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3、大いなる計画

「逃げられた、のですね?」


「違う。私は逃げられてない」


 ラトルが床に寝転がりながら頭を抱えているのと同時刻、社交界、及び第二王子からからようやく解放されたミルは、自室のソファで優雅に紅茶を飲みながら、メイド長のコトノ・キディクに本日起こった不測の事態に関する相談を持ち掛けていた。

 不測の事態というのは言わずもがな、自分を置いて先に一人で帰ってしまった愛しい婚約者に関しての話である。確かにミルはラトルを困らせること、それこそ星の数の如しだが、なんだかんだ言いつつも、一定のラインは越えないように調節してきたつもりだ。


 問題はそこに、外部からの悪影響という不規則なランダム要素が加わったことにある。


「しかしお話を聞く限り、お嬢様は婚約者を揶揄い過ぎて嫌気を差されてしまった哀れな女ですよ。それを逃げられてないと言われても、正直ただの負け惜しみにしか……」


「言い過ぎじゃない? お嬢様と哀れな女は同一人物を差す言葉として従者の口から出てきちゃいけないと思うんだけど」


 ミルが産まれる以前からベリヤフラム家で働いているコトノは、ミルからしてみれば少し年の離れた姉的存在であり、誰よりも優先的に相談を持ち掛けている頼りになる相手だ。しかしその口から哀れな女と言われては、さすがに少し反論したくもなる。


 細かい事情を抜きにして起きた事項だけを搔い摘めば、確かにコトノの言っていることは正しい。周囲からのラトルに対しての評価があまりに低いゆえに責任の所在が有耶無耶になっているだけで、これが普通の婚約者同士だったらミルの周りは明日から陰口祭りだ。

 実際には、日々陰口に苛まれているのはラトルだけなのだが。


「お嬢様の悪癖を諫めなかった私たちも悪いのでしょうが、加減を間違えたことは反省してくださいね」


「……加減を間違えたって感じはないんだけど」


 さて、ここでコトノが置かれている複雑な立場について説明しておこう。コトノはベリヤフラム家のメイド長であり、使用人間における情報網の中心でもある。そしてシャッハトルテ家の使用人ともつながっており、お互いにミルとラトルの情報を流し流されている。その相手は大体の場合においてクロノである。


 ミルが婚約者に与えているストレスを制御できていると思っているのは、コトノの陰ながらのサポートがあってこそなのだ。今日はラトル様は疲れているようですとか、今日はいいことがあったようですとか、今日のお嬢様は一段と綺麗ですとか。

 そういう長期記憶に残り難いような言葉を用いて、仲睦まじい二人の関係に亀裂が入らないようコントロールしてきたわけだが、最近それが思い通りにいかなくなってきてしまったのだ。

 理由は瞭然、干渉できない領域からの測りきれない悪意のせいだ。


「……八年分の蓄積が、とうとう爆発してしまったのでは? 率直に申し上げて、今日まで何の問題もなくお二人の関係が維持されていたのは、ラトル様の並々ならぬ忍耐があってのことだと思います」


「忍耐って……、ラトルが本当は私のこと鬱陶しがってたってこと? 本当に?」


 ミルの成長と共に露骨になってきた悪意は、ラトルの精神を大きく乱すことになった。それこそ、まともに学園内で会話もできないほど、二人の物理的距離は遠のいていた。ミルが何の根拠もなく信じていただけで、実際は精神的距離も離れつつあったのだろう。

 劣等感、という言葉とは無縁な少女だった。切っても切り離せない少年とは違い、健全に十全に、少女はその資質を開花させ、無自覚のうちに少年を置いてけぼりにしていた。今もそれに自覚はなく、急にどうしたのか程度の感想しか抱けていないのは、ある意味では哀れかもしれない。


 二人の仲がぎくしゃくせず、ミルがこうも奔放に成長することが出来たのは、間違いなくその捌け口になったラトルの成果だ。それをラトルが知れば、今の状況を作り上げるのに一枚噛んだという事実に打ちのめされ倒れるかもしれない。

 あるいは、絶望するかもしれない。


「鬱陶しがっていたとは言いませんが、お嬢様には少々……、いえ、かなりサディストのきらいがありますので、相手を選ぶようなスキンシップになっていたというのは確かでしょう」


「私がサディスト? 冗談やめてよ。私ほどの被虐主義者は他にいないわ」


「……以前より常々、お嬢様には私たちに見えていない何かが見えていると思っていましたが、まさかここまでだったとは……。想定外でした。明日から鏡の掃除を徹底させましょう」


「だーれが自分をまともに見られてないって? 目先でしかものを見れない人に説明するのは骨が折れるけど、私の完璧な計画を理解できないのは確かに仕方ないこと。心して聞きなさい。これはね、私の大いなる計画の伏線なの」


「大いなる計画、ですか……」


 その計画の前に婚約がご破算になったら元も子もないですが、その辺りはどのように考えられているんですか、とは流石に言えない。ミルは現状をそこまで深刻なものだと考えてはいないし、コトノからしても、今回のことは結構真剣に考えた方がいい、などと助言することにメリットはない。

 なるべく、自然な形で仲直りしてほしい。学園での人間関係や囲い込みのような複雑な状況を加味すると、そう甘いことを言ってられないのはわかっているが、説明不足や理解不足から齎される不和は案外どうでもいいことで解消されたりするのだ。


「いい? 私はよく口説かれる。婚約者がいるにもかかわらず、男性から引っ張りだこで暇がない。頭は良いし魔法も優秀、家事炊事もお手の物。まさしく女性の鑑。そう、私こそが鑑なんだから鏡なんていらない」


「何の話ですか」


「私は自分を十分に客観視できているということよ。そんな風に、私が引く手数多でいつしかその秋波に靡いてしまうかもしれない、なんていうエピソードをラトルに話したらどう思うかしら?」


「……不安になるのでは?」


「そう、不安になるのよ。不安で不安で夜も眠れなくなって、私への執着心はいつしか依存へと変わっていくの。私無くしては生きられない、ああ、どうか一生俺の腕の中にいて――そんな風な熱烈で甘美な言葉と共に、日頃から優位を気取っていたはずの私は女としての非力さゆえに簡単にベッドに押さえつけられてしまいついに――」


「お嬢様、それ以上はやめましょう。言いたいことはなんとなくわかりましたから。それは計画というよりは欲望と言うべきですし、もはや語り口は官能小説です」


 なるほど、このお嬢様はなんの考えもなしにただ楽しいからという理由で婚約者を虐めていたわけじゃなかったのかと、少し納得したコトノだったが、される側の心境を考えるとどっちでも変わらないという事実にすぐ辿り着いてしまった。

 クロノから今まで得た情報を元にして考えても、ラトルがミルに並々ならぬ執着心を抱いている、といった素振りは皆無だし、最近の交流の少なさから考えても、このままだとその未来が訪れることが無いというのは明らかにもほどがある話だ。


 着実に失敗へと向かっているはずなのだが、自信満々なお嬢様の顔はそんなことを微塵も考えていないのが一発でわかる。無駄に万能な人生を送って来た弊害と言うべきか。


「止めないでよ。ラトルの力任せな愛は次の日以降も続くのよ。他の男に奪われてなるものかと私を逃げられないようなあられもない姿のまま監禁し、夜になる度にその愛ゆえの鬱積を性欲という形で私の身体を使って発散してしまうの」


「お嬢様」


「手足を拘束された私は開放を口では願いながら、与えられる快楽に負け、流されるままに嬌声を上げ、更にラトルの情欲を煽ってしまう。二人して達した後、ラトルは私の拘束を解き、優しい添い寝をしながらただただ謝罪の言葉を繰り返すの」


「お嬢様」


「そんな形でしか自分の愛情を表現できないラトルはベッドの上で私を抱きしめ、眠りながらも涙を流し、私はその涙を舐めて彼に揺るがない愛を囁く。そしてそれは私たちが死ぬまでずっと続く、そんな退廃的な日々――これが私の大いなる計画! 題して『精神的捕縛計画』の全貌なのよ!」


 どうして自分はこんなことになるまでお嬢様のことを放っておいてしまったのだろうと、今更意味の無い後悔がコトノの表情を歪める。もはや一周回って面白いまである。目の前で堂々と両手を広げて妄想を語るミルに、学園の才媛と呼ばれる要素を見出すのは難しい。

 コトノに手の甲が向けられた握り拳は、ミルの言ってやったと言わんばかりの晴れやかな表情と組み合わせ的に抜群ではあったが、それを肯定するのは困難を極める。極めたはずの鉄面皮が粉々に壊れそうだ。


 控えめに言っても正気なのかと訊ねたい衝動に駆られるが、まあどうせ実現しないだろうと考えて心を落ち着かせる。ラトルに何が起ころうとそうはならないだろうという確信がある。


「つまり私はサディストなんかじゃなく、とてつもなく用意周到な一介のマゾヒストでしかないのよ。理解できた?」


「ええ、お嬢様の頭がとても残念だということがよく理解できました」


 床に伏せながら泣き喚く少年と、明るい未来を語り笑う少女。

 とても婚約しているとは思えないほど対極的な時間を過ごす二人が相互理解を深める場を設けるのには、もう少しの時間が必要だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんな人格になるまで放置してきた大人達の責任だわな 双方共、大人が介入していれば深刻な問題に発展しなかっただろうに戦犯じゃん
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