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4、心を殺せば

 泣き疲れ、誰かと顔を合わせることすら恥ずかしいままに入浴し就寝したラトルは、翌日もしっかり学園に登校していた。昨日のことで陰口に新しいバリエーションが追加されることはもはや避けられないだろうが、それでも家のためには登校を欠かすわけにはいかない。

 迷惑しかかけていないのだから、せめて必要以上の不名誉を被らないようにしなければならないというこの思考もまた、彼の自己評価の低さから来るもので、昨日の声が家族に聞こえていたなんて知らない彼は、今日も自分を卑下し続ける。


 ミルに会ったらいらないこと言いそうだし、どうにか避けるか――と思ってはいるものの、ミルはまさしく神出鬼没。行動パターンを読んで今日は現れないと思っても、曲がり角からパンを加えて飛び出してくるようなことすらある。

 いっけなーい、遅刻遅刻! と放課後の帰り道で喚く姿にはさすがに引き攣った顔を隠せなかったものだが、あれはラトルの知らないどこかで流行っていたりするんだろうか。路上で食べ物を加えているのはなかなか淑女らしからぬものがあるが。


 そんな時でも会話の内容は決まって、自分がいかに周囲から必要とされているか、どれほど異性に人気があるか、だったのだが。苦笑いを浮かべながら、内心ではこの上なくうんざりしていた。それこそ、死ぬほど。

 昨日のことを問い詰めるために朝から押しかけてくるかもと思っていたが、それは杞憂に終わった。外靴から校内靴に履き替え、新築のように綺麗な廊下を歩く。


「おっす、今日も元気ないなー。昨日なんかあった?」


「……昨日いなかったのか?」


「昨日はちょっとな……、まあ食事だよ食事」


 ラトルにとって校内の数少ない顔見知り、ドゥン・アッセクアが後ろから追いかけてきたので歩調を少しだけ落とす。堅苦しい敬語を使わずに話せるという点で、貴族の中にも派閥のようなものがあるのだが、そこからあぶれているラトルと会話をしてくれる人間は少ない。

 不参加だった理由は大方予想がつく。どうせいつも口煩いだのどーのこーの言っている仲睦まじい婚約者と楽しく過ごしていたのだろう。もし婚約者がミルでなかったらそういうことを自分もしていたのかもと思うと、少しだけ羨ましい。

 二人で食事をしても、味なんて感じられやしない。


「何があったのかってのは聞かない方がいい感じか? お前の顔見てるとそう言われてる気分になる」


「俺が言わなくてもその内耳に入るよ。ここの生徒たちは根も葉もない噂と根拠のない陰口を愛してるからな」


「皮肉が効いてんねえ。確かにまあ、信じてるかどうかは別として大好きではあるんだろうな」


 貴族の悪習、と言うべきか。好機と見るや否や、他家を追い落とそうとするのは今はもうあまり聞かない話だが、昔は当然のように悪評の流布が街単位で行われていた。権力争いなんてそんなものと言えばそんなものなのかもしれないが。

 近年はそこまで露骨に他家を敵に回すということが出来なくなってきたので、家そのものの存続に関わるような風説が広まることはほぼないが、長年の貴族の慣習はなかなか抜けない。その結果が、貴族の多いこの学園での噂好きの増加である。


 増加と言うよりは、むしろ収斂と言うべきなのかもしれない。家単位ではなく、個人単位での悪意が集まる場所として、学園はまさにうってつけだった。昔のように大規模なのものではなく、小規模で収まっているならと教師陣もそれを放置。

 適度なガス抜きで済むならそれでいいという学園側の対応の被害者が、ラトルだと言える。


「……ま、どうせお前の婚約者さん絡みなんだろうけど」


「おお、よくわかったな。さてはお前、人の心を読む魔法の使い手だな?」


「使えるわけねーだろんなもん。使えてたら俺はとっくに高給取りだよ」


 廊下を歩く二人へ向けられる視線は冷ややかだが、それがまだ少しの温度を保っているのは、隣にドゥンがいるからだ。噂好きでも常識は弁える。それが暗黙の了解であり、ラトルが針の筵でありながら、未だに生傷を負っていない理由でもある。

 そうなると自然、渦中の人物が誰かと談笑しているからと言って、同罪だと言わんばかりに視線を向けるのは道理に反するという理屈が成り立つわけだ。いや、実際は全く成り立っていないが。自己正当化もここに極まれりのとんでも理屈だった。

 それを正しいことだと信じている人間がこんなに多いことが、ラトルは怖くて仕方がない。


「どうする? 一緒に帰ってやろうか? 婚約者とは一緒に帰りたくなーいって目が言ってるぞ?」


「……いや、大丈夫。ありがとな」


「……気を付けろよ」


 そう言って自分の教室に入っていく顔見知りには本当に感謝している。こんなどうしようもない落ちこぼれに気を遣わせて申し訳ないが、一人きりで耐えるにはこの学園での時間は孤独すぎる。

 独りになった瞬間、周りからの視線が増えた気がするが、この学園で感性が鋭くて得をすることはない。全てを無視して自分の教室の自分の席に座る。


 今日を耐えろ。一日を耐えろ。

 明日を耐えろ。一月を耐えろ。

 毎日を耐えろ。一年を耐えろ。


 死にたくなるような苦痛の日々は、心を殺せば、きっとすぐに終わるはずだ。


「…………ん、ん? いっ、肩いってえ……」


 どうやら寝てしまっていたらしい。最後の記憶は確か昼休みで、誰の目も無い場所として屋上扉の隙間を選んだ。そこで持たされた弁当を食べて、うとうとしてしまった。やらかした。周囲の暗さから判断するに、どうも午後の授業をまるまるサボタージュしたらしい。

 窓から差し込む光が赤くもないということは、時間としてはおそらく五時過ぎ。ただの生徒が居残っているにはあまりにも遅い時間だ。というか座ったまま壁に寄っかかるなんて不安定な体勢で四時間以上も寝てたとか嘘だろ。


 自分は自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。右肩を揉みながら、飲み込みきれない溜め息が漏れる。立ち上がると膝からパキパキと音が鳴り、固まった筋肉が痛む。背中を伸ばすと、全身を怠さが覆っていく感覚が走る。

 とりあえず教室に鞄を取りにいかなくてはと思うものの、誰かと鉢合わせたら嫌だなという個人的感情の方が強い。万が一廊下で第二王子なんかとすれ違った日には、暗黙の了解など関係なくボコボコにされるのではなかろうか。


 階段を下りて左右を確認しながら廊下を歩く。ほとんどの生徒は放課後の学園には残らない。家に帰るなり、友人宅を訪ねお茶をするなり、最近有名になった店に行ってみるなりと予定が詰まっているからだ。だから校内には人の気配はなく、まるで世界に一人だけのようで。

 ラトルはそれに、安堵を覚える。


(誰もいない方が楽って、もう貴族として死んでるみたいなもんなんじゃないのかこれ……)


 結局、いつでもどこでも誰かと関わり続けることは貴族にとって一生の義務のようなものだ。誰かのために尽くし、見知らぬだれかに尽くされ、そうやって人生を消費し、命を削っていく。それを上手くできない落伍者はどうしたって発生する。

 そういう意味では、ラトルとミルは釣り合いが取れていると言えるのかもしれない。何もできない男を、何でもできる女に婿入りさせる。実質、婿なんていないも同然だ。ただそこにいるだけの、無能な人形。


(ミルはどういうつもりなんだかな。第二王子と仲良いなんて皆知ってるんだし、俺の噂だって知ってるだろうし……、昔からあいつは本当にわからん)


 曲がり角から少しだけ顔を出して先を覗くと、教室二つ分ほど先に生徒会の面々が見えた。全員ではなく四人ほどしかいないところを見るに、なにか校内で作業でもしていたのか。第二王子こそいないとはいえラトルにとっては紛れもない天敵。気付かれないうちに離れようと踵を返した。

 遠回りをしたラトルが無事鞄を回収し、靴を履き替えている時に、沈黙を好機と見た生徒会の男子が口火を切る。


「――ミル嬢の婚約っていつ解消されるんだ?」

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