相談所に行かなくても、婚活ならオンラインでもできますよ」

 グレオールが婚活サイトの画面を見せる。

「ロマンス詐欺が横行しているこのご時世に、そんなもの信用できるわけないじゃない。だいたい出港してレンベルクを離れたらテキストベースでしか遣り取りできないネットに、何を期待しろっていうのよ」

「……SNSでの会話とか?」

「そんなのAIを使った詐欺の常套手段じゃない」

「いっそのこと、艦内で調達しては? 職場も出会いの場の一つらしいですし」

 ポーニャがさも名案かのように言う。

「でもヴィーと釣り合いそうな男性乗組員というと、艦長ぐらいしかいないんですよね」

「いや、職場結婚はアリかもしれない。海軍専用SNSにも婚活サイトがあったはず」

 グレオールが勝手に話を進める。

「職場結婚は最後の手段よ。同僚と結婚したら、私の人生は最後まで海軍に縛られそうじゃない」

「自由を尊ぶのは、平民らしいですね」

 ポーニャは羨んでいるのだろうか、それとも貶しているのだろうか?

「自由っていうのは、破れ鍋は自分に合う綴じ蓋を自分で探さなきゃいけないってことなの。自分で探すにせよ、他人(ひと)に世話してもらうにせよ、本当に合うかどうかは実際にやってみるまでわからない。なまじ選択権が自分にあるから悩ましいのよ。選択肢が減れば焦って当然よ」

「選択肢が減れば焦るのは政略結婚も同じですよ。なんなら親戚の独身男性を紹介しましょうか」

「私、平民なんですけど」

「貴族の子供の全員が貴族のままでいられるわけではありません。貴族にとって家を存続させることは重要ですから、子供は複数もうけるのが普通です。家督を継げない子供は必ずいます」

「そういえば艦長も弟がいるって言ってたわね」

「じゃあ艦長に弟さんを紹介してもらったら?」

 テッサがとんでもないことを言い出した。建国の十二家の当主で救国の英雄で、将来の皇女の配偶者と親戚になるなんて言ったら、両親はショック死しかねないわよ。

「確かテオドール・フォン・ハウゼン伯爵令息は、まだ十五歳だったと思います」

「……無理。家柄だけでも無理なのに、年齢でダブルスコアは絶対無理!」

 殿下と艦長は十歳差だけど、私だったら十歳差でも無理だと思う。

「あ、間違えました」

 ひょっとして十五歳じゃなくて二十五歳だとか?

「艦長が今日家督を継ぎましたから、伯爵令息ではなく伯弟ですね」

 なんだ、そっちか。

「真面目な話ですが、親戚の独身男性の紹介ならできますよ。救国の英雄の片腕だった女性ですから、それなりに需要はあると思います」

 右腕じゃなくて片腕というところが、ちょっと引っかかる。

「……今は酔っているから、返事は保留にさせてもらっていいかしら」

「ええ、もちろん」


 翌日、ポーニャの言葉どおり殿下は艦長と一緒に〈ロスバッハ〉に戻ってきた。護衛の近衛の部隊やマスコミを引き連れて。リムジンから降りた二人は群衆に幸せそうな笑顔を振りまきながら、〈ロスバッハ〉に乗艦した。

 艦長の代わりに指揮をとらなければならない私は、艦橋のコンソールでその様子を見ていた。誰にも聞こえない小声だけど、自分でも思いがけない言葉が口から漏れた。

「爆ぜろ、リア充」

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