表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本当に学業を修めに来ただけです  作者: 樫本 紗樹
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

花火

「屋上は壁がありません。その格好では寒いと思います」

 ボジェナを迎えに来たフリードリヒはしっかりと外套を羽織っていた。一方ボジェナは肩掛けをかけただけ。別に彼女はお金がなくて外套が買えないのではなく、寒いと思わないので買っていないのだ。

「レヴィはメイネスに比べたら暖かいので平気です」

 ボジェナは微笑んで答えた。彼女の後ろに控えるバルバラも同じような格好だったので、そういうものかとフリードリヒは無理矢理納得し、屋上へと向かった。

 屋上には椅子が二脚用意してあり、片方の椅子には膝掛が用意されている。そしてその間にテーブルと火鉢が置いてあった。月明りで十分視野は確保出来ているが、フリードリヒの従者はそのテーブルに持っていたひとつの角灯を置いた。

「王宮から上げるのではないのですね」

 椅子が王宮を背にして置かれている事に気付き、ボジェナはフリードリヒに尋ねた。彼は彼女に椅子に座るよう勧め、彼も膝掛が置かれていない椅子に腰掛けた。彼女は本当に寒さを感じていなかったが、心遣いが嬉しかったので膝掛を広げて腰掛けた。

「川の近くで上げます。火の粉で火事になったら大変ですから」

 ボジェナは未だに花火がどういうものかわからない。しかし火事の可能性があってもあげるとは、何か重要な意味があるのだろうかと考えていると、従者がテーブルの上にカップをふたつ置いた。

「蜂蜜入りの温めた牛乳です」

「ありがとう」

 ボジェナの言葉に一礼をした従者は後ろに下がる。後ろにもテーブルがあり、そこにあらかじめ牛乳を入れた陶器を用意してあったようだ。その横にカップがふたつあり、従者とバルバラ用と思ったボジェナは微笑ましく思いながら、カップを手に取って口に運んだ。

「美味しいです」

 ボジェナは口の中に優しい甘みが広がり、思わず微笑が零れる。彼女はここまでの色々な苦労を思い出し、こんなに穏やかな夜を過ごせる幸福を噛み締めた。彼女がちらりと横を見ると、フリードリヒもカップを口に運んで口元を綻ばせていた。

「それは良かったです」

 二人の間に沈黙が訪れる。花火が上がる十五分前に迎えに来たのだから、まだ時間はあるだろう。ボジェナが何を話せばいいかと迷っていた時、フリードリヒが口を開いた。

「貴女には感謝をしているのです」

「私は何もしていません」

 フリードリヒの言葉にボジェナは慌てて否定をした。助けて貰った事は数知れないが、彼女が彼に何かした事など何も思いつかない。

「自分で選んだ教授の道が、実は逃げ道だとわかっていて気付かないふりをしていました。ですが貴女の努力する姿を見て、私も本来の道を歩こうと思えたのです」

「本来の道が公爵になる事ですか?」

「えぇ、国の為に働くのが筋です。学業支援と福祉の充実を目標に、卒業後は国の中枢に入ります」

「それでは、卒業されたらもう会えないのですね」

 ボジェナはカップを両手で抱えたまま視線を伏せた。教授同士ならば会う事も容易だろうと思っていたが、公爵になると話は違う。彼女は踊りの練習は続けているものの、積極的に社交をしたいとは思えない。そうなると接点はなくなってしまう。

「メイ教授の研究はレヴィ王国にとって重要な研究です。貴女が携わるのならば、関わる事もあるでしょう。それに質問があればいつでも受け付けますよ。貴女が夢を叶える手伝いをさせて下さい」

 フリードリヒは穏やかに微笑んでいる。あまりにも優しいその表情にボジェナの胸は締め付けられた。教授になる為の手伝いをして貰えるのはとても嬉しい。しかしあくまでも世話役の範疇なのかと思うと辛かった。

「公爵ならば未婚というわけにもいかないでしょう。私があまり質問をするのは良くないのではありませんか」

「結婚する気はありません。仕事に没頭したいので家庭はない方がいいと思っています」

「それは許されるのですか?」

「陛下からは好きにしていいと言われています」

 ボジェナは何か言おうとしたものの、何の言葉も浮かばなかった。フリードリヒと今まで会話した中で、姉以外の家族と親しくなかったのは感じている。彼が自分の道を歩く為に家族など必要ないと思っても仕方のない事。ましてや自分が家族になって幸せにするとは流石に言えない。彼女はただの留学生で、何も持っていないのだ。気持ちを隠しているのだから彼の言葉に傷付く権利もない。

「ですから遠慮なく頼って下さい。全面的に応援します」

「ありがとうございます」

 ボジェナは自分の気持ちを押し殺して微笑を浮かべた。フリードリヒの応援は必要なのだ。メイの言葉からして教授達からあまり歓迎されていない研究だが、彼女はその道に進むと決めた以上味方は多い方がいい。研究には金がかかる。しかし彼が国の中枢に居れば研究費用を調整してくれるかもしれない。教授としての名誉を欲してはいないが、それが彼との接点になるのならばその道を突き詰めるしかない。

「歴史に残るような研究成果を出せるような教授になります」

「期待しています」

 その時大きな音がして、ボジェナは前を向く。空には花火が打ち上がっていた。彼女は次々と上がる花火を無言で見つめる。初めて見る花火はとても綺麗で、彼女は言葉を失っていた。

 数分で花火の打ち上げは終わり、屋上は静寂に包まれる。それを破ったのはフリードリヒだった。

「新年あけましておめでとうございます」

「あ、あけましておめでとうございます」

 星空を見つめ続けていたボジェナは、はっとして新年の挨拶をする。

「いかがでしたか、花火」

「とても綺麗でした。見せて下さってありがとうございます。これは毎年上がるのですか?」

「はい、新年を祝う為に毎年上がりますが、雨天の場合は中止です」

 ボジェナは心の中で今夜が雨でなくてよかったと思った。来年以降フリードリヒは寮に居ない。今回が最初で最後だったのだ。そう考えた所で、ひとつの気がかりに気付いた。

「来年以降、この寮の年末年始はどうなりますか?」

「貴女が残られるというのなら対応します」

 フリードリヒの言葉にボジェナは安堵した。彼女はもう二度とメイネスに帰るつもりがない。寮が閉まると言われたらどうしていいかわからなかったのだ。

「ちなみにフリッツ様は卒業後、王宮で暮らされるのでしょうか」

「一人なら王宮で暮らした方が何かと楽ですから」

 フリードリヒはエドワードから王都内にある、現在使われていない屋敷を提示されていた。しかし毎日王宮へ往復するのも面倒であるし、寝に帰るだけの家を管理するのも億劫だったので断ったのだ。公爵位を賜りながら王宮に暮らし続けた者は過去にいないが、エドワードは家を構える気になるまで好きにしろとフリードリヒの希望を受け入れている。

「王宮が嫌で寮に入られたのではないのですか?」

「以前はそうだったのですが、今は陛下と仕事をするのを少し楽しみにしています」

 フリードリヒは元々エドワードには敵わないと思っていた。だからこそ避けていたのだが、今は兄と共に国の為に働いてみたいという気持ちに変わっている。卒業後すぐに働けるようにと色々な手続きに追われて日々忙しいが、彼は人生の中で今が一番充実していた。

「身体が冷え切ってしまう前に戻りましょうか」

 そう言ってフリードリヒは立ち上がった。ボジェナはもう少し一緒に居たいと思ったが、寒空の下で長々と語り合うのは忙しい彼に申し訳ない。彼女は膝掛を畳むと立ち上がって椅子の上に置いた。

「この椅子はずっと置いてあるのですか?」

「いいえ、明日彼が片付けます」

 フリードリヒが後ろを振り返った。そこでは従者とバルバラがカップを持って楽しそうに小声で話している。従者はフリードリヒが立ち上がった事に気付き、慌てて近付いてきた。

「色々とありがとう」

 ボジェナが従者に礼を言うと、従者は一礼で応えた。そしてテーブルの上に置かれていた角灯を持ち上げ非常階段へと向かう。ボジェナ達も彼に続いて寮の中に戻った。

「それではおやすみなさい」

「おやすみなさい」

 ボジェナはフリードリヒに挨拶をすると自室へと入った。肩掛けをソファーに投げかけ、そのままベッドへと歩いていく。

「ボジェナ殿下?」

「もう寝るわ、おやすみ」

 ボジェナは寝衣に着替えると、ベッドに身体を預けて毛布に包まった。豪華な夕食と花火という思い出が増えただけで、恋心を諦める要素が見当たらない。思わせぶりな態度をしながら結婚をしないと言うフリードリヒに悪態を吐きたい気分だ。彼女は教授という地位を手に入れ、彼に頼らず生きていける目処が付いたら、絶対に悪態を吐いてやろうと思いながら目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Web拍手
拍手を頂けると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ