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本当に学業を修めに来ただけです  作者: 樫本 紗樹
本編

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39/50

責任と緊張感

 涙が止まらないボジェナを落ち着かせ、フリードリヒは彼女から何が起こったかを聞き出した。そしてメイネス王国へ出発せず自分が戻って来るまで待つよう言い含めた。

 フリードリヒは寮の警備員にも、ボジェナが連れ出されないよう指示を出すとレヴィ王宮へと向かった。元々今日はエドワードと会う予定があったのだ。

「戦争をするならジョージを説得してから来い」

 王宮の応接間でエドワードは平然と言い放った。シェッド帝国との戦争が終わった後、レヴィ王国は平和を享受している。戦争などしたくないはず。しかしフリードリヒはエドワードの真意を図りかねた。

「戦争は致しません」

「ジョージが指揮を取ればすぐに勝つだろう。別段あの国を欲しいとは思わないが」

「ですから戦争は致しません」

 正当な理由もなく戦争を仕掛けるのは愚策だとフリードリヒも知っている。それをエドワードが知らないはずがない。相変わらず何を考えているかわからない兄にフリードリヒは苛立ったが、顔は無表情のままだ。

「それなら私の一筆が欲しいのか? ボジェナ殿下を側室にしたいと」

 エドワードは微笑みながらそう言った。メイネス国王の希望通りの親書が届けば、少なくともボジェナと商人との結婚は破談となるだろう。しかしフリードリヒの望みはボジェナが教授になる為の道を歩けるようにする事だ。

「その場合、ボジェナ殿下は中退せず医者になれますよね?」

「側室となれば王宮から容易く出られない。大学に通うのは無理だろう」

 フリードリヒは少し苛立ちを込めた視線をエドワードに向けた。それをエドワードは受け流す。

「側室にするふりをしてしない、という手はない。王族の結婚は制約があるものだ」

「陛下はあの研究を進めたいのですよね?」

「私は誰が進めても構わない」

 エドワードは悠然と用意されていた紅茶を飲む。フリードリヒは紅茶に映る自分の顔を見つめた。エドワードはナタリー以外の女性に興味がない。だから側室として囲ったふりをすれば丸く収まると思い彼を訪ねたのだが、大学に通えないのなら意味がない。それ以外には何も思いつかない自分が非常に悔しかった。

「少し冷静になってみるといい。メイネス王国の国庫が空ならば、ボジェナ殿下は私に嫁げない」

 エドワードの言いたい事がわからず、フリードリヒは顔を上げてエドワードを見つめる。

「サマンサの持参金はアスラン王国の国家予算一年分だった」

 持参金と聞いてフリードリヒは気付いた。今のメイネス王国に持参金を用意する余裕はない。それは普段のボジェナの格好を見ていればわかる。しかしそれではそもそも側室を望んでいなかった事になるが、実際メイネス王国は何度もエドワードに打診をしていた。

 より謎が深まったフリードリヒに、エドワードはクラウディアについて話した。ジョージとサマンサの母クラウディアは旧ケィティ共和国代表の娘だった。しかし貴族制のない国だった為、爵位を持っていない。それでもウィリアムはどうしてもクラウディアを妻にしたかった。その為貴賤結婚だと反対されないよう、ケィティへ資金提供する代わりにクラウディアがウィリアムの側室になるという形式を取ったのだ。実際旧ケィティ共和国は資金難ではなかったが、色々な事情があり現在はレヴィ王国の自治区になっている。

「つまりボジェナ殿下を側室にする代わりに資金提供をして欲しいと」

「ケィティの場合は貸すふりをしただけで、既に回収し終えている。しかも利息として一割上乗せされて。一方メイネスは踏み倒す上に何度も交渉してくるだろう。話にならない」

 エドワードは呆れた表情をしている。フリードリヒも兄の想定は間違っていないだろうと思えた。エドワードの気持ちを別にしても、レヴィ王国としてボジェナを側室に迎えるわけにはいかない事情を理解した。しかしそうなるとボジェナを救う道がわからない。

「このまま亡命という訳にはいきませんよね」

「難しいだろうな。ポトツキ家の揉め事に首を突っ込めば戦争になりかねない」

 これはあくまでもボジェナ親子の問題であり、レヴィ王国が口を挟む権利はない。血縁関係があれば多少強引に進められるだろうが、残念ながらポトツキ家とローランズ家には何の縁もない。メイネス王国との国交が断絶されてもレヴィ王国としては問題ないが、崩れかかっている国に追い打ちをかけるような事などエドワードはしたくなかった。

「フリードリヒがすぐに行動しないせいだ」

「何故私のせいなのですか」

「フリードリヒがボジェナ殿下と婚約しておけば、事態は変わっただろうに」

「私が相手ではメイネス国王陛下は納得されないでしょう」

「そこは納得させるのだ。どうせメイネス王国に対抗出来る力はない」

「つまり策があるのですね」

「私を誰だと思っている」

 エドワードは不敵な笑みを浮かべた。フリードリヒはそれを無表情で受け止める。

「ボジェナ殿下をレヴィ国内に留め置く方法があるのだろうとは思っていたのですが、私と結婚させる事だったのですか」

「フリードリヒはサマンサに感謝しておくのだな」

 話の流れを無視して突然サマンサの名前が出てきた理由が、フリードリヒにはわからない。しかし関係ない事を急に言い出すとは思えない彼は、エドワードをじっと見つめた。

「何故でしょうか」

「フリードリヒが今まで独身でいられたのはサマンサのおかげだ。フリッツが結婚を望むまで待ってほしいと言われていた」

 フリードリヒにとって唯一の家族であるサマンサだが、エドワードにとっても可愛い妹である。エドワードは基本的にサマンサに甘く、彼女の頼みは断らない。それを知った上でサマンサは他国に嫁ぐ前に兄に依頼していたのだ。

「ウルリヒ兄上との待遇の違いは姉上のおかげだったのですか」

「それは素質の差だ。ウルリヒは国政に向いていないが、フリードリヒは向いていると思う。まず顔に出ないのがいい」

 エドワードは幼い頃より国王になる為の教育がされている。顔を作るのも、人によって態度を変えるのも、何の造作もなければ悪いとさえ思っていない。一方フリードリヒの無表情は、何をしても兄ウルリヒしか見ていない母のせいである。フリードリヒの喜怒哀楽を気にする者がいなかったのだ。その証拠にサマンサの前では普通に喜怒哀楽を表に出すが、それを知っている者は非常に少ない。

「出そうと思えば出せます」

「出さないでおけるのが重要なのだ。交渉時には役立つ」

 エドワードは一息入れるように紅茶を口に運んだ。

「ジョージは十八歳で総司令官になった。父上は二十一歳で即位をした。フリードリヒもそろそろ自分の責任で行動をしてみてはどうだ」

 ジョージもウィリアムも自分が望んだわけではなく、前任者が亡くなり必要に迫られての事だ。それでも二十二歳で独身の王族は、多少公務を担っているとはいえ無責任だとフリードリヒ自身も思っている。

「爵位なら今くれてやる。事後処理で何とでもしてやろう」

「そのような事をしても宜しいのでしょうか」

「ウォーレンの小言は免れないだろうが、宰相が怖くて国王などやっていられない。そもそも十五日後に与えるものだ。問題ない」

 そこで言葉を区切ったエドワードは笑みを浮かべた。

「数えきれない程の女性に声を掛けた私から助言しよう。心から生涯を共にしたいと思う女性はなかなかいない。そう思える女性に出会えたのなら、どのような手を使ってでも手に入れるべきだ」

「王妃殿下と結婚してからも数多の女性に声を掛けていたではありませんか」

 当時のフリードリヒは成人前であったが、エドワードの噂は勝手に聞こえてきた。今は幸せそうなのだから理由があったのだろうが、フリードリヒは嫌味のひとつでも言いたい気分だった。しかしエドワードは笑みを浮かべたままだ。

「帝国との関係上、複雑な事情があったのだ。だがメイネス王国との間には何もない」

「まるで私がボジェナ殿下に好意を抱いていると思ってらっしゃる口ぶりですね」

「好意を抱いていなかったらここへ来ないだろう。フリードリヒはただの留学生の為に骨を折るほど博愛に満ちているとは思えない」

 エドワードの指摘にフリードリヒは返す言葉がない。もし出会った当初だったなら、エドワードには会いに来ていないだろう。このような事があったと報告だけをして関わらなかったはずだ。

「とりあえず婚約でもいい。金で黙るならそれでもいい。説得方法は自分で考えろ。必要な金額は無利子で用立ててやる」

「与えてはくれないのですね」

「それを返済する為に今後働いてもらわなければならないからな」

 エドワードは笑顔だ。フリードリヒは一生兄の側近のままかもしれないと思ったが、他に選択肢を持っていないので受け入れるしかない。

「わかりました。それでは貸して下さい」

「借用書はここにある。金額は自分が返せると思う額にするように」

 エドワードはソファーに置いてあるクッションの下から紙を取り出すとテーブルの上に置く。最初から金を貸すつもりだったのかとフリードリヒは呆れた。

「戦争をする気はなかったのですね」

「ジョージの説得は難しい。私でさえ説得出来ずに強引に動かした」

 エドワードは小さく息を吐くと、筆記具が置いてある場所を指差した。フリードリヒは立ち上がって大人しく筆記具を手にすると、元の場所に戻る。

「帝国との戦争は陛下の計画だったのですか」

「機密だから誰にも話すなよ。その代わり私を愛称で呼ぶ権利をやろう」

 フリードリヒは書き込む金額を考えていたのだが、エドワードの思わぬ発言に顔を上げた。エドワードは昔から親しくない者から名前を呼ばれるのを嫌っている。国王はそもそも畏れ多いと名前を口にしてはいけないのだが、親しい人間にだけは許されている。いわば信頼の証なのだ。

「エディはリアンが勝手に自分だけのものだと言っているから他にしてくれ」

「スミス卿のその馴れ馴れしさは本当に宜しいのですか」

「執務室に来ればわかる。あの馴れ馴れしさは必要なのだ」

 エドワードの表情は柔らかい。本当に必要なのだろうとフリードリヒにも思えた。そして提案された以上、辞退せずに大人しく受け入れた方がいいだろうと判断した。

「姉上がエドお兄様と呼んでいたので、私はエド兄上にします」

 エドワードはフリードリヒの言葉を聞いて笑みを浮かべる。

「あぁ、それはいい。間違いなくリアンが絡んで楽しそうだ」

「一切楽しくなさそうなのですが」

「まぁ、それは舞踏会の後の話だ。今はボジェナ殿下の事を第一に考えろ。必ず王宮舞踏会までに戻って来るように」

「承知しました」

 フリードリヒはそう言うと借用書に金額を書き込んだ。その金額を見てエドワードは頷くと、テーブルの上に置かれていた鈴を鳴らす。扉の前に控えていた近衛兵が部屋の中に入ってきて、エドワードはフリードリヒが望んだ金額をすぐに用意するように命じた。フリードリヒは生まれて初めての大金を動かす事に緊張感を抱きながら、用意されるのを待った。

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