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9、忌々しい声

 昨日の午後授業をサボってしまい、教室に行くことすらもはや億劫だったラトルだが、周囲の反応はいつもと大して変わらなかった。逆に言えば、その程度のことでは今以上に酷くならないほど、ラトルの評判は既に地の底だとも言える。

 物は言いようだが、何も言われないなら自分が必要以上に気にすることはない。


 慣れる、とは言わないまでも、飽き始めた周囲の声を適当に聞き流し、昨日と同じ場所で昼食を終え、一睡もしないまま終礼を迎えたラトルは安堵した。

 やっぱり昨日は特別疲れていただけで、別に寝坊助というわけではないのだと。


 もしそうだったらただでさえ恥に塗れた人生にまた一つ汚点が追加されるところだった。とはいえ、今更瑕疵が一つ増えたところで、大して変わらないのも間違いないが。

 樽一杯の泥に一滴の泥が混ざったからって、いったい誰が気にすると言うのか。


 そういえば一昨日以来ミルが音沙汰なしだが、どうしたのだろうとふと考える。体調が悪かったら家に連絡が来るだろうし、何か用事があるとも聞いた覚えはない。だとするとただ会わないだけ。会いに来ないだけ。そしてその心当たりがラトルにはあった。


 遂に愛想を尽かされたのかもしれない。

 なぜだかそれは、とてもいいことのように思えた。


 自分の進行方向から面白いように人がいなくなる環境はラトルにとってはもう慣れたもので、いっその事便利だと考えるべきかもしれないとすら思っているのだから大分末期だ。

 だが、今日はそうではなかった。不意の例外は大概が災いを運んでくるものだが、今回のこれも、きっとその例に漏れないだろう。

 目の前に、一人の男が立ち塞がった。


「ベリヤフラム嬢と婚約を解消するって本当なの? いつ?」


 顔に見覚えも無い相手にそう聞かれても答える義理など存在するはずもないが、第三校舎の裏という滅多に人の寄り付かない場所まで連れて来られてのそれは、ほとんど尋問と変わらない。

 噂もそこまで来たかと若干呆れるが、新鮮な刺激を求めている生徒たちが日々虚像を大きくしていくのは理解できない話ではない。


 子供の頃はラトルだって、益体もない噂話を好き勝手吹聴したものだ。なんだか影を追いかけているような虚しさを感じて、噂が嫌いになったのは確か十一歳だっただろうか。

 そう考えると、学園の生徒たちは十一歳の頃のラトルより幼く、いつまでも自分の影と追いかけっこをするという不毛さを楽しんでいる無邪気な人たちなのかもしれない。


 羨ましくもあるが、少し大人になった方がいいような気もする。

 いや、大人の噂の方がえげつないのだから、どっちにしろ変わらないのか。


「……なんか、期待して来られたところ申し訳ないんだけどそういう予定はなくて……」


「え、そうなの? なんだそうなのか……」


 わかりやすく落胆した様子を見せる男子生徒に少しだけ驚く。もっとこう、力尽くで別れろとか言ってきたりするのかと思っていたので若干拍子抜けではある。


 三年周期で入れ替わる制服のネクタイは一年生の色である赤であり、同学年であることはわかっていたので敬語を使うことはなかった。それがなんだか物凄い違和感をラトルに与えている。

 入学直後以降、まともに校内で会話をしていないゆえの違和感と言えばそれで終わりなのだが、どちらかと言えば、自分自身への違和感ではなく、目の前の男への違和感。


「……どうしてわざわざ、俺にそれを確認しに? 今までそんな直接聞いてくる人いなかったけど」


「あー、いや……、きみからしたら今更何だって思うかもしれないんだけど、最近の噂は度が過ぎていてね。さすがに婚約の解消まで話が進んじゃうと、好き勝手言えないと言うか……」


「…………?」


「……まあ要は、限界点ってことだよ。根拠もない噂話の限界。何も知らない同級生のことを悪く言うのも、そろそろ潮時ってところかな」


 男子生徒は必要以上に詳しく語らないが、校内におけるラトルへの刺すような視線は減少傾向にある。というのも、人を嫌い続けるのにはエネルギーがいる。憎しみは持続しない。

 誰かに近寄りたくないとは思っても、誰かを嫌悪したことはないラトルはそんなことを知らないので、なぜ目の前の男子生徒が気まずそうな顔をしているのかがわからない。

 だが、少しだけ風向きが変わり始めたのだけはわかった。


「えっと、ミルのこと、好きなのか?」


「えっ? あっいや、そういうわけじゃなくて! ベリヤフラム嬢のことは尊敬はしてるけど、それは異性としての好意とかではなくてっ」


 さっきまでの落胆したような態度から、自分にもチャンスがあると考えて確認に来たのかと思ったが、ここまで必死に否定されるとそれはそれでなんだかなと思う。

 ミルは確かに一般受けする性格ではないけど、見た目だけでどこにでも嫁げる。身内の贔屓目なしで純粋に評価してもそれは確かで、内面と外面が完璧だからこそ、第二王子に言い寄られているはずなのだ。

 ここまで慌てる理由がわからない。わざわざ嫌われ者に確認を取るほどなのに、なんだかちぐはぐだ。


「こんなところに呼び出して悪かった。それじゃあ僕はこれで」


 そう言ってそそくさと去っていく背中になんだか妙な気持ち悪さはあった。まるで何かから逃げるような、そんな姿に見覚えが――ああそうか。ミルに若干の苦手意識があった頃のデネッセがあんな感じだった。

 どこから飛んでくるかわからないとばっちりを回避するように、ミルが視界に入ると足早に――過去のことを思い出していた次の瞬間、ラトルの視界が真っ黒になった。


(――阻害系の魔法!?)


 腹部に強い衝撃。横一線にめり込むような痛みに、見えなくとも蹴られたのだと理解させられる。地面に転がりながら呼吸が止まり、酸素を求めて痙攣した喉を必死に動かす。

 魔力で防御する暇もなかった。そもそも校内で襲撃されるなんて想定していない。さっきの男子生徒は呼び出しの役目、そのためにさっさと逃げたのか。だとしたら犯人は。


「がっ……! はっ……!」


 横たわって無防備になった腹部に連続で蹴りが浴びせられる。魔力を張っているので先程よりはましなダメージだが、それでも何度も食らわされれば馬鹿にならない。こみ上げる吐き気を必死で飲み込む。

 それでも、爪先に魔力の込められた一撃は的確にラトルの胃を抉った。


「ぐっ……げぇ……!!」


 口から吐瀉物が溢れる。下手したら内臓を損傷させかねない致命の一撃だった。胃の内容物どころか、血を吐くんじゃないかと錯覚するほどの苦しみ。苦痛。

 それでも意識を失わなかったのは、襲撃者の手加減の結果か。人生で一番だと確信できる痛みに地面を無様に転げまわることしかできない。


 ミルのように治癒系の魔法を使うこともできない。阻害系を解除することもできない。襲撃者に反撃することもできない。

 だがそんな無力感も、今の苦しみの前では塵芥に等しい。


 襲撃者はそんなラトルの姿を見て留飲を下げたのか、それ以上攻撃してくることはなかった。未だに視界が黒いのは正体がバレないようにするためだろう。報復を恐れて、かもしれない。

 報復するとしたら、それはミルだろうが。


「……これ以上、分不相応な真似はしないことだ」


 立ち去る足跡が聞こえる間際、そんな声が聞こえた。分不相応な真似。それが先程までここにいた、おそらくは協力者だった男子生徒も話題に出した、ミルとの婚約であることは間違いない。

 酸素不足のラトルにそこまでのことを考える余裕はないが、それでも、点と点が繋がるように考えずとも導き出される答えはあった。


(今の声、聞き覚えが)


 ある。入学式で、朝会で、昼の放送で、下校時の校門で。飽きるほど聞いて、これから先も腐るほど聞くだろう声。これを聞くのが嫌で、ミルから離れたかった忌々しい声。嫌気が差すほど、人の感情に影響してくる声。


「第二……、王子……」


 呻くような声はどうやら届かなかったらしい。思考と結びついて反射的に口に出てしまったが、もし聞こえていたら、それこそ記憶が失われるような暴力が追加されていただろう。

 気絶も出来ないような痛みが和らぎ、服に隠れて痕が見えない腹を抑え、足を引きずるようにして帰路につくには、まだしばらくの苦悶が続くようで。

 であるならば。


「…………遅いなあ」


 ラトルが下校時に必ず通る道で、恋する乙女のように泣きそうな表情を浮かべながらベンチに座っているミルと、顔を合わせることが無いまま今日を終えるのは、本人たちにはどうしようもない話だった。

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