ぶっきらぼうな世話役
ボジェナは学生寮を出て呆気に取られていた。昨日馬車で移動した際はナタリーと話していた為、窓から外を覗けず大学の様子を把握していなかったのだ。メイネス王国に大学はないので比べようもないが、建物がいくつかあり何処へ行くべきか見当もつかない。
ボジェナは抱えていた書類から地図を探し出した。しかし彼女は地図を見る事に慣れておらず、方角さえもわからない。
「どうかしましたか?」
ボジェナが声のした方へ視線を向けると、見知らぬ男性が立っていた。
「案内しましょうか?」
ボジェナは迷った。目の前の男性は親切で言ってくれているのだろう。しかし男性の視線が気になる。この国へ来て初めて胸への視線を感じたのだ。万が一、人気のない所にでも連れて行かれたら困るので、彼女は頼るかどうか迷った。
「結構だ。彼女は私の後輩だから」
「で、殿下。そうでしたか。存じ上げず失礼致しました」
男は頭を下げるとそそくさと去っていった。ボジェナは背後に向き直る。そしてフリードリヒに頭を下げた。
「助けて頂きありがとうございます」
「何故迎えを待たずに部屋を出たのでしょうか」
フリードリヒは冷めた視線でボジェナを見下ろしていた。彼女は内心疑問に思う。
「一人で頑張れと、そちらの方に言われたからです」
ボジェナはフリードリヒの後ろに控えていたセオドアに視線を移す。フリードリヒは振り返るとセオドアを睨んだ。
「勝手な事を言うな」
「私達は彼女に構っている時間などないだろう?」
「私は兄から命じられている。時間がなくとも彼女に構わなければならない」
不機嫌さを隠す気もないフリードリヒに、ボジェナはどうしたらいいのかわからない。
「いや、王妃殿下の依頼だろう?」
「王妃殿下の依頼は即ち陛下の命令だ。看過されると思うな」
「あの、元々一人で頑張るつもりでしたから、どうぞお気遣いなく」
男性二人の言い争いに、ボジェナは口を挟んだ。二人の関係性を彼女はまだ理解出来ていないが、少なくとも自分のせいで揉めるような事だけは避けたかった。
「そういう訳にはいかないのです。貴女が真面目に学生生活を送るかを見届けなければいけないのですから」
「それは私が特待生だからでしょうか」
「それもありますが、貴女の背景に因る所です」
ボジェナは父の行動を恨みたくなってきた。彼女の純粋に学びたいという気持ちが全く伝わらない。そして昨日感じたエドワードの言外は間違っていなかったと確信した。
「そちらの服装は貴女の国での普段着でしょうか。昨日とはあまりにも違い過ぎる気がするのですけれども」
ボジェナは昨日ナタリーに答えたように、踝丈のワンピースを着ている。丸首の襟で決して露出はしていない。ただ着古した感は隠せておらず、王女らしさの欠片もなかった。
「我が国は小国ですから」
一方フリードリヒもセオドアも軽装ではあるものの、品の良さはボジェナにもわかる。先程の男性でさえ自分よりましな格好をしていたと思うと、彼女は自分が惨めに思えてきた。
「富は王家に集中していると聞いていますけれど」
「王家ではなく国王に集中しているのです」
ボジェナは正直に答えた。隠す必要性を感じなかったのだ。
「それは何処の国でも同じではないでしょうか。私が自由に出来るお金など、ほぼありません」
フリードリヒにそう言われてもボジェナは納得出来ない。彼の身なりは十分に整っている。国力の差と言われればそうなのかもしれないが。
「同じ一夫多妻でも国による差は致し方がありません。それに私は幸運な事に異母姉に恵まれました」
「異母姉、ですか?」
ボジェナはその意味を理解しかねた。彼女には異母兄弟姉妹は多いものの、誰一人親しくはない。また同母の兄弟姉妹もいなかった。
「えぇ。息苦しい王宮でも味方が一人いるだけで呼吸がしやすくなるものです」
「ですが、殿下のお母様はご健在ですよね」
ボジェナは母がいないからこそ、母国での立場が弱かった。フリードリヒの母は王妃という立場だったのだから、息苦しいとは無縁ではないかと彼女は疑問に思う。しかし彼は冷めた視線を彼女に向けた。
「母が必ず自分の子に愛情を持つとは限りません」
感情のない声色にボジェナは何と返していいのか見当もつかなかった。政略結婚が当たり前の王家で、愛情のある関係がいかに難しいかボジェナもわかってはいる。だがそう言って片付けてはいけないような気がしたのだ。
「無駄話はこれくらいにして、身なりを整えたいと王妃殿下に伝えてはいかがでしょうか」
「いえ、衣食住のふたつを既に御援助頂いています。これ以上お願いするわけには参りません」
「しかし貧乏学生のような恰好をされても困ります。一応貴女にはメイネス王女の肩書があるのですから。それを利用しようとしない国など、先が見えていますけれど」
「利用?」
ボジェナはフリードリヒの言い方が気に食わず、思わず不満そうな声を上げた。しかし彼はそれを気にも留めずに続ける。
「貴女が狙うべきは陛下の側室ではなく、この大学にいる優秀な貴族の息子でしょう。メイネス王国の発展に必要な人材を引き抜く方が余程国の延命に繋がります。その投資をしないとは浅はかとしか言いようがありません」
フリードリヒの言い方はまるで、メイネス王国が滅びる前提である。しかしボジェナは反論出来ない。彼女はそれを憂いて医学を専攻したのだ。母と同じように亡くなる女性を助けたいと始めた勉強ではあるが、医者ならば何処ででも生きていけるという打算もある。
「セオドア。知り合いの女性から何か羽織れる物を借りてきてくれ」
「無茶を言うな。放っておけよ」
「役に立たないな。だから姉上に興味を持たれなかったのだろう」
「どういう意味だよ」
「そのままだ。先に行ってくれ。私は彼女と管理人室へ寄るから」
フリードリヒの声色は冷たく、セオドアに有無を言わせない圧があった。セオドアは不満そうな表情を隠さず頷くと一人で歩き出す。ボジェナはどうしていいのかわからず、フリードリヒの次の言葉を待った。
「学生寮の一階に管理人室があります。ついて来て下さい」
フリードリヒはそう言うと学生寮へと歩き出す。ボジェナは無言で彼の後ろをついていった。
「おはようございます、殿下」
学生寮の一階、廊下に向けて窓があり、そこから女性がフリードリヒに声を掛けた。
「おはよう。昨日依頼していた物を受け取りに来たのだが」
「えぇ、ご用意していますよ。一旦部屋の中へお入り下さい」
女性は管理人室の扉を開けてフリードリヒとボジェナを部屋へ迎え入れた。そして女性は笑顔を浮かべてボジェナに一礼をする。
「はじめまして。この学生寮の管理人を務めておりますスーザンと申します」
「メイネス王国出身のボジェナ・ポトツキです」
ボジェナは自分の名を母国語の発音にした。ナタリーから説明を受けているのならば、その方が伝わると思ったのだ。スーザンはにこやかに微笑んでいる。
「王妃殿下より話は伺っております。お困りの事がございましたら何なりとお申し付け下さいませ」
「ありがとう」
「こちらが頼まれていた物です。お気に召すと宜しいのですけれども」
ボジェナはスーザンに手渡された物を広げた。それは少し大きめな紺色のカーディガンだった。質素ではあるが、肌触りはなめらかで高級品だとボジェナにもわかる。
「気に入らなくても今日はそれを羽織っていて下さい」
「しかしこのような物を頂くわけには」
「そのような格好で出歩かれる方がこちらとしては困ります。釦は閉じて頂けると助かります」
「わかりました」
言葉は丁寧だが有無を言わせない圧を感じ、ボジェナは受け入れるしかなかった。彼女はすぐにカーディガンを羽織る。ゆとりがあるので釦を全て閉じても苦しくはない。
「少し大きいかと思っていましたが、丁度よさそうですね」
スーザンがにこやかにしているので、ボジェナも笑顔で頷く。王女にしては地味なのかもしれないが、彼女は着古したワンピースも、無駄に男性から視線を集める胸も隠れて満足だった。
「そちらは私からの贈り物ではありません。請求書は王妃殿下に回すので気にしないで下さい」
「そう言われると余計に気にしてしまうのですけれども」
「王妃殿下は貴女が学業に専念する為なら支援を惜しまないと仰せです」
フリードリヒの言葉にボジェナは棘を感じた。側室にと余計な事を考えないのなら支援を惜しまない、そう言っているように聞こえる。しかし、彼女は昨日会ったナタリーがそう言うとは思えない。彼女はナタリーが心の広い人物に思えたのだ。しかしここで彼にそう言っても仕方がない気がした。
「わかりました。それでは王妃殿下に感謝の手紙をしたためます」
「それがいいでしょう。それでは講義室まで案内致します」
フリードリヒはそう言うと管理人室を出ていく。ボジェナはスーザンに挨拶をしてから、彼の後を追った。
「あの、カーディガンを用意して頂きありがとうございます」
「感謝は王妃殿下にお願いします」
「ですが昨日の今日です。手配をして下さったのは殿下ですよね」
フリードリヒは足を止めると振り返った。ボジェナも彼にぶつからないように足を止める。
「確かに私が手配をしましたが、それは昨日のドレスを見たからです。大学の風紀が乱れるのは王族として見逃せません。ただそれだけです」
言い終えるとフリードリヒは前に向き直って歩き出す。ボジェナはそれ以上言葉をかけずに彼の後ろをついていった。冷たそうに見えて世話を焼いてくれる彼を思うと、彼女は自然と笑顔が零れた。