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本当に学業を修めに来ただけです  作者: 樫本 紗樹
本編

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41/50

メイネス王国への道中

 移動三日目の夕方。フリードリヒの馬車はとある屋敷の中へと入っていった。馬車が止まると、フリードリヒはボジェナとバルバラにそのまま中にいるように言い、一人だけ馬車を降りた。

「お待ちしておりました」

 壮年の男性が頭を下げる。それに対してフリードリヒは頷きで応えた。

「陛下から連絡があったかと思うが、急な事ですまない」

「いいえ。元々準備は整っておりましたので、何の問題もございません。紋章も出来上がっております」

 壮年の男性は玄関に飾られた紋章へ視線を向ける。フリードリヒも同じように視線を動かす。以前はラナマン伯爵家の紋章が飾られ、王家直轄地になった時にレヴィ王家の物に取り換えられた。それが今は新しい紋章になっている。これからのラナマン領主を表す新しい紋章は、公爵家として相応しく王家と同じ鷲を用いている。

「新しい家名も決まったと聞いております」

「あぁ、今度の王宮舞踏会で披露される。今後はサリヴァン家の執事として貴方には支えて頂きたい」

「かしこまりました。誠心誠意勤めさせて頂きます」

 壮年の男性が一礼した所で、フリードリヒは馬車へと向き直り、御者が扉を開けた。フリードリヒに手を差し出され、ボジェナはよくわからないまま馬車を降りる。

「正式な手続きはこれからだが、婚約者のボジェナだ」

 ボジェナは急にフリードリヒに名前を呼ばれた事に驚いた。しかしその驚きを伝える暇もなく、男性が彼女に向って一礼をする。

「お初にお目にかかります。この家の執事を務めさせて頂いておりますローガンと申します。以後お見知りおきを」

「はじめまして。ボジェナ・ポトツキです」

 ボジェナは混乱のままフリードリヒを見上げる。馬車での移動中、お互いの事について色々と語り合った。しかし今何処にいて、目の前の執事が誰なのかという説明は一切受けていない。

「ここは私の所領ラナマンの館だ。宿に泊まるよりは寛げると思う。私も初めて泊まるのだが」

 フリードリヒの説明を受けてボジェナは目の前の建物に目を向けた。元々伯爵家だったとはいえ、十分に立派な館である。とても寛げるとは思えない。

「夕食までもうしばらく時間がございますので、居間にご案内致します」

 ローガンはそう言うと玄関を開けて館の中へ二人を導いていく。王家の管轄となってからは建物を維持していただけなので、美術品が飾られていたり、華美な調度品が置かれていたりはしない。それでも生活に必要な最低限の物は揃えられていた。

 ボジェナは案内された居間のソファーに腰掛けた。フリードリヒはその向かいに腰掛ける。バルバラは不安そうな表情のままボジェナの後ろに控えた。

「緊張しなくて大丈夫ですよ。自宅だと思って下されば結構です」

 フリードリヒにそう言われても、ボジェナにはそう思えない。大学の寮でさえ母国の自室と比べ物にならないのに、更に広い居間でどのように寛いでいいのかわからない。

「今後はこちらで暮らされるのですか?」

「いいえ。年に数回足を運ぶ程度になるでしょう。私の仕事はあくまでも陛下の側近なので、領地に関してはローガン達に任せる形になります」

「私はこのような格好で大丈夫でしたか?」

 ボジェナはバルバラと一緒に選んだ服を気に入って着ている。しかしそれが庶民向けなのはわかっている。ライラが着ているワンピースが貴族として普通なのだとしたら、ボジェナはフリードリヒの婚約者として相応しい格好をしているとは思えない。

「貴女の着たい物で問題ありません。新しいものが必要でしたら王都に戻ってから仕立てましょう」

「いえ、これで問題ないのなら、新しいものは要りません」

 ボジェナはフリードリヒが王家の人間だから好きになったわけではない。医者になる為の道を塞がれないのなら、それ以上に望むものなどなかった。お洒落に興味がないわけではないが、贅沢には興味がない。

「王都にも屋敷を構えようかと思ったのですが、それは貴女の卒業後に考えようと思っています。大学生活を送るなら寮で暮らした方がいいと経験上わかっていますので」

 ボジェナはどう返事をしていいのかわからなかった。今はメイネス王国へ向かっている途中で、自分の将来がどうなるのか彼女には想像出来ない。しかしフリードリヒは彼女が問題なくレヴィ王国に戻って来られる前提で話を進めている。

「勿論、貴女の気持ちが変わった時はいつでも婚約を解消して頂いて大丈夫です」

 ボジェナの困惑を違うように捉えたフリードリヒが付け加える。その言葉が彼女には面白くなかった。

「フリッツ様の気持ちが変わった場合、私はどうなるのでしょうか」

「私は王家の人間ですから色々な女性と接する機会がありました。先日のホワイト侯爵令嬢のような事態は初めてではありません」

 ボジェナは自分の問いに対し、フリードリヒの返答に納得がいかず訝しそうな視線を向けた。それを彼は無表情で受け止める。

「貴女に対して失礼に振舞ってしまい申し訳ありません。陛下の側室問題はどうしても避けたかったのです」

「そちらに関しては謝って頂かなくて結構です。父に問題がありますから」

 ボジェナは思っている事をそのまま口にした。エドワードと謁見の日に着ていたドレスを見れば誰もがそう思うだろう。舞踏会用のドレスを仕立てた今となっては、如何に相応しくないドレスだったかもわかる。彼女も勉強で手一杯だったとはいえ、父に意見をすればよかったと後悔している。

「貴女の生活態度を見ていて、本当に学業を修めに来ただけだとわかりました。様々な面倒から逃げるように教授の道を選んだ私にとって、貴女の姿はとても綺麗に見えました」

 フリードリヒの言葉を上手く理解出来ず、ボジェナは数回瞬きをした。

「貴女と結婚する為に爵位が必要だと思い、色々と行動をしてきました。それが貴女の重荷になるのなら無理強いをするつもりはありません。貴女を嫌いになる事もないでしょう」

「それはわからないではありませんか」

「未来について断言するのは難しいです。それでも愛おしいと思った女性は貴女が初めてです」

 思わぬ告白にボジェナは恥ずかしくなり視線を伏せた。好意は感じていたものの、馬車での会話でも恋愛感情に関した話はなかったのだ。

「貴女が笑顔で暮らせるのなら関係は何でも構いません。ただベネディクト陛下は貴女の笑顔を奪うでしょうから、確実に叩こうと思っています」

「兄の説得をするという事でしょうか」

「それは向こうに着いてから考えます。実際自分の目で見てみない事には、正しく判断出来ませんから」

 フリードリヒの言葉にボジェナは安堵した。彼女はあの手紙を見てから父を血縁者とは思っていないので、国に家族はいないと思っている。母方の祖父母も他界しており、伯父とは疎遠だ。それでも国が荒れる事など望んでいない。

「私の最優先事項は貴女をレヴィ王国へ連れ戻す事です。万が一メイネス王国から出られなくなった場合は手段を選びません。それだけは理解して貰えると助かります」

 フリードリヒは真剣な表情をボジェナに向けた。彼女はここまで気軽に来てしまった事に気付く。彼との婚約に浮かれていたが、もしかしたら大変な事になるかもしれない。

 ボジェナが口を開く前に扉を叩く音がし、夕食の準備が整ったと声がかかった。

「それでは夕食にしましょう。申し訳ありませんが、夕食後はここの者達と打ち合わせがあります。貴女はゆっくりと休んで下さい」

 フリードリヒはそう言うと立ち上がった。そもそも彼は忙しい所をボジェナに付き合ってくれているのだから、彼女に文句はない。むしろ通り道だったとはいえ彼が自分の事に時間を割いてくれて、彼女は少しだけ罪悪感が薄らいだ。


 夕食後、ボジェナは戸惑いを隠せなかった。使用人達から将来の公爵夫人という扱いを受けたのだ。断ろうとする間もなくボジェナは強引に入浴をさせられ、客間の寝室へと押し込められていた。

「慣れない事は疲れるわね」

「本当でございますね」

 バルバラも疲れを隠せない。侍女の役目を果たせず客人扱いを受けていたのだ。乳母の子供として育ち、そのままボジェナ付きの侍女となったバルバラには初めての客人扱いが非常に居心地悪かった。

「ボジェナ殿下がフリードリヒ殿下とご結婚される事は心から祝福致しますけれど、私の扱いはどうか侍女のままでお願いします」

「私は本当にフリッツ様と結婚出来るのかしら」

「老人の商人と結婚は反対です」

「それは私も嫌だけど」

 ボジェナには公爵夫人が何をするのかわからない。しかし今もフリードリヒは家人達と打ち合わせをしている。何もしないでこのまま寝てもいいのだろうかと彼女は不安で仕方がない。

「後ろでお話を聞いていましたけれど、フリードリヒ殿下の愛情はひしひしと伝わってきました。二人きりにしたかったのですけれども、逃げ道がわからず申し訳ありません」

「そういう気遣いはいいから」

「折角気持ちが通じ合ったのですから、触れ合いたいと思うのは自然な事です。これからは御者席に座りましょうか」

「だからそういう気遣いは要らないわ」

 ボジェナは恥ずかしそうにそう言った。気持ちが通じ合ったのは嬉しいが、その先の事まで彼女は頭が回っていない。二人きりになるのは困るのだ。そんな主の心境を理解してバルバラは微笑む。

「かしこまりました。それでは今夜はフリードリヒ殿下のお言葉に甘えてゆっくり休みましょう。明後日には陛下と対峙しなければいけないのですから」

「そうね。休める時に休んだ方がいいわよね」

 ボジェナは頷くとベッドに体を横たえた。フリードリヒの配慮で道中も高級宿ではあったが気分が違う。彼女は瞳を閉じるとあっという間に眠りに落ちていった。

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