断れないのなら利用すればいい
「王女という肩書を捨てるにはどうしたらいいのかしら」
「何と恐ろしい事を仰せになられるのですか」
「メイネスに帰りたかったら帰っていいわよ。私は帰らないから」
ボジェナの言葉にバルバラは驚きの表情を浮かべる。その表情があまりにもおかしくて、ボジェナは思わず笑ってしまった。
「何故笑われるのでしょうか」
「エドワード陛下の側室になれなかった私を、父が受け入れると思う?」
レヴィ国立大学へ留学をしようと決めたのはボジェナだ。それを利用してエドワードの側室にと期待をしたのは彼女の父親である。メイネス王国は一夫多妻で王族が多い事から、再三婚姻によって交流を深めようとしたものの全てを断られていた。誰もが上手くいかないと心で思っていても、誰も国王ベネディクトを咎められない。彼女も父に無理だからやめるべきだとは言えなかった。そして実際叶わなかった場合、戻れる保証などない。
「私が何の為に学業を優先してきたと思っているの。生きる為よ。そしてメイネス王国に私の帰りを待つ人はいない」
幼くして母を亡くしたボジェナの立場は弱かった。彼女の乳母であるバルバラの母のおかげで生活に困りはしなかったが、他の兄弟姉妹より扱いが軽いのは否めない。そして父にも異母兄弟姉妹にも、家族の情を抱いていなかった。彼女にとって家族はバルバラとその母だけなのである。そしてバルバラの母は半年前に病没している。
「レヴィ王国はこの大陸で一番栄えている。私が優秀な医者になれば、肩書など関係なく働けるはずよ」
「王女殿下が働くなどあり得ません」
「私の学生生活費用はレヴィ王国から出ているのよ。その恩に報いる為という大義名分があるわ」
「しかし」
「私はメイネス王国での、女の幸せなんて理解出来ない。結婚して子供を産めば幸せ? 私は母が幸せだったとは、どうしても考えられないわ」
ボジェナの母はメイネス王国の伯爵家出身だ。国王の目に留まり王命で嫁いでいる。しかしボジェナを産み、体調が戻らず夫婦の営みを断るとあっさりと捨てられたのだ。適切に治療を施せば助かったかもしれないのに何もされなかった。それどころか、ボジェナの母が亡くなって十日もしないうちに、国王は空きが出来たと別の女性を迎え入れた。
ボジェナは幼かったので当時の事情は知らない。それでも父親の女性関係は嫌でも耳に入る。国王に見向きもされない子供は他にもいるので、自分だけが不幸だとは思っていない。ただ、メイネス王国に自分の幸せはないと彼女は確信をしている。
「それは確かにそうなのかもしれませんけれど」
バルバラも歯切れが悪い。彼女も母親からボジェナの母について聞いていたが、決して幸せとは思えなかったのだ。
「エドワード陛下は素敵な方だった。それは認めるわ。あの方に愛されたら幸せなのかもしれない。だけど私はナタリー王妃殿下に恨まれるのは嫌」
ボジェナはあまり人と交流をせずに生きてきたので、人の本意を見抜くのは苦手である。ナタリーは穏やかで親切な人に見えたけれど、実際は強かな女性なのかもしれない。だが、彼女にはナタリーの笑顔が作り物には見えなかった。
「この部屋もかなり気を遣って頂いたと管理人のスーザンさんから伺っています」
「そうなの?」
「えぇ。メイネス王国での環境がわからないので、不足するものがあったらいつでも教えて欲しいと言われました。実際は充足し過ぎていて恐縮しているのですけども」
何故母国から資金を引っ張りだせず、他国からこれ程優遇して貰えるのかボジェナにはわからない。確かに彼女は特待生だが、学業を修めた後にレヴィ王国で医者になれとは言われていない。一体何の為にレヴィ王国は自分にお金を払っているのか、彼女は考えてみるものの答えは浮かばなかった。
「それとコンラト・サピェハ大使より謁見の申し出がありました」
バルバラの言葉にボジェナは嫌悪感を隠さなかった。レヴィ王国には国交のある国の大使館が置かれている。メイネス王国も例外ではない。しかしボジェナはコンラトの目的がわかるので、出来れば会いたくはなかった。
「それは忙しいからと断れないかしら」
「難しいでしょう。国王命令でしょうから」
バルバラにあっさり言われてボジェナも納得するしかない。コンラトはメイネス王国の有力貴族である。国王の信を得て、レヴィ王国の大使に任命されたのだ。
何とか断れないかと思考を巡らせながら、ボジェナはひとつの案に辿り着いた。断れないのなら利用すればいいと。
「ねぇ、嘘を吐くのはありかしら」
「露見した時に困るのはボジェナ殿下ですよ」
「でも記念式典に招待されたわ。エドワード陛下にいい印象を与える為のドレスを仕立てたいと言ったら、資金くらい用意してくれるとは思わない?」
「それは嘘ではないですよね」
「私は側室にはなりたくないの。でも側室になれそうな手応えを見せないと、多分資金は出てこない。そして現物ではなくお金で貰わないと辞書が買えないわ」
ボジェナの言葉にバルバラは不審そうな表情を向ける。
「ドレスを新調されないのですか?」
「必要最低限のドレスは用意するわよ。そして出来る限りお金を浮かせて辞書を買うの」
バルバラはわざとらしくため息を吐いた。バルバラはボジェナが生活費の多くを学習費用にしたのを散々見てきた。それでも大学に入れば周囲は同年代の男性ばかりなので、身の回りに気を遣うと思っていたのだ。それが全然変わらない事にバルバラは失望をした。
「それならば普段着の資金も頂けば宜しいではないですか。王弟殿下と友人になったので、いつどこでエドワード陛下に会うかわからないからと」
「いいわね。嘘と断言し難い理由で素晴らしいわ。えぇ、それでいきましょう」
「かしこまりました。それでは明日の夕方、一階の応接室を押さえますね」
「応接室でなくても、ここでいいのでは? ソファーもあるし」
「いけません。独身女性の部屋に大使とはいえ男性を招き入れるなど、言語道断です」
バルバラはボジェナに強い視線を向けた。ボジェナは勉強ばかりしてきたので、自分の価値は賢さだけだと思っている。暗めの栗色の髪に鳶色の瞳で可愛らしい印象を与える顔立ちなのだが、バルバラの母がボジェナをあまり表に出さずに育てたせいで容姿の認識が甘い。バルバラの母が、失礼な視線を投げかける男性から守っていたとは知らないのだ。
「あぁ、そうね。エドワード陛下の側室になりたいという建前が必要だから、誤解を招く振舞いは避けるべきだわ。そうなるとフリードリヒ殿下との友人設定は良くないかしら」
「それは問題ないと思います。レヴィ王家と関係を持つ為の手段と割り切ってくれるでしょう」
「手段という言葉はどうかと思うけれど、何としてでもお金を引き出させるわよ」
ボジェナは瞳を閉じるとソファーに身体を預けて、どのように言えばお金が引き出せるか考え始めた。バルバラは主が脱ぎ捨てたカーディガンを丁寧に畳みながら、お金が手に入ったらまず香水を購入しようと思った。