5、下衆の勘繰り
周囲に誰もいないこと前提の会話が過ぎた。もしラトルがこの場に留まっていたら、間違いなく盗み聞きを決行していただろう程度には。いつ、するのか、という確定事項に近い言い回しはこの男子の早とちりであり、それに眉をひそめた女子が厳しい口調で続く。
「知らないわよ。そもそもそれ本当なの? 会長が勝手に言ってるだけじゃなくて?」
「あの第二王子様がただの妄想でそんなこと言うか? 俺的には、なにか勝算があるんじゃないかと見てるんだけど」
「あの、私知らないんですけど、そもそもなんで会長はベリヤフラムさんのことが好きなんですか? 気付いたらいつの間にか声かけるようになってたから、私が知らないのがおかしいのかなって思ってたんですけど」
「具体的なきっかけは私たちも知らないけど、座学でも実践でも、唯一会長に肩を並べるくらいの女子だし、そこまで不思議な話でもないでしょ。……来年度の生徒会に入ってくれたら間違いなく即戦力なんだけど」
「……はあ」
会話が一瞬止まる。今の聞かせるために吐いただろう露骨な溜め息は、三年生の現副会長のものだ。二年生の第二王子に会長職を譲り、その補佐に自らの意志で収まった忠臣――という評判が立っている。噂好きに悩まされているのは、ラトルだけではない。
今の溜め息に含まれたあからさまな呆れに気まずそうな顔を浮かべる後輩三人。アイコンタクトで刹那のやり取りをした三人は、情報を引き出すことと、信頼を取り戻すことを両立して会話を組み立てようとするが、目線だけで完璧な意思疎通ができるほど世の中は簡単ではない。
「ええ? 何で急にそんな呆れらてるんですか俺たち」
「私たちを含めないで。急に関係ない話しだしたあんただけが呆れられてんのよ」
「ひょ、ひょっとして会長とベリヤフラムさんの間にはなにか、知らない方がおかしいほどの重大ロマンスがあったんでしょうか? 勉強不足ですみません……」
「……逆ですよ。そういったロマンチシズムがあの二人には何一つ無いんです。だから気を付けなさい。会長に直接そんなことを聞いたら、叱責程度では済まなくなりますよ」
副会長以外の全員の頭の上に疑問符が浮かぶ。全校生徒、とはいかないまでも、大半の生徒はあらゆる点で隣に立つ相応しい二人の間には、何かしらのときめいてしまうような約束があったと信じている。それこそ物語のような。
まあ、昔からミルに付き纏われていたラトルに一度聞いてしまえば、あの二人が接触する機会なんてありえなかったことは簡単に判明する事実であり、だからこそラトルは、成績でミルに比肩する第二王子に精神面で完膚なきまでに敗北しているのだが。
「……いやいや、副会長、さすがに何の縁も無いのに婚約者がいる令嬢に近付くなんて、いくら第二王子っていう立場があるとはいえ、いくらなんでもそれは……。もし私がやられたらひっぱたいてますよ?」
「そ、そうですよ。大体、会長だって、あんな思わせぶりと言うか、過去になんかあったんだーっていう風に俺たちに日頃話してるじゃないですか。あれも全部嘘だって言うんですか?」
「嘘は言っていないでしょう。会長は詳しく話していないだけで、それを補完するように面白おかしくしたのは外部の誰かです。それこそが会長の狙いだった、と私は見ています」
「……外堀から埋めようとしてる、なんて、おどろおどろしい話じゃないですよね……?」
「そういうことだと思いますよ。ベリヤフラム嬢がラトルくんにご執心なのは見るも明らか。これは本来、始めから会長の敗北が決まっている勝負なんですよ」
副会長の言葉に三人は再び顔を見合わせ、何とも言えない絶妙な表情を浮かべる。疑問はいくらでも湧き出て来るのに言葉として出力するのが上手くいかない。そんな三人を見て怪訝な顔をするのは副会長。彼は今の言葉に、それほど困惑するような含みを持たせたつもりはなかった。
「えっと、ミル嬢が婚約者にご執心……、ってのは、どうなんすかねえ。日頃の二人を見てる限り、そんな感じには見えないと言うか、むしろ仲悪そうにすら見えると言いますか……」
「シャッハトルテさんのお顔はいつも困っているように見えましたし、とてもその……、何と言いますか、言葉に詰まるのですけど……」
「……ふむ、なるほど。この学園の悪い部分にどっぷりと浸かっていますね」
「……悪い部分とは?」
悪い部分とは? と問われるとそれに対するアンサーは山のようにある。貴族だけが通っているというわけでもないのに生徒間に壁があることや、それをいいことにあることないこと言いふらす悪意の塊のような生徒の存在。そしてそれを放置し続ける腐敗した教師。
そういったあれこれをどうにかするために生徒会長を目指していたが、結局最後は圧力がかかって第二王子に立場を奪われた――までは言わない方がいいだろう。生徒会全体の士気が下がるのは望んでいないし、これもまた噂として広がられても迷惑だ。
「噂とは一種のフィルターです。それを通した視界というのは酷く濁る。本質を見損なう。まさしく色眼鏡という奴ですね。見たい物しか見なくなる。自分の中にある、噂という悪にそれらしい肉付けをするために」
「えーと、話が良く見えないんですけど……」
「校内に必要以上に浸透しているベリヤフラム嬢とラトルくんの噂は、当然耳にしたことがあるでしょう。やれ幼い頃に決められた契約に縛られているだの、本心では解消したいのに家の都合で解消できないだのといったやつですよ」
「そ、それはまあ、生徒たちが今一番熱を注いでいる噂ですから……」
「少し調べればわかるはずなんですがね。ベリヤフラム家もシャッハトルテ家も経済的に何の問題もなく、両家の当主は非常に仲がいい。その縁もあって、幼い頃引き合わされた二人は合意の上で婚約を結び、そしてそれは今に至るまで解消されていない。この話にこれ以外の事実は介在しません」
三人の目が見開かれる。唖然、という言葉が適切だろうか。副会長は何一つとして偽りを口にしていない。生徒会の同僚である三人を正気に戻すためにそれっぽい言葉を並べているわけではない。これは本当に少し調べればわかる程度の話でしかないのだ。
つまり、校内で悪辣な噂を楽しんでいる生徒は、誰一人の例外もなく、真実がどうなのかを調べたことが無いのだ。
「ここでの話は他言しないように。会長の機嫌が悪くなることは目に見えていますし、下手をすると貴方たちの立場も危うくなるでしょう。来年も生徒会の一員でいたいのであれば、積極的に噂を広めたりするのをやめる程度に留めておくくらいにしておいたほうがいい」
「……お、お二人は両想いだってことですか?」
「さあ? 恋心までは調べてもわかりません。ただ、間に割り込もうとしているのは会長で、悪意を持ち込もうとしているのはこの学園の生徒。君たちの発言は厳しく言えば下衆の勘繰りというやつです。それを日頃聞かされているこちらの身にもなってください」
心底うんざりした顔の副会長を見て、改めて自分の記憶を探る三人。しかしとは言っても、ミルと会長は順調に関係を深めていたような気がする。昨日の社交界も婚約者より生徒会との会話を優先していたミルを確かに見ているのだ。
あの時は会長から――とそこまで考えて、三人はほぼ同時にふと思い至る。そういえばミルの方から会長に話しかけてきたの見たことないな、と。これに関して付記すると無い。一回も無い。そもそもミルは第二王子に欠片ほどの興味も無い。
恋は盲目、噂は蒙昧。
ミルはラトルを不安にさせるための話題作りのちょうどいい相手として第二王子を利用していただけで、お近づきになりたい気持ちどころか、生徒会という集団に属することもどうでもいい。
彼女にとって大事なのは彼女の周りの人間だけで、邪な感情ありきで婚約者のいる女性に近付いてきた最低限の礼節も持ち合わせていないような男は虫唾が走る対象でしかない。会話してやっているだけ感謝してほしいほどだ。
知らぬが仏。
「……なんとなく、俺たちの目が曇ってたっていうのは納得しましたけど、じゃあなんで、ミル嬢はあんなに婚約者に嫌な顔させてんですか? あれがなかったら、俺たちだってここまで深く勘違いしませんよ」
その発言に女子二人の視線が交差する。もしミルがラトルに対して一途であり続けていたというのなら、その疑問に対してのアンサーはたった一つだ。言っていいものかという女子勢の葛藤を見た副会長は、男が言うことじゃないだろうに、と思いながら口を開く。
「――好きな子ほど虐めたくなる、というやつでは?」
似合わないその発言に三人が苦笑いを浮かべ、その反応に副会長が少し不機嫌になる。
ここでの会話をラトルが聞いていれば、全て円満に収まったのにと思うと、残念でならない。