大使との面会
学生寮一階には応接間がいくつかある。ボジェナとフリードリヒが最初に顔合わせをした部屋は、実質フリードリヒ専用となっているので彼以外は使えない。その為、彼女はその隣の部屋でコンラトと会う事になった。
「本日はお時間を頂きありがとうございます」
コンラトはボジェナに一礼をした。ボジェナに権力がなくとも、王族を軽んじるメイネス国民はいない。そもそもボジェナも王族としての生活費は保障されていた。ただ、その使い道が主に書物ゆえ変わり者王女と陰口を叩かれてはいたが。
「気にしないで。父への報告に協力するわ」
ボジェナは柔らかく微笑む。辞書の件は解決したものの、お金がないのは変わりない。彼女はお金を手に入れる為なら、どれほど嘘を吐こうが構わないと腹を括っていた。兄弟姉妹の中には月々の生活費が不足したと父に強請る者もいたが、彼女はそれをしなかった。根拠があって決められた生活費のはずなので、その中でやりくりするのが正しいと思っていたのだ。
しかし学生寮代を含む学費を提供するとレヴィ王国側からの申し出を聞いて、メイネス王国はボジェナの生活費を打ち切っていた。彼女は嫁いだわけでもないのに生活費を打ち切られた事に納得していない。そしてその生活費を止めたのが父である以上、彼女は他人を経由した方が手に入るだろうと踏んでいた。
「早速ではございますが、エドワード陛下との謁見はいかがでしたでしょうか」
「ナタリー王妃殿下と三人で和やかにお茶を楽しんだわ」
「三人、でございますか」
コンラトはレヴィ王国に駐在して六年になる。故にエドワードの治世をレヴィ王都で見てきた。メイネス国王ベネディクトに命じられ側室の打診も数回しているが、いい返事を貰えた試しはない。今回も断られると思っていたのだがボジェナのみならという条件で承諾され、コンラトは驚きながらも母国へ急ぎ知らせたものだ。
周辺国やレヴィ王国内の貴族達より申し込まれる側室の話を、エドワードが全て断っているのは有名な話である。今回は理由が違うとはいえ、謁見までこぎつけたのは快挙。だが、ナタリーがその場に居たとなると、やはり側室は難しいのだとコンラトは落胆を隠せなかった。
「えぇ。あのお二人の仲睦まじい姿を見たならば、側室を諦めるのは仕方がないと思うわ」
ボジェナの言葉に、コンラトは返答出来なかった。彼も難しいのは重々承知である。今もナタリーが妊娠中なのであるから、夫婦仲が冷めているという判断は下せない。
「けれど、エドワード陛下はとても素敵な方だったわ。あの方のお側で暮らせるのなら幸せでしょうね」
ボジェナはコンラトに微笑みを向けた。流石に側室になると明言するのは憚られたので、側で暮らすと言葉を濁した。レヴィ王都で暮らすのはメイネス王国にいるよりは近く、幸せなのも間違いない。
「しかしそれが難しい事はご承知なのではないのでしょうか」
「あら、難しいとわかっていて私にその役目を押し付けたの?」
「それは」
コンラトは言葉に詰まり視線を伏せる。ボジェナは後ろに控えていたバルバラに手を差し出した。バルバラは主に封筒を渡す。
「これを見て頂戴。希望を捨てるのはまだ早いわよ」
ボジェナはテーブルに封筒を置く。封蝋は開封した為に砕けているが、その封筒がレヴィ王家専用の物だと気付いたコンラトは不安気に彼女を見つめる。彼女は見るように手で指し示した。
コンラトは中に入っていた招待状を見て驚いた。エドワードは夜会を滅多に開催しない。そして招待客は基本的に国内の貴族だけで、例外は彼の妹が嫁いだアスラン王国の者だけ。それにも拘わらず、招待状にはメイネス王国第三王女ボジェナ宛と明記されている。
「これは一体どなたに頂いたのですか」
「公爵家の誰だったかしら?」
「失礼ながら。スミス家のダニエル様がリアン様の名代でお持ち下さいました」
名前を思い出せないボジェナに代わり、バルバラが答える。それを聞いてコンラトは目を見開いた。
「スミス卿の手配なら間違いありません。あの方はエドワード陛下の意思を誰よりも尊重される御方ですから」
コンラトはそう言いながらも信じられないのか招待状から目を離さない。ボジェナはリアン・スミスを権力者として記憶した。
「確かに諦めるには早いですね。早速ドレスを仕立てなければなりません」
「えぇ、それについて相談があるの」
「相談でございますか」
「私が謁見の日に来ていたドレスは、レヴィ王国ではあまり受けが良くなかったの。だからレヴィ王国の流行にあったものを用意したいのよ」
「メイネス王国の王女としてご出席されるのですから、メイネス流で宜しいではありませんか」
コンラトは本心で言っているように見える。ボジェナは苛立ったものの、表情には出さなかった。
「まずは相手の好みに合わせるべきだと思うの。レヴィ王国内の仕立屋と相談をして作るのが最善ではないかしら」
ボジェナはコンラトに笑顔を向ける。彼女は何としてでもメイネスでドレスを仕立てるのを避けたかった。しかしコンラトの表情は冴えない。
「しかし今からレヴィ王都内の仕立屋を押さえられるでしょうか。この式典は前々から開催されることが決まっており、参加するレヴィ王国内の貴族女性は多いと思いますけれど」
コンラトの言葉にボジェナも困惑の表情を隠せなかった。彼女はレヴィ王国に来たばかり。懇意にしている仕立屋などあるはずがない。ドレス製作を依頼して、受けてくれるとは限らないと気付いたのだ。しかし、だからと言ってメイネスで仕立てるわけにはないかない。
「それなら私が仕立屋を見つけ出せたら、代金を出してもらえるかしら」
「レヴィ王宮で催される式典への参加です。メイネス王女に相応しい装いにする為にも、ここは出し惜しみをしてはいけないと陛下を説得致しましょう」
「それなら私の生活費も出してもらえないかしら。私はフリードリヒ殿下に憐れまれて、このカーディガンを頂いたのだけれど」
ここぞとばかりにボジェナは憂い顔を浮かべる。
「どういう事でしょうか」
「フリードリヒ殿下に身なりを整えろと言われたのだけれど、お金がないと正直に伝えたら貰ったの」
「しかし十分な生活費を書物にされていたのはボジェナ殿下ですよね」
「えぇ。そのおかげで大学に特待生として入学し、衣食住のうちふたつを手に入れたわ。でも衣服代は出ないのよ。みすぼらしい王女なんて言われたら、メイネス王国の印象はどうなるかしら。私は勉強が出来るのなら服に穴が開いていても構わないけれど、母国を軽んじられるのは嫌なの」
ボジェナはコンラトの自国への誇りに訴えた。大陸の中でも小国であるメイネス王国。大国レヴィ国民がそれほど存在を意識しているとは思えない。しかも今の彼女の格好では、貧しい国なのだと印象付けるだけだ。
「父は本当に私をエドワード陛下の側室にする気があるのかしら。その気があるのなら生活費を払い続けると思うのだけれど」
「陛下はレヴィ王家との婚姻を心から望まれておられます」
「それなら生活費を貰ってきて。仕立屋はフリードリヒ殿下に相談してみるから」
「あのフリードリヒ殿下に、でございますか?」
コンラトの言葉には信じられないと言いたげな色があった。ボジェナは納得がいかなくて首を傾げる。
「あの、とはどういう意味かしら」
「勉強にしか興味のない方との評判です。夜会には一切出席をされません。そのような方が仕立屋を存じ上げているとは思えません」
コンラトの言葉にボジェナも納得してしまった。愛想はないので夜会には向かないだろう。ナタリーに相談する手も残っているが、それはこの場で口にするべきではない。
「フリードリヒ殿下の周囲の方が知っていると思うわ」
「しかしフリードリヒ殿下は独身で婚約者もおられません。仕立屋と縁があるとは思えませんけれど」
ボジェナは驚いた。見た目の年齢から勝手に婚約者がいると思っていた。王族に生まれた以上は、性別に関係なく国の都合で結婚をするのが当然なのだと、彼女は思い込んでいたのだ。
「レヴィ王国は晩婚の国なの?」
「いいえ。ベレスフォード卿は確か二十歳で結婚されたと思います」
「どなたかしら」
「フリードリヒ殿下の兄君ウルリヒ様です。今は王都を離れ、領地クラークにいらっしゃいます」
ボジェナは側室になる気などなかったので、レヴィ王家の家族構成については把握していない。しかしレヴィ王国は一夫多妻制であり、メイネス王国と違って側室の人数制限がない。自分の異母兄弟の多さを考えると、まだまだ王族が出てきそうに思えて頭が痛くなってきた。
「レヴィ王国の王家及び公爵家の家族構成を書き出して貰えないかしら。式典に出るまでに覚えた方がいいと思うの」
「かしこまりました。すぐに書き出せる量ではございませんので、後日お持ち致します」
「よろしくね」
ボジェナは勉強以外に時間を割くのは非常に嫌だったが、それ以上に知らなかったからと失礼な振舞いをするのを避けたかった。妙な振舞いをしたせいで特待生の権利を剥奪されるわけにはいかない。彼女の目標はあくまでも大学を卒業し医者になる事なのだから。