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11、魔法の言葉

 ラトルの兄、フォート・シャッハトルテは弟想いの素晴らしい兄――とはとても言えない。というのも、ラトルが八歳から十四歳になるまでの六年間、まともに会話をしてこなかったからだ。無視していたとすら言える。

 今はそんなこともなく、傍から見れば普通の兄弟程度の関係性に見えるが、そこまで修復するのには多大な労力と膨大な時間が必要だった。


 フォートは自分が全面的に悪いというのを自覚していたので、弟にその負担を強いることはなかったが、兄のその変わりように弟が困惑しているのははっきりとわかった。

 離れたり近づいたりと、まるで気まぐれのように映っただろう兄に何を感じているのかまでは、さすがに訊けていない。訊かれても話せる内容ではないが。

 フォートからラトルに対する感情は、一貫して負の要素を多分に含んでいる。


 嫉妬から憐れみへ。しかもその原因はラトル本人に無いというのだから、本人が聞いたら不平不満が否応なく漏れることは絶対的である。

 だが、関係性が今より良好になる可能性もあるというのだから何とも複雑な話だ。

 起きたことだけ纏めれば、複雑どころかたった一文で済むようなものでしかないのだが。


(ミル嬢と結婚するのは俺だとか、一体どの面下げて考えてたんだか……)


 ミルとラトルの婚約がスムーズに進んだのは両家の当主同士が昔馴染みで、折角だからと会わせてみたら意外と相性が良かったという以上の理由はない。そういう意味では、確かにミルと婚約するのがフォートでも問題なかった。

 捻くれたものの見方をすれば、フォートは弟に婚約者を奪われた、と言えなくもない。

 その考えに無理があることはフォート自身も気付いている。だからこそ、ミルの苛烈さに気付いた二年前――フォートが十八歳の時、弟と普通に話せるようになりたいと思ったのだ。


 子供のような、いや、そう言っては子供に失礼とすら言えるような逆恨みで距離を置いた弟に、今更何て声を掛ければいいのかと三日三晩悩んだ。実際は一月くらい悩んでいた。

 六年も会話が無ければ、ラトルの方からも自然と兄を避けるようになる。会話の切り出し方どころか、家の中でまともに顔も合わせることのない相手と関わりを持つのは困難を極めた。

 そこで助け舟を出してくれたのがクロノだった。


『フォート坊ちゃんがご自身の間違いに気が付かれるのを、私はずっと待っていましたよ』


 そう言われてしまうと顔を押さえるしかない。精神年齢が底の底だった自分を本当に殴ってやりたいような衝動に駆られながらも、頭を下げた。こんなに恥ずかしいことは生涯無いに違いない。

 結果として、フォートとラトルは普通よりは少しだけの距離のある兄弟になった。出来るならば、困ったときに頼られるような兄になりたいと思っているが、ラトルが自分に頼ることはないだろうと諦めもついている。


 子供が兄に無視され、六年かけてそれを飲み込んだ。

 今更都合よく戻ってきて、弟に頼られたいなど、厚顔無恥にもほどがある。


 そもそもが自分勝手なのだ。ミルの見た目だけに惹かれて、内面を知った途端に弟に申し訳なく思った。一から十まですべてが身勝手。仲直りだって、今のままにするのが気持ち悪いと自分が思ったからというだけでしかない。

 ミルの苛烈さ――過激な愛情表現。

 大々的な行動を起こすなどといったわかりやすいものではなく、相手の興味を引くために嫌がることをするという、下手をするとフォートよりも子供っぽいそれを偶然見かけてしまった。

 その時の弟の顔が、六年前、無視し始めた時よりも、困っていて、泣きそうで。


 正気に戻らざるを得なかった。自分では、あれに耐えることは出来ない。ただただ受け流して、黙って、我慢することなどできなかったはずで。だから、相談される兄になろうと思った。

 本当に限界を迎えた時、自分だけでもその激情を受け止められるようにと。


「……限界、とっくに来てたんだな。言えねえか……、こんな兄貴じゃ……」


 相談されたからといって、何かいい妥協点や解決策を授けられるとも思わなかったが、それでも精一杯励ましただろう。大丈夫、彼女が好きなのはお前だけで、気を引きたくて意地悪をしているだけだ、と。

 一昨日の屋敷中に響いたあの叫びは、フォートに六年間の後悔を色濃くさせるのに十分すぎた。


 即日慰めに来るわけにもいかず、結局あれから二日が経ってしまったが、それでも遅くはあるまい。今からでもあの二人の仲を外部から保証してやり、数年後に幸せな結婚を叶えられるよう補助してやらなくては。

 そんな風に決心し早十分、ラトルの部屋の前をうろうろしているフォートは廊下を通る使用人たちから懐疑の目線を向けられていた。


 何と言って慰めればいいのかわからない。出たとこ勝負だとは思っているが、突然訪ねてきた不肖の兄が掛けるのに相応しい言葉はそう多くない。

 簡潔でわかりやすく、それでいて気遣いの伝わりやすい言葉。そんなものが簡単に浮かんでいればクロノにあそこまで大変な仲介をさせることはなかった。元来口下手なのだ。

 その場の勢いで飛び込んで、言いたいことだけ言ってさっさと退散しよう。そう決めたフォートは大きく息を吸い、ノックもしないまま飛び込むように扉を開いた。


「――お帰りラトル! 一昨日の件を愛しのお兄様が慰めに――……は?」


 椅子に腰かけたラトルは突然入って来た兄を見て目を見開くが、フォートの視界は一点で集中されてしまう。上半身裸で、庇うようにして手で押さえられていたその腹部には、手の平程度では隠し切れない傷が刻まれてていたからだ。

 切り傷ならもう少し冷静に何があったのかと考えることもできただろうが、考えるまでもなくそれは悪意の証明だ。殴ったにしても蹴ったにしても、誰かからの暴力の痕跡に他ならない。


 傷と言うには隠されていて、痣と言うには黒々しすぎている。おそらく内出血しているのだろうそれが今も痛んでいるのは、歪んだ顔を隠している弟の様子からすぐにわかった。

 治療の一つもされていないということは、誰にも言っていないということ。フォートは治癒系が使えたはずの使用人を呼びに行こうと踵を返して――いつの間にか近づいてきていたラトルに手首を握られた。


「駄目だ。言わない方がいい」


 それは警鐘だった。素人目に見てもわかるほどの怪我を隠した方がいいというのは、まともに聞けばなんとも正気を疑う発言だったが、その顔と声には強引に納得させてしまえるだけの必死さと説得力があった。

 一瞬、この手を振り払ってでも誰かを呼んで来ようと思ったが、それは話を聞いてからでも遅くない。


 フォートの足から力が抜けたのがわかったのか、ラトルは握っていた手首を離す。気まずそうに兄の目を見つめる弟は、そのまま後ろに下がり疲れたように椅子に座った。

 誤魔化すようにシャツを着る姿を見ているのは辛いものがあったが、話を切り出さないことには完全な納得は難しい。後ろ手に扉を閉めて、弟に向き直る。


「……誰にやられたんだ?」


「第二王子。まあ声聞いただけだから証拠はないんだけど、あんまり大っぴらに騒いで、俺以外に目付けられても面倒だからここだけの話にしといて」


「……はあ? 第二王子って、今の生徒会長だろ? なんでお前がそんな目に遭ってんだよ」


「本人が言ってるわけじゃないから根拠はないけど、多分あいつミルが好きなんだと思う。だからその婚約者の俺が鬱陶しくて仕方ないんだろうな」


「いや待てって! そんな話聞いたこと無いぞ! 確かに第二王子は去年の破談から新しい婚約者も決まってないけど、それにしたって婚約者がいる相手に擦り寄るとか――」


「ああ、やっぱ学園内だけなのか、あれが許されてるのって」


 ラトルの目が途端に諦めの色を帯びる。だが、だから放置されているのだという得心も同時に得ることが出来た。つまり、校内のモラルは校内だけで完全に閉じているのだ。あまりに閉鎖的。

 生徒たちも、今の世で噂を自由に口にすることは危険だと知っているから、家に帰った後は家族にだって話さない。だから不都合な情報が出回ることもない。おそらくは教師陣辺りが上手くコントロールしているのだろう。

 つまり、ミルとラトルが校内のいざこざで婚約を解消し、その後第二王子がミルとくっついても、その詳細な事由が広まることはない。だからああも自由なのだろう。


「……とにかく、これのことは黙っといてくれ。下手に刺激して俺以外が標的になるのも困る」


「……、……訊くだけ無駄なのはわかったうえで訊くけど、ミルちゃんには言わないのか?」


「言わない。第二王子とどうにかなった時、これで躊躇われても何だしな」


 フォートは今の一言で理解した。ラトルはミルからの愛情表現に気付けていない。自慢も自尊も自賛も、全てをそのままに受け入れ、ただ傷つき続けている。

 ミルが第二王子に靡く可能性が十分にあると思っているのだ。

 ラトルが暴行を受けた時点で、いや、その前から、そんな可能性は皆無だというのに。


 ただ、今それを言ったとしてもまともに聞いてくれはしないだろうし、下手に余計拗らせても責任が持てない。だからこれを伝えるとしたら、ラトルの方ではなくミルの方だが。

 その場合、ミルがどういう行動に出るのかが全くわからない。

 デネッセほどミルへの理解度が高くないフォートとしては、怒りはするだろうがそれがどういう形で外部に放出されるかの検討が全くつかない。


「兄貴」


 それは、まさしく魔法の言葉。フォートを縛るのに余計な言葉はいらず、ただそれだけでよかった。ラトルも、兄からの後悔と罪悪感を感じ取れないほどの鈍感ではない。

 だから、何を言えば黙ってていてくれるのかを深く考える必要はなかった。

 兄と呼べば、それでいい。


「黙っててくれるよな?」


 それはある種恫喝のようでもあったし、恐喝のようでもあった。もし正面から魔法を用いて戦えば、この兄弟の勝敗は一瞬でつく。兄の勝利という形で。

 だが、その荒ぶりも何もない平坦とした一言に首肯でしか返せなかったのは、まさしく罪悪感。いうことを聞かなくてはならないという感情を利用されているのはお互いに理解のうえ。


 そこから数回のやり取りをして、部屋を出たフォートは弟を裏切ることを決意する。こうもあっさりとそれを決められた自分に少しだけ驚いたが、同時にすっと胸に落ちることでもあった。

 罪悪感は、家族愛に勝てない。

 長く罪悪感に支配されているラトルに、そんなことわかるはずもない。


 そういえば一昨日の件って何だったんだろうと、ラトルが疑問に思ったのは寝る直前のことだった。

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