淡い期待
「ポトツキさん。もし良かったら豊穣祭へ一緒に出掛けませんか?」
講義が終わった後、そう呼び止めたのはボジェナの同級生だった。ボジェナはメイネス王女として扱う必要はないという態度で、また服装が庶民的な為に同級生とは学友として接している。
「豊穣祭とは何かしら?」
単語の意味からして豊穣を祝う祭りだろうとボジェナにも予測は出来るが、祭りとは何をするのかがわからない。ボジェナは母国で祭りになど参加した事がないのだ。
「王都に色々な露店が並ぶのですよ。今年は不作と言われていますが、それ故に盛り上がるはずです」
同級生の説明にボジェナは首を傾げた。何故不作にもかかわらず豊穣祭が行われ、しかも盛り上がるのだろうか。同じ医師を目指している者ならば、内容を知らない相手に丁寧に説明をする努力をした方がいいのではと、彼女は話と違う事を考える。
「ごめんなさい。私は勉強に忙しいので他の方と楽しんで来て下さい」
ボジェナは笑顔でそう言うと講義室を後にした。その後ろで同級生が友人に慰められていた事など知る由もない。
ボジェナは寮に戻りながら周囲を見てみた。確かにどこか浮かれているような雰囲気がある。豊穣祭は身分にかかわらず楽しめるお祭りなのかもしれないと思いながら、必死に階段を上った。
「おかえりなさいませ」
明るく出迎えてくれたバルバラにボジェナは頷きで応える。息が上がっている為に言葉を発したくないのだ。ボジェナは教本をテーブルに置くと、ソファーに身体を預けた。バルバラはテーブルに果実水を置く。
「もう少しゆっくりで宜しいのではありませんか?」
バルバラの問いにボジェナは小さく首を横に振る。何とか体力を付けようと階段の上り下りの速度を上げているのだ。他に運動をすればいいのだろうが、勉強時間を割いてまでやる気はない。移動中に体力も増えたらいいくらいの気持ちだ。
少し呼吸が整ってきたボジェナは果実水を飲み干した。先日出された果実水も美味しいと言った所、寮の食堂に置かれるようになったのだ。林檎風味の紅茶は特別なもので、ライラの侍女にしか淹れられないらしい。ボジェナは味覚が鋭いわけではないので、果実水だけで満足している。
「そもそも体力がなければ何も出来ないと気付いたのよ」
「確かに患者さんが待っているのに、疲れたから終わりですとは言えませんよね」
「そうなの。大学入学までは勉強だけで良かったけれど、知識だけでは医者として生きていけないわ」
ボジェナはしっかり学びさえすれば医者になり生きていけると思っていた。しかし先日のバルバラの言葉がボジェナには響いていた。一番近くに居る者が働けるとは思えないと評したのだ。実際ボジェナも労働とは無縁で生きてきた。医者として働く覚悟が出来ていなかったのだと、早めに気付けて良かったと思っている。
「卒業まで時間はありますから、ゆっくりでいいのではないでしょうか。慣れない事をして倒れられたら大変です」
「そうね。医学生が身体を痛めては笑い者になってしまうから気を付けるわ。ところで、バルバラは豊穣祭について何か知っている?」
ボジェナの講義中はバルバラの自由時間となっている。バルバラは掃除などを済ませると管理人室でお茶をしたり、図書館で恋愛小説を探したりと自由を満喫していた。
「先日スーザンさんに話を聞きました。レヴィ王国で一番有名なお祭りだそうです。しかも豊作でも不作でも豊穣祭として行われるなんて変わっていますよね」
「どうして不作で豊穣祭なのかは聞いた?」
「はい。豊作ならそれを祝う、不作なら来年の豊作を祈願するそうです。来年は豊作にと祈願する方が盛り上がると聞きました」
ボジェナは疑問が解決したものの、祈願で盛り上がる理由がいまいち掴めない。
「具体的に何が変わるの?」
「催物の内容が違うそうです。その入場券の倍率が高くて、それを手に出来るか運試しをする人もいるみたいです」
「ふぅん。その催物はそれほど魅力的なの?」
レヴィ王国は平和で豊かなので娯楽も発展している。観劇も常に劇場で公演されていて、あえて豊穣祭で見る必要性があるのかボジェナにはわからなかった。
「催物というよりは国王夫妻目当てです。普段王宮に暮らしているお二人を拝見出来る、平民にとって唯一の機会なので毎年抽選会は大盛り上がりだそうですよ」
ボジェナはその盛り上がりを理解出来なかった。そもそもメイネス王国では、国民達は国王に会いたいと思うかさえ疑問だ。しかしエドワード夫妻なら仲睦まじく子供にも恵まれていて平和の象徴と言える。妻が何人もいる父と比較する事がそもそも間違っていたと彼女は思った。
「折角ですからフリードリヒ殿下に確認されたらいかがですか?」
「何を?」
「豊穣祭に参加したいので、辻馬車で出掛けてもいいですかと。場合によっては一緒に露店を見て回れますよ。いい考えだとは思いませんか?」
バルバラの瞳は輝いている。まるでボジェナを主人公とした恋愛小説を語っているかのようだ。しかしボジェナは困惑の表情を浮かべた。
「今日同級生の誘いを断ってしまったのよ。もし豊穣祭で出会ったら気まずいからやめておくわ」
「誘われたのですか? どなたに?」
「彼は確か代々医者の家系と言っていたわ。私なんて誘ってどうする気だったのかしら」
ボジェナは勉強ばかりしてきたので、楽しい会話など社交的な面は劣ると自覚している。しかも同級生とはいえ別段親しくしているわけではない。折角の祭りに一緒に出掛ける意味が本気でわからなかった。
「ボジェナ殿下と親しくなりたかったからに決まっているではないですか」
「私と親しくなっても、お金がないのは格好を見てわかるでしょうに」
ボジェナの言葉にバルバラは思わず冷たい視線を向けてしまった。大学に通っている者の実家はそれなりに裕福な者が多い。それにレヴィ王国から見て、メイネス王国は小国に過ぎず、肩書目当てだとはバルバラには思えなかった。
「女性として意識されているのですよ」
「私に優秀な子供を産んでほしいのだとしたら失礼だわ」
バルバラは歯痒い気持ちでいっぱいだった。遅い初恋をしたと思ったものの、当人はそういう感情に疎いままだ。自分が周囲にどう見られているかをボジェナは一切理解していない。ここは頑張り所だとバルバラは心の中で気合を入れた。
「ボジェナ殿下。男性も恋心を抱くものですよ」
「それはわかるわよ。女性だけ恋をするなんておかしいわ」
「そうではなく、誘って下さった方はボジェナ殿下に恋をしているのではありませんか」
「私に? 胸が大きくていいと思うのを恋とは認めないわよ」
「それは私も認めません」
何故か全然伝わらずバルバラは困った。その様子を見てボジェナはため息を吐く。ボジェナはバルバラが何を言いたいのかを理解したのだ。
「服なんて穴が開いていなければいいと思っていたのよ。どう考えても女性らしくないわ」
「最近綺麗にし始めたボジェナ殿下を見て、魅力を感じる男性が出てきても何もおかしくありません」
フリードリヒに対しての恋心を認めたボジェナは、見た目に気を付けるようになった。バルバラも主の恋を応援しようと、髪を綺麗に纏めたり、肌の手入れをより丁寧にしたりしている。以前は時間が勿体ないと言っていたボジェナも、大人しくバルバラにされるがままだ。ナタリーが寮の部屋に揃えた石鹸や化粧水などが王妃御用達の高級品で、その効果も出ている事を二人は知らない。
「打診だけでもしてみませんか。私は豊穣祭に興味があります。その同級生の方に会ったら私が強引に連れ出したと言えばいいのです」
「そうね、わかったわ」
ボジェナがそう答えたので、バルバラは早速机に筆記用具を準備した。ボジェナは呆れ顔をしながらも机に移動をする。折角綺麗にし始めたのに、あの講習会以降フリードリヒとは会えていなかったのだ。ボジェナは淡い期待をしながら手紙をしたためた。




