マルタン・ブローワ伯爵
白いダンゴムシのように見えたのは、元領主のマルタン様だった。単に白いローブをお召しになっているだけだ。
やばい。やばい。顔に出ていませんように。
マルタン様は、いかにも好々爺という感じで、顔も体も丸かった。
もともと背が低い上に、背中を丸めているものだから、ダンゴムシのように見えて――じゃなくて、私たちが見下ろすような格好になっている。
「マルタン様。お久しぶりです。結婚のご挨拶が遅れて申し訳ありません」
ブローワ領の元領主に対して、ジャンポール領主として穏やかな口調で挨拶するユリウス。
立っているだけで凛とした威厳が感じられる。王都の貧弱な貴族たちとはと違って、鍛え上げられた体全体からオーラが出ている。
「妻のアデリーンです」
でたっ。妻! ……なんという破壊力。
ユリウスに釘付けになって油断していただけに、余計に響いた。……妻だなんて。まだ当分慣れることはなさそう。
そんなことより、ちゃんと挨拶をしないと。
「初めましてマルタン様。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
ユリウスが誇らしげな顔で微笑んでいるように見えるんですけど?
ダンゴムシがピョンと――じゃなくて、一歩前に出て、私を品定めするようにジロジロと見た。
この方は領主として、こんな風に大勢の人間を見定めてきたのかな。
「――ふむ。どうやら、王都からの噂は、根も葉もないものだったみたいじゃな」
……え? ええ? ええっ?
何? どうして? 一目見ただけで、私のことを信じてくれるっていうの?
「マルタン様は母上の叔父君にあたる方なんだ。俺は子どもの頃から、ブローワにはしょっちゅう遊びに来ている。まあここは庭みたいなもんだ」
「こやつめ! 庭などと生意気な!」
「はははは」
「あっはっはっ」
二人とも、本心を偽り隠すことなく言い合える仲なのね。
なんだか微笑ましい。
「アドルフの爺さんは残念じゃったの。お前さんも急なことで大変じゃったろう。喪に服す間もなく結婚じゃったしのう。まったく陛下の気まぐれにも困ったものじゃ」
陛下の批判? やばくない?
私がビクッと反応したのを見て、ユリウスは笑った。
「マルタン様は、陛下の剣の師だからな。この国で、陛下に小言を言える数少ない人物なんだ」
「はっはっはっ。小言か。確かにのう。跡目は譲ったが、たまには王宮に行ってみるのも、いいかもしれんのう」
「そのときには、是非、私も一緒にお連れください」
「ほう? お前も小言を言いたいのじゃな」
マルタン様とユリウスが、二人揃って悪巧みをしている顔になっている。
トントントン。
品の良いノックの音がした。
「入れ」
さっきの老執事がワゴンを押して入ってきた。
「お気に召していただけるとよいのですが」
テーブルの上に、キャロットケーキとハーブティーが並べられた。
「うちの人参は苦味が少ないと評判でな。どれどれ、わしもいただくとするかな」
マルタン様は客に勧めるのも忘れてケーキを口に運んでいる。
うっふっふ。これはマルタン様の好物なのね。
ユリウスの方を見たら、同時にユリウスも私を見た。
二人でうなずきあって、一緒にいただく。
ケーキは甘さ控えめでクセがない。添えられているクリームもさっぱりとしていておいしい。
躍動感のある赤い色のハーブティーは、ローズヒップとハイビスカスのブレンドだった。爽やかな酸味がクセになりそう。
がっついているつもりはなかったけど、脇目もふらずに食べていたのは事実。
正面のマルタン様の視線を感じてハッと手を止めた。
「ああよいよい。気に入ってもらえたようじゃな」
「妻は好き嫌いがなく、なんでもおいしそうに食べるのです」
……また妻って。……もう。
それにしても、見ていたのね、二人とも。……恥ずかしい。
お茶を飲みながら、マルタン様がブローワ領のことを教えてくださった。
十一月は、野菜の収穫でとても忙しいのだと。ジャガイモにカブにカボチャ。他にも色々。
特にジャガイモは、その収穫量によって、翌年の食料事情が大きく左右されるため、不作になりそうな今年は、頭を悩ませていることなど。
「姪っ子のクロエは領民にも人気での。遊びに来るたびに、街中でもよく歌っておったものじゃ」
「皆さん、嫌がられないんですか?」
信じられない。本当に?
「ここは王都から離れているからの。陛下のご機嫌なんか、誰も気にせんのじゃ。あっはっはっ」
あっはっはって――。
マルタン様が急に真面目な顔に変わった。
「クロエがおったらと、領内では日増しに声が大きくなっておる。隣のジャンポールじゃ、領主の奥方が不思議な力を発揮して領民たちを助けているのに、と噂になっての」
やっぱり噂って広がるものよね。でも、こんな調子で広まっていくのって、まずくない?
「勝手な頼みじゃが、ここをジャンポールだと思って、歌ってはもらえまいか?」
いやあ――。どうなんだろう。……本当にいいのかな?
でも、ユリウスはそのつもりで私を連れてきたのよね?
……ああもう。癖になっちゃったみたい。困ったときにユリウスの顔を見ちゃうのが。
ユリウスは私の視線を感じたのか、自分が置いたティーカップに視線を落として、独り言のように静かにつぶやいた。
「母上は、不思議な力は天から授かったものだとおっしゃっていた」
授かりもの? そんな風に考えたことはなかった。でも、私の歌に、本当にそんな力があるのだとしたら――助けたい!
心を決めて、もう一度ユリウスを見た。私の答えは分かっていたようで、ユリウスも力強くうなずいてくれた。
「分かりました。私でお役にたてるなら」
「おお、そうか! そうか!」
マルタン様の喜ぶ様子に口元を緩めた老執事が、そっと部屋を出ていった。
指示がなくても、出かける準備をするためよね。さすがだわ。
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