春の王宮舞踏会
「ボジェナ殿下と婚約?」
王宮舞踏会当日。約束通りセオドアはフリードリヒの部屋を訪れていた。そして今夜フリードリヒとボジェナの婚約発表がある旨を聞かされたのだ。
「他国との結婚云々言っていたのは、ボジェナ殿下を狙っていたからなのか」
「私と彼女はお互いの国の言葉がわかるから意思疎通に苦労がない。だがセオドアの場合はそうはいかないだろう」
勉強熱心なボジェナの質問に、フリードリヒは時折メイネス語を交えて説明をしていた。医学用語はメイネス語にない言葉が多いのだ。専門用語が通じたのだから、今後も困らないだろうと彼は思っている。
「いや別に私はボジェナ殿下をどうとも思っていないからいいけれど」
セオドアの言い方が気に入らなくて、フリードリヒは不機嫌そうな視線を向ける。セオドアは視線を逸らした。
「フリッツがボジェナ殿下を好きだったのを見抜けなかったのが悔しいだけだ」
「世話役の範疇で動いたつもりだからな」
「フリッツの態度は世話役の範疇を越えていた。てっきり陛下が怖いからかと思っていたが、そういう事だったか。まさか先を越されるとは」
セオドアは手にしていた資料をテーブルの上に放り投げるとソファーに身体を預けた。フリードリヒは無表情で資料を整える。
「婚約はするが、結婚は彼女の卒業を待つ。まだ私を追い越す事は出来る」
「教授を目指すならあと五年半かかる。成人後なのにそれほど長期間の婚約でいいのか?」
「学生に公爵夫人の肩書は邪魔だ。いくら私が社交嫌いと言っても、兄の側近になった以上ある程度は避けられない。私も結婚しない方が都合いい」
「私より二歳下とはいえ後継問題が不安にならないか?」
「私一代で終わっても構わない。私の領地とはいえ、今まで縁のなかった土地だ。執着もない」
「フリッツは昔から冷めていたからな。その冷めた男を動かしたボジェナ殿下が素晴らしいという事か。で、その素晴らしい女性はどうした?」
「ライラ姉上に任せた。準備が出来次第呼びに来てくれるそうだ」
「それは正しい判断だな。あの人の態度は好きではないが、宝飾品に関しての拘りはわかる。高級品をさり気なく飾るのも上手い」
セオドアがライラを褒めた事をフリードリヒは意外に思った。
「セオドアはそういう所を見ているのに、独身なのが本当に残念だな」
「残念と言うな。見ていろよ、フリッツの結婚式には息子を抱えて出席してやる」
セオドアはそう言って先程放り投げた資料を再び手に取ると熟読し始める。結婚式に幼児は勘弁してほしいとフリードリヒは思ったが、あえて口に出さなかった。
「ボジェナ、とても綺麗よ。流石ウォーレンだわ」
ボジェナはレヴィに戻ってから、ライラにフリードリヒと婚約した旨を手紙で知らせた。するとすぐに返事が届き、舞踏会での準備を請け負うから迎えの馬車に乗って王宮まで来てほしいと書かれていた。王宮舞踏会の流れも確認したかったボジェナは了承し、バルバラと共に当日の昼前に迎えに来た馬車に乗り、ライラの私室を訪れた。
そこで年齢も性別も不詳な人に「まぁいいでしょう」という謎の言葉をかけられ、丁寧に化粧をされた。その後持ち込んだドレスを着て、バルバラが丁寧に髪を整え、先日フリードリヒに貰った髪飾りをつけた。そのほかの宝飾品はライラからの借り物である。
「あの、先程化粧をして下さった方はどなたなのでしょうか?」
「ボジェナも将来は公爵夫人なのだから紹介すればよかったわね。彼はウォーレン・ハリスン。ハリスン公爵家の当主で宰相よ」
ライラの説明にボジェナは驚きを隠せなかった。フリードリヒとボジェナの婚約については一部の人間しか知らない。しかし宰相の地位なら知っているはずだ。ボジェナは先程のいいでしょうという言葉の意味を考え出した。
「化粧前の言葉は将来の公爵夫人として及第点、という事でしょうか」
「違うわ。あれは化粧するに値する美しさと認めただけよ」
ライラの言葉にボジェナは困惑の表情を浮かべる。ライラはボジェナが安心するように微笑んだ。
「ウォーレンは美しさが一番、賢さ二番の人なの。ボジェナは審美眼にかなったのだから自信を持っていいわ」
「しかし公爵家当主の方に化粧なんて」
「気にしなくていいの。ウォーレンの趣味だから」
「趣味、ですか」
「えぇ。自ら配合した化粧水と乳液を販売しているような人よ。さぁ、準備も出来たからフリッツに迎えに来てもらいましょう」
レヴィ王宮の舞踏会会場は多くの人で賑わっていた。ボジェナは自然とフリードリヒの腕に添えている手に力が入る。
「緊張するかもしれませんけれど、私の家族は味方ですから安心して下さい」
「はい」
フリードリヒの優しい言葉にボジェナは頷く。大学が夏休みに入ったら彼の両親が暮らすケィティへ挨拶に行く予定だが、彼は手紙で両親に婚約の報告をして受け入れられていた。何より国王であるエドワードがこの婚約に乗り気なのだから、誰もひっくり返しようがない。
ボジェナ達がメイネス王国へ向かった後、エドワードは正式な使者をベネディクト宛に立てていた。内容は弟の妻にボジェナを受け入れたいという真っ直ぐなもの。その使者はボジェナ達がメイネスを後にした二日後に到着した。その日は抗生剤の効果が出てきてカヤが回復していた日でもあったのだ。エドワードからの親書を断る術など持たないベネディクトは承諾するしかなかった。ちなみにアルロが手を回し、ラドスワフがベネディクトを陥れたとダリウスは訴えており、メイネス城は現在混乱している。
フリードリヒとボジェナは王族が控える場所まで歩いていく。そこにはライラとジョージが控えていた。ライラはボジェナに向かって握り拳を顔の横に作って微笑む。ボジェナはそれを見て頷いた。
奥の扉が開き、エドワードとナタリーが姿を現す。それまで静かに演奏をしていた楽団の曲調が変わる。ファンファーレが鳴り響き、会場の人々は話すのをやめて国王と王妃に視線を向けた。国王夫妻の横に控える宰相ウォーレンが口を開く。
「エドワード陛下即位記念式典にお集まり頂き誠にありがとうございます。はじめに陛下からご挨拶を頂戴したく思います」
ウォーレンの言葉を受けて、エドワードが一歩前に出た。
「私が即位して五年。皆の協力の元、大きな問題もなく過ごせたこと有難く思う。今後も引き続きレヴィ王国繁栄の為に励んでほしい。それと本日は報告がある」
そう言ってエドワードはフリードリヒに視線を向ける。フリードリヒはボジェナを連れて、エドワードの横まで歩いていった。
「ここにいる弟フリードリヒは、今後公爵家サリヴァンの当主となり、領地ラナマンを治める事となる。そして隣国メイネス王国の第三王女ボジェナ殿下と婚約をした。是非祝福して欲しい」
会場から拍手が沸き上がる。それに応えるようにフリードリヒは一礼をし、ボジェナもそれに倣う。
「今宵は楽しんでほしい。これを持って挨拶とする」
楽団の演奏が舞踏用の音楽に切り替わる。フリードリヒはボジェナを連れて会場の中心まで歩いていく。本来なら国王夫妻が最初に踊るのであるが、今回はフリードリヒとボジェナに任されていた。ボジェナはこの演出を聞いてからずっと緊張している。
「大丈夫ですよ。練習では上手く出来ていましたから」
フリードリヒに微笑まれて、ボジェナもぎこちなく微笑む。そして彼に合わせて一歩目を踏み出した。三歩目に足を踏まずにいられた事で彼女も少し気持ちが落ち着き、それからは彼に導かれるまま彼女は踊りを楽しみ、無事一曲踊り切った。
拍手を受け二人は一礼をする。ボジェナは失敗しなかった事に安堵した。その後フリードリヒは元々予定されていた貴族女性と踊り、ボジェナはライラと一緒に舞踏会を楽しんだ。
舞踏会が終わり、ボジェナはフリードリヒの馬車で寮へと向かっていた。彼女に同行していたバルバラは先に寮へと戻っていた為、馬車の中は二人きりである。
「これからも定期的に会えますか?」
「えぇ、時間を見繕ってこちらに伺います。何かあれば手紙を下さい」
「わかりました」
ボジェナは微笑んだ。フリードリヒは結婚を卒業まで待ってくれる。そして彼女の目指す道を応援すると約束してくれた。公爵家の事についても何も心配しなくていいと言われている。彼女が今まで通り学業に専念出来る環境を整えてくれたのだ。
「本当に色々とありがとうございます」
「私は貴女の笑顔が見られれば、それでいいのです」
柔らかい表情でそう言われ、ボジェナははにかむ。外は暗くてどこを走っているのかわからないが、乗っている時間からしてもうすぐ着く。彼女は幸せな時間の終わりに寂しさを感じていた。
「今日の貴方はとても綺麗です。惚れ直しました」
突然の言葉にボジェナは頬を赤らめる。ウォーレンの化粧技術が素晴らしいとわかっていても嬉しかった。
「ありがとうございます。フリッツ様の正装も素敵で惚れ直しました」
公の場に出る時、フリードリヒは常に眼鏡を外していた。しかし今夜は眼鏡をかけたまま出席していたのだ。それでも彼女には髪型を整え正装をした彼がいつも以上に格好良く見えた。彼女の言葉に彼も表情を和らげる。馬車内の空気が穏やかになり、彼女は前から気になっていた事を口にした。
「フリッツ様。出来れば私の事を貴女ではなく、名前で呼んで貰えませんか?」
「ボジェナ様、で宜しいですか」
「様は要りません」
ボジェナはきっぱりと言った。お互い敬語を使う事に関して違和感を持っていない彼女であるが、婚約者の女性に敬称を付けるのは違う気がしている。しかしフリードリヒは無表情で彼女を見据えた。
「私は貴女とはお互い敬い合い、高め合う関係でいたいと思っています。礼儀上致し方ない場を除き、敬称を用いないのは抵抗があります」
「わかりました。それでは私もフリッツさんにしますので、ボジェナさんにして貰えませんか?」
ボジェナがフリードリヒの気持ちを受け止め、そう提案すると馬車が停まった。
「今日は一日大変だったと思います。ゆっくり休んで下さい、ボジェナさん」
「はい。おやすみなさい」
外から叩く音がして、ゆっくりと扉が開く。まずフリードリヒが降りて、ボジェナに手を差し出す。彼女は笑顔を浮かべて手を添えると馬車を降りた。月明かりはあるものの、扉を開けた御者の表情は認識出来ないほど暗い。彼は軽く彼女に口付けた。
「おやすみなさい」
フリードリヒは微笑みながらそう言うと馬車へと戻る。一瞬の事でボジェナは何が起こったかわからない。暗くて見えていなかった御者は彼女に一礼をすると扉を閉めた。彼女は慌てて馬車が動くのに邪魔にならないように数歩下がる。馬車の窓から彼が笑顔を彼女に向けると、馬車は静かに動き出した。彼女はバルバラが迎えに来るまで寮の前で佇んでいた。
その後、ボジェナは一層勉学に励み首席で大学を卒業。メイから研究を引き継ぎ、レヴィ王国初の公爵夫人教授として女性の為の医学を牽引していく立場となる。フリードリヒもまた国王の側近として福祉や女医の育成に力を入れる。お互いを尊重し第一線で生きていく二人は、貴族達に新しい夫婦の在り方の見本となるのだった。




