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本当に学業を修めに来ただけです  作者: 樫本 紗樹
本編

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43/50

交渉

 王の間には玉座しかない。一人置いていかれたコンラトは、慌てて応接間を整えるよう奔走していた。彼もまたベネディクトがあのような態度を取るとは思っていなかったのだ。

 そしてカヤの部屋から王の間へと戻ってきた三人を応接間へと案内した。メイネス王国には紅茶を飲む習慣がないので、用意されていたのはエールである。

『先程の剣幕は異常でした。彼女は命を狙われているのでしょうか?』

 フリードリヒがボジェナにレヴィ語で尋ねる。勿論横に控えるコンラトも聞き取れ、何を言っているのかわからないのはベネディクトだけ。

「何をこそこそと話している。コンラト、通訳をしろ」

 ベネディクトに振られてコンラトは戸惑いを隠せない。しかし国王命令は絶対である。コンラトはカヤの部屋で何があったかわからないまま、フリードリヒの言葉を通訳した。

「そのような事実はない。気に障るような触れ方でもしたのだろう」

 ベネディクトはフリードリヒがメイネス語をわからないと思っているので、カヤの発した言葉は通じていないと思っている。しかしフリードリヒは正確に聞き取った上で、何を言われたかに言及せず、彼女の雰囲気がおかしいとだけ伝えたのだ。

『それでは過去に誰かの命を奪った事があり、同じ事をされるのではという恐怖に襲われているのでしょうね』

 通訳しているコンラトは口を噤む。何があったかはわからないが、ただの診察ではなかったというのはわかる。

「何と言っているのだ、通訳をしろ」

 ベネディクトは苛々している。コンラトはフリードリヒを見つめるも彼はいつもの無表情。ボジェナも俯いていた。コンラトは仕方なくそのまま通訳する。それを聞いたベネディクトはフリードリヒを睨んだ。

「医者としての仕事もせずに何を言うか!」

「彼は医者の仕事をしようとして遮られたのです。人殺しなどと叫ばれて、気分を害さない方がおかしいと思います」

 黙り込んでいたボジェナが口を挟む。ベネディクトは視線をフリードリヒから娘に動かした。

「何と叫ばれたか、この男はわからないだろう?」

「発熱で苦しんでいる人間が勢いよく手を叩くなど異常です。触れられたくない何かがあると勘繰られてもおかしくありません」

 十日も発熱が続いているのならば、体力はかなり消耗している。早く良くなりたいと願うのが普通だ。それをあえて自ら拒否をしたとなると、カヤは本当に殺されると感じていたとしかボジェナには思えない。しかし首を触られただけで、殺されると判断するとも思えない。フリードリヒが言うように、経験があるからそう考えると思う方が自然だ。

「ただ私以外の男性が触れるのを嫌がっただけだろう」

「もし本当にそうなら、何故女医を連れて来いと書かなかったのですか。レヴィ王国でも医者はほぼ男性です」

「カヤの診察と書いたのだから、そこは無条件で女性を連れてくるものだ」

 ボジェナはため息を必死に堪えた。女性が学ぶ事をよしとしない環境で、医者を目指す女性がどれ程いると思っているのだろうか。そもそも彼女が周囲から奇妙な目で見られてきたのは、メイネス王国に女医がいないからでもある。それにもかかわらず女医を連れて来いとよく言えるものだと呆れた。

「生憎女性の医者の知り合いがおりません。他を当たって下さい」

「あれほど苦しそうにしているカヤを見捨てると言うのか、薄情者」

「彼が触診をしたら判断出来ると言ったのを無視しておいて、薄情とは言葉が過ぎます」

 二人が言い争っている所に、フリードリヒは鞄からひとつの瓶を取り出すとテーブルの上に置いた。

『病状の確定は出来ませんが、こちらは抗生剤です』

 フリードリヒの言葉をコンラトが通訳する。しかし抗生剤という言葉もメイネス語にない為、薬と訳すしかなかった。

『色々な症状に効果のあるものですが非常に高価です。この瓶ひとつで金の延べ棒五本です』

 コンラトはそれが適正価格かわからないまま通訳をする。ボジェナも抗生剤が高いとは知っているが、薬価は学んでおらず正しい価格がわからない。フリードリヒはいつもの無表情のまま。ベネディクトのフリードリヒに向ける視線も猜疑心に満ちている。

「高すぎる。レヴィ王家の者が足元を見るのはどうなのだ」

『あくまでも瓶ひとつの値段です。本来なら錠剤で処方するのですが、診察出来ていない以上、適正量の判断は致しかねます』

 フリードリヒもエドワードからの借金で購入したものだ。買った値段そのままではなく上乗せしている。この薬はケィティにある一店でしか取り扱いがなく、レヴィ王国外に流通させていないので、ベネディクトがどう足掻いたとしても手に入らない。カヤを治すには十錠もあれば足りるだろうが、瓶ごと購入して今後に備えるべきだとフリードリヒは思っている。

「だが確実に治るというものでもないだろう」

『勿論治せない病気はありますので、病気によっては役に立ちません』

 フリードリヒは商売をしに来たわけではないので売れなくてもいい。買った価格そのままで病院に買い取ってもらえば済む話だ。彼も医者として命を救いたい気持ちはあるが、望まれていないのに助けるのは違うと思っている。

『貴方は夫人が亡くなれば、すぐに次を迎えられていたと聞いています。次を探す方が安くすむでしょうね』

 フリードリヒは無表情のまま瓶を鞄に戻した。コンラトは必死に当たり障りのないように通訳をする。ボジェナは、はらはらしながら見守る。

「その薬の効能が出てから支払う、それでどうだ」

『生憎私は仕事の為に急ぎ国へ戻らねばなりません。後払いは対応致しかねます』

「そのような事を申して偽の薬を売るつもりであろう。他国から金を巻き上げるとはろくでもないな」

 フリードリヒは何を言われているのか理解出来ているにもかかわらず、コンラトが通訳をするまで無表情を貫く。そして聞き終わると冷めた視線をベネディクトに向けた。

『ご自分の借金のかたに娘を売るような人に言われたくはありません』

 フリードリヒもボジェナとカヤの部屋の違いには当然気付いていた。メイネス王国は国王に権力がある為、国王に阿っている者は満足な暮らしをしているのだろう。だがその尻拭いを娘にさせるのは国家の上に立つ者として許容出来ない。彼は鞄から延べ棒を出した。

『他にも娘がいらっしゃると聞いています。ボジェナ殿下はレヴィ王国に頂けないでしょうか』

 ボジェナの生活費にと渡された金の延べ棒一本と銀の延べ棒三本。フリードリヒはそれをきっちりとテーブルに置いた。

「借金のかたなどと戯れ言を申すな。ボジェナを娶りたいと言うからその男と結婚させるまで」

「それでしたら私とボジェナ殿下との結婚を許して頂けないでしょうか。彼女は大学を続け医者になるべき人です。彼女自身に価値がありますから持参金は要りません。私にとって必要な女性なのです」

 突然フリードリヒが流暢なメイネス語を話し出し、ベネディクトとコンラトが驚き目を丸くする。一方ボジェナは必要だと言われたのが嬉しくて頬を赤く染めた。

「そなた、メイネス語がわかるのか」

「私がわかるのは公国語であり、その応用で話していますので、聞き取れない箇所があったら申し訳ありません」

「つまりカヤが口走った事も聞いていたと」

「えぇ、人殺しなどという穏やかではない言葉を聞くとは思いませんでした」

 ベネディクトはわなわなと口を震えさせながらボジェナを睨んだ。

「ボジェナ、お前は知っていて黙っていたのか」

「ボジェナ殿下を責めないで頂けますでしょうか。私がメイネス語に不安があるので通訳を依頼したのです」

「不安? それほど流暢に話してか」

「ボジェナ殿下との会話はレヴィ語で、メイネス人とこれ程話したのは初めてです」

 フリードリヒは別に嘘を吐いていない。彼はライラの練習に付き合っただけで、彼自身メイネス語など役に立たないと思っていた。だが今は巻き込んだライラに感謝をしている。やはり通訳を通さない方が早くて正確なのだ。

「兄は側室を絶対に迎えません。たとえ王妃殿下が亡くなったとしても同じです。無駄な事はされない方が宜しいと思います」

「急に何だ。私を誰だと思っている」

「兄は国王として常に国が富む為の努力を惜しみません。国王とはそういう仕事をしている者を指す言葉だと思っております」

「いくらレヴィ王家の者だとしても聞き捨てならぬ」

「ここで私を亡き者にするとレヴィ王国から怒りを買いますよ。兄はとても弟思いで、戦争するのを躊躇いません」

 フリードリヒは無表情のままベネディクトを見据えた。ここでフリードリヒが殺されたとしても、エドワードが戦争するとは彼も思っていない。それでも貸した金を回収する為に何かしてくれる気はしている。

「陛下。フリードリヒ殿下はエドワード陛下の側近として今後働く御方です。敵に回すのは如何かと思います」

 通訳の仕事がなくなり、無言で成り行きを見守っていたコンラトがベネディクトに耳打ちをした。コンラトは長く大使を務めているので、レヴィ王国の事情はベネディクトよりも詳しい。それに彼はボジェナが学生生活を続け、レヴィ王国で地位を得ればメイネス王国の為になると思っている。コンラトに母国を裏切る気はない。

「兄弟でも母が違うのだ。仲が良いはずがない」

「彼は領地を貰ったばかりなので手元に資金はないはずです。エドワード陛下が助けていると思うのが自然でしょう」

 レヴィからメイネスまで来るのに費用がかからないはずがない。そしてボジェナの手元が寂しい事をコンラトは知っている。全ての移動費用と抗生剤、そしてボジェナに昨秋渡された生活費を一晩で用意するのはレヴィの貴族でも難しい。しかしエドワードが手を貸しているのなら話は別。コンラトもエドワードが弟思いだとは思っていないが、フリードリヒの面目を潰されて黙っているとも思えなかった。

「国が亡くなってしまったら何の意味もありません。そしてレヴィ王国は我が国を潰そうと思えば出来る程の大国です」

 レヴィ王国は大陸一の国家なので、交易を止められて困るのは断然小国であるメイネス王国だ。実はメイネス王国でしか育たない植物があり、それが今回持ってきた物とは違う抗生剤に必要であるのだが、そのような事をベネディクトもコンラトも知らない。フリードリヒは知っているが言う気はない。

「別にお父様の許可なんて必要ありません。私はフリッツ様と一緒に生きていきます」

 全く話が進まない事にしびれを切らしたボジェナがそう告げた。ベネディクトは苛立ちの表情を彼女に向ける。

「勝手な事を言うな。それが許されると思うのか」

「私はレヴィ王国で一生暮らすと決めました。お父様の指図は受けません」

「誰のおかげでここまで生きてこられたと思っているのだ」

「母と乳母と侍女のおかげです」

 ボジェナの啖呵にかっとなったベネディクトは手を振り上げる。彼女は咄嗟に目を瞑ったものの、父の手が振り下ろされる事はなかった。恐る恐る彼女が目を開けると、フリードリヒがベネディクトの腕を掴んでいた。

「貴方が娘を大切にしていない事がよくわかりました。私も出来れば穏便に済ませたかったのですが致し方ありません。彼女を連れて早急にレヴィへ戻り兄に相談したいと思います」

「メイネス王国でそのような勝手が許されると思うのか」

「文句があるなら兄にお願い致します」

 フリードリヒはベネディクトの手を離すと、鞄から再び瓶を取り出し、抗生剤を封筒に十錠入れてテーブルに置く。

「私の勝手な振舞いはこちらで許して頂ければ幸いです。またカヤ様のご回復をお祈りしております。それでは失礼致します」

 フリードリヒはベネディクトに一礼をするとボジェナに手を差し出す。彼女は迷いながら、そこに手を添えて立ち上がった。父に何か言葉をかけるべきか迷ったものの何も言葉が浮かばない。ベネディクトはテーブルの上の封筒を見つめていて、彼女を見てもいない。フリードリヒを見上げると彼が頷いたので、彼女も彼に手を引かれるまま部屋を後にした。

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