優秀な医者の見立て
コンラトが先行してメイネス王国へ向かっていた為、フリードリヒの馬車は問題なくメイネス城内へと招き入れられた。
移動中は大学生活と同じ格好をしていたボジェナだが、流石にそれで父に会うのは気が引けたので一旦着替える為に自室へと向かう。半年ぶりに入った部屋はそのままの状態で清掃されていた。
「誰かが掃除をしていてくれたのかしら」
「取り急ぎ見える所だけ掃除をしたのだと思います」
ボジェナは元々帰るつもりがなく留学をしたので、この部屋には何も残していかなかった。目を引くような調度品はないが、全て売られていてもおかしくないと思っていたので、残っている事が意外だった。
「早速頂いたワンピースに着替えましょう」
ラナマンの館に泊まった翌朝、出立前にボジェナは一人の男性と会っていた。ボジェナの格好を見た使用人が、ラナマンで一番有名な仕立屋を呼んでいたのだ。何も買わずに帰すのも気が引け、またフリードリヒが領地の為と思って選んで欲しいと言うので既製品を二着選び、その一着をバルバラは取りだした。
ボジェナはワンピースに着替える。バルバラが慣れた手つきで髪を整えていくと、フリードリヒに買って貰った髪飾りをつけた。
「レヴィ人みたいですね」
バルバラが鏡に映るボジェナに向かって微笑みかける。今日の装いはメイネス王国の格好ではない。身体の線を隠して全身を覆うワンピースなど、この国の貴族女性で着ている者はいない。
「えぇ、私はレヴィ人になるのよ」
「ラナマン夫人ですものね」
「正式に婚約はしていないから」
ボジェナはそう言いながらも、表情は柔らかい。馬車の中でフリードリヒと再び話し合った。彼は未来についても楽しそうに話してくれ、彼女もその未来を信じている。これから父が何と言おうとも、絶対に己の道を諦めるつもりはなかった。
「失礼致します。サピェハですが、準備は如何でしょうか」
「もう整っているわよ」
ボジェナの声を聞き、扉を開いてコンラトが部屋に入ってくる。その後ろには鞄を持ったフリードリヒがいた。鞄の中身は医療道具だろう。
「本当にフリードリヒ殿下を医者として紹介されるのですか?」
事情を聴いたコンラトではあるが、どうにも納得出来ていない様子だ。コンラトとのやり取りは今までもメイネス語であったが、フリードリヒがいてもレヴィ語に切り替えないのは、フリードリヒに聞かれたくないのだろう。フリードリヒがメイネス語を理解していると知っている者は少なく、コンラトは知らないのだ。
「医者なのは噓ではないわ。カヤ様の病状を言わない父が悪いのよ」
「それはそうかもしれませんが、陛下の機嫌を損ねるような事になったらと思うと私は気が気でないのですけれども」
「そうなったらレヴィで仕事を探せばいいでしょう? レヴィ語を話せるのだから」
「簡単に言わないで下さい」
コンラトは困ったような声色だ。ボジェナは別段メイネス王国に恩義など感じていないが、彼は違うのだろう。しかし彼女は彼の人生まで責任を負う気はない。
「フリードリヒ殿下は私の質問に何でも答えて下さるのよ。幅広い知識を持っていらっしゃるのだから、優秀な医者である事は間違いないわ。あとはカヤ様が治る病気かどうかね」
いくら優秀な医者でも全ての病気を治せるわけではない。レヴィ王国でも研究中の病気は数えきれないのだ。そして何の環境も整っていないメイネス王国で病気の特定は簡単ではない。
『ここで話していても仕方がないわ。とにかく行きましょう』
ボジェナはレヴィ語でそう言った。フリードリヒがメイネス語をわかる事は内緒にする約束である。そもそも大国が小国の言葉など知らないのが普通だ。フリードリヒ自身もどこまで自分のメイネス語が通用するかわからないので、黙っていた方がいいと判断した。また、その方が通訳をするふりをしてボジェナとレヴィ語で相談出来るだろうという狙いもある。
ボジェナ、フリードリヒ、コンラトは王の間へと向かった。王の間に入るとコンラトとボジェナは跪く。メイネス王国ではこれが習わしである。フリードリヒは迷ったものの、二人に習ってボジェナの横に跪いた。
暫くして室内にベネディクトが入ってきた。
「面を上げよ」
ベネディクトの声に、三人は一斉に顔を上げる。
「その者が優秀な医者か?」
ベネディクトは何の挨拶もなく突然切り出した。労いの言葉などボジェナは最初から期待はしていなかったが、それでもフリードリヒに対しては国王として正しく振舞って欲しかった。コンラトから彼の身分は知らされているのだから。
「彼はエドワード国王陛下の弟であるラナマン卿です。レヴィ国立大学医学部で様々な研究をされておられます」
もしかしたらコンラトの話を聞いていないのかもしれないとボジェナは説明をした。ベネディクトは不満そうな顔をする。
「研究者は医者とは呼ばないのではないか」
「病院では診察もされていらっしゃいます。ラナマン卿は患者の身分にかかわらず、平等に対応される優秀な方です」
王都にある国立病院は国民全てに開かれている。勿論治療費は有料ではあるが、貴族だから優遇されるという事もない。そしてフリードリヒは誰に対しても同じ態度で診察していた。
「カヤが治るなら何でもいいが。こちらだ。ボジェナも通訳としてついて参れ」
ベネディクトは立ち上がると部屋を出ていく。その後をフリードリヒとボジェナはついていった。カヤの部屋に入った時、ボジェナは驚きを隠すのが精一杯だった。自分の部屋とはあまりにも違う煌びやかな部屋だったのだ。しかし今は部屋の調度品などを見ている場合ではない。部屋に置かれた大きなベッドには、苦しそうにしているカヤの姿があった。
『いつ頃から寝込んでおられるのでしょうか』
フリードリヒの言葉をボジェナが通訳をし、答える侍女の言葉を通訳する。フリードリヒは何か気になったのか、カヤの首元を見つめている。
『触診をしても大丈夫でしょうか?』
ボジェナはベネディクトに通訳をする。本来なら国王の夫人に男性が触れるのは良くないだろう。しかし見た目だけで病気を判断する事は出来ない。
「ボジェナが触って伝えればよかろう」
「私は未だ医者の資格を有しておりません。誤診で取り返しがつかなくなる可能性もあります。カヤ様が大切なのでしたら許可をお願いします」
そもそもボジェナは何も思い当たっていない。長らく高熱が出て寝込んでいると言われ、いくつか病気は思い当たるものの絞り込む事は出来ない。
ベネディクトは不満そうにしながらも許可を出した。ボジェナは呆れながらそれをフリードリヒに伝える。自分以外の男性が触れるのが嫌ならば女医を育てればいいのに、今まで医者を呼ばなかった父にはわからないのだろうなと、彼女は内心思っていた。
フリードリヒはカヤの首元に手を当てた。その瞬間カヤが思い切り手を叩く。
「首を締めようとしないで! 人殺し!」
高熱で息も荒いというのに、カヤはフリードリヒを睨んだ。カヤの言葉を聞いて、部屋の中にいる騎士達は槍を握りしめる。
『助けるつもりだったのですが、このまま放置しますか?』
フリードリヒは無表情でボジェナに問いかけた。ここが大学なら彼が左手を上げただけで警備の者が駆けつけてくれる。しかし今は彼の従者さえいない。
『病気の見当がついているのでしょうか』
『おそらく扁桃腺が腫れているのだと思います。触らせてもらえれば確信出来るのですが』
ボジェナはベネディクトに向き直った。そして自分の首元に手を当てる。残念ながらメイネス語に扁桃腺に該当する言葉がないのだ。
「ここにヘントウセンというものがあり、腫れているか触って確認したいそうです。そこが腫れていれば治療法があるとの事です」
「カヤは十日以上熱が続いているのだぞ。少し触っただけで本当にわかるのか?」
「彼は知識が豊富です。信じて下さい」
約半年医学を学んで、ボジェナはメイネス王国とレヴィ王国では医学の差が大きい事を実感していた。メイネス王国では諦めてしまう病気もレヴィ王国では服薬で治る。扁桃腺の腫れも自然治癒力に任せて助かる可能性はあるが、抗生剤を投与した方が確実だ。
ベネディクトは不安そうな表情でカヤを見つめる。カヤは嫌そうな表情を浮かべていた。
「カヤが望んでいないようだ。診察はもういい」
「それなら何故医者を連れてくるように言われたのですか。助ける気がないのなら、最初から言わないで下さい」
ボジェナは納得出来ず思わず口にしていた。治療出来ると言っているのに、拒否する理由がわからない。彼女はカヤの生死に興味はないが、医者を目指す者として助かる命を助けないのはすっきりしない。
「助ける気はある。だがカヤが望まない事はしない」
「そうですか。それでは私はレヴィ王国に帰らせて頂きます」
「何を言っているのだ。大学は中退するように言っただろう」
「カヤ様が望まない事をされないのであれば、私も中退は望んでおりませんのでご遠慮下さい」
「カヤとお前では立場が違う。子供は親の言う事を黙って聞いておればいいのだ」
「嫌です」
『病人のいる場所で話し合いをするのは良くないと思います』
ベネディクトとボジェナの言い争いを、フリードリヒの冷めた声が遮る。ボジェナはすぐに反省をした。いくら母親が亡くなってすぐに父の夫人に収まった女性でも病人だ。近くで騒がしくするのは正しくない。
「お父様、ここではカヤ様の病状が悪化しかねませんから場所を移しましょう」
「わかった」
ボジェナの冷静な提案に、ベネディクトは頷いた。三人はそのまま最初に居た王の間へと戻っていった。




