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愛する妻(ユリウス視点)

 冬の朝七時の森は、氷が張らないギリギリの冷たさだ。

 鳥たちは、寒さなどものともしないらしく、多くのさえずりが、そこら中から聞こえてくる。


 湖の表面は、よく磨いた鏡のように、周囲の木々の姿をそのまま映している。

 手元にあった石を投げ込むと、石はポチャンと音をたてて、その映像をぼやかした。


 あの悪夢のような襲撃の夜から、早くも十日が過ぎた。

 北方の国境警備は、同じく国境を接しているブローワから、増援の兵士が来てくれた。

 もちろん城の警備も増強した。



 だが、襲われること自体が、アデリーンを怖がらせることになる。

 向こうは一度失敗しているので、そうそう続けての襲撃はないと思うが――心配だ。



 ブローワから戻った日に、アデリーンの部屋を移しておけばよかった。


「俺が意地を張っていたから――」


 恥ずかしさのあまり、「同じ寝室で寝よう」と言いだせなかった。

 そのせいで襲撃の夜、アデリーンの側にいてやれなかった。

 警護の兵士が最初に駆けつけただなんて――。

 俺は今でも俺自身を許せない。




 アデリーンに初めて会ったときは、女というのは本当に見かけによらないものだと、つくづく思い知らされた気がした。

 清楚で賢そうな美しい娘なのに、その中身が悪女とは。


 それでも、俺は、悪女だと分かっているのに俺は……。

 あの白い肌に触れてみたい――などと思ったのだ。

 一瞬でもそんなことを考えた己を恥じたが。



 ……いかん、いかん。

 これでは、またリュカに、いいようにからかわれてしまう。


 今では、俺たちは名実ともに本物の夫婦だ。


 エメは、アデリーンの体調の変化を注意深く見守ってくれている。

 リュカに言わせれば、食いしん坊のアデリーンに、味覚の変化がおきれば、それがおめでたの兆候だと言っていたが。

 ……今のところはまだないな。


 べ、別に、今すぐ子どもがほしいとか、そういう訳じゃない。

 アデリーンと二人で過ごす時間は、何物にも代え難い。

 だいたい、子どもができたら、アデリーンは俺のことなど構わなくなって――。



「ユリウスー!」


 森の入り口の方で、アデリーンが大きく手を振っている。

 エメも一緒だ。


 あんなに走って大丈夫なのか? もし転びでもしたら――。

 まあ、この湖までの道は、もう目をつぶってでも歩けるだろうが。



「はあっ。はあっ。朝食も食べずにどうしたの?」

「今朝はなんとなく早く目が覚めたから、ちょっと歩きたかったんだ」

「だから私が目を覚ましたとき、ベッドにいなかったのね」

「……ああ、悪い」

「もう――」


 アデリーンが少し拗ねたような顔をして、俺の隣に座った。

 エメはどうやら二人分の朝食を持たされているようだ。


「ふう。奥方様。そんな風に走るのは、やめていただけませんか。見ているこっちがハラハラします」

「うふふふ。ごめんなさい。でも、朝の森の空気も気持ちいいんですもの」


 エメがやれやれと肩をすくめて、アデリーンに膝掛けをかけて、トレイを乗せた。

 領主の俺にはトレイだけか?


 エメは本当にアデリーンにだけは甘いな。

 エメがトレイに、バゲットサンドやコーヒーカップを置いていると、リュカがやってくるのが見えた。


 今度はリュカか。まったく騒がしい朝だな。



「ユリウス様。陛下から密書が届いております」

「陛下から密書だと?」

「ええ。夜通し走らせて来たそうなので、すぐに目を通していただけますか」


 ……国王陛下からの密書。

 お祖父様宛に届いた、シュヴェルニ男爵家の令嬢と結婚せよ、という命令以来だ。


 嫌な予感しかしない。


「……これは」


 とうとう王宮にまで、アデリーンの噂が届いてしまった。

 思っていたよりも早かった。


 ……それよりも。

 その力を魔物討伐に使えと言ってきている!


「……ユリウス様?」


 リュカの顔には、早く私にも読ませてほしいと書いてある。

 思わずグシャリと握りしめてしまった手紙を、そのまま渡すと、リュカは丁寧にシワを伸ばして目を走らせた。


「随分なご命令ですね」

「ああ」


 ……だが行かねばならない。


「トリアノン領で騎士団に合流とありますが、隊長は、あのテオ様なのですね」

「ああ」


 あのテオだ。

 ……俺の、剣の師だ。

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