偏屈者との出会い
レヴィ王国にある国立大学は王都の東側に位置している。国内各地から入学者が集う為、学生寮も完備している。近年貴族男性限定だった入学規定が撤廃されたことに伴い新しい学生寮も建設された。本来なら男女別にするべきなのだろうが、女性の入学者が少ない為、同じ建物で場所を限定するという造りになっている。
「フリッツ、私の話を伝えてくれた?」
「幼女趣味の話などしたくはない」
新学生寮の一階にある応接間では、男子学生二人がテーブルを挟んでソファーに腰掛けていた。フリッツと呼ばれた男性はフリードリヒ、もう一人はセオドアである。
「幼女趣味とは酷いな。私はアリス殿下だけを見ているのに」
「数年前まで姉上を見ていたのは誰だったか」
「順当にいけば私の所に嫁ぐはずだったのに。アスランってどこだよ!」
「海の向こうの大陸にある国だが」
「それは知っている。フリッツは本当に気が利かないな」
二人の会話を遮るように扉を叩く音がした。フリードリヒはセオドアに黙るように手を上げると返事をした。セオドアはソファーから立ち上がり、フリードリヒの後ろへと移動する。扉が開き、二人の女性が室内に入ってきた。
「ご無沙汰しております、王妃殿下」
フリードリヒはソファーから立ち上がり、一礼をした。ナタリーはそれを笑顔で受け止める。
「久しぶりね。元気にしている?」
「えぇ」
「サマンサがフリッツの手紙が短いと寂しがっていたわよ」
「そう言われましても、特に書く事もありませんので」
フリードリヒは悪びれた様子もなく淡々としている。ナタリーは困ったように笑ってからボジェナに前に来るように促した。
「彼女が以前お願いをしたボジェナ殿下よ。色々と助けてあげてね」
「初めまして、メイネス王国より参りましたボジェナ・ポトツキと申します」
ボジェナはあえて自分の名前を母国語の発音のままで告げた。ナタリーが違和感なく呼んだ為、レヴィ語話者でも問題なく発音出来るのだろうと判断したのだ。しかしフリードリヒは眼鏡の奥の瞳を怪訝そうに細めた。
「ぼじぇな? 言い難いですね」
「フリッツ。貴方なら名前についてはわかるでしょう?」
「私はフリードリヒでもフレデリックでもフレデリクでも構いません」
器用に自分の名前を三ヶ国語で言うフリードリヒに、ボジェナは感心すると同時に違和感を覚えた。二番目がレヴィ語で三番目がメイネス語であったが、一体最初の発音は何処の言葉なのかボジェナには見当がつかなかったのだ。
「ごめんなさいね、ボジェナ殿下。彼は勉学以外に無頓着な所があるけれど、決して悪い人ではないのよ」
ナタリーはボジェナを安心させようとしているのか優しく微笑んでいる。しかしボジェナはどうしても目の前の眼鏡をかけた男に歓迎されている気がしない。
「用件は事前に伺っています。私が陛下に嫌味を言われないように、出来れば早くお戻り頂きたいのですけれども」
「あら。彼がわざわざ嫌味を言うとは思わないけれど」
「既に今日迎えに来いと言われていました。王妃殿下が間に入る必要はないと」
「それは理由を説明したでしょう?」
「えぇ、ですから私は今回ここで待ちました。陛下の嫌味を耐えて」
二人の会話をボジェナははらはらしながら見守っていた。フリードリヒは口調こそ丁寧ではあるが、王妃であるナタリーに対して遠慮がない。レヴィ王国では金髪碧眼が上流階級の証である。エドワードと同じく金髪碧眼の彼が上級階級の人間なのだろうとまではボジェナにもわかるが、これほど対等に話せるとなると全く想像がつかない。
ナタリーはやり取りに少し困ったような表情を浮かべた後、諦めたように微笑んだ。
「何か欲しい物があるのね。私から口添えを約束するわ」
「王妃殿下の察しが良くなられて大変嬉しく思います」
「それでしたら是非、私の希望もお願い致します」
それまで黙ってフリードリヒの後ろに控えていたセオドアが口を開いた。ナタリーは視線をフリードリヒからセオドアに移すと柔らかく微笑みかける。
「その件に関しては陛下から否と返答があったでしょう? 私は陛下の判断に逆らう気はないの」
「しかし」
「やめておけ、セオドア。王妃殿下に直接交渉したと知れた時、陛下に何をされるか想像出来ないのか」
「申し訳ございません」
フリードリヒに指摘され、セオドアは頭を下げた。許しを得る前に上位の者へ話しかける事は礼儀に反する。ナタリーは寛容であるが、エドワードはそうではない。
「それでは、彼女を宜しく頼むわ。何かあれば遠慮なく連絡を頂戴」
「かしこまりました。馬車までお送り致しましょうか」
「ここで結構よ。ボジェナ殿下も何かあれば私にいつでも連絡して頂戴。この学生寮の管理人には話を通してあるから」
「はい、ありがとうございます」
ボジェナの言葉に笑顔で頷くとナタリーは部屋を出ていった。ボジェナは取り残されてどうしようか悩む。そもそも目の前の眼鏡の男の本当の名前がどれなのかわからないのだ。
「フリッツ、自己紹介くらいしたらどうだ」
ボジェナの困惑を察してセオドアが助け舟を出す。フリードリヒはセオドアを一瞥した後、ボジェナに向き合った。
「王妃殿下より貴女の世話を任された者です。先程王妃殿下に申し上げた通り私は何と呼ばれても構わないので、好きに呼んで下さい」
ボジェナは適当な自己紹介に困惑を隠せなかった。家門名を聞いた所で自国ではない為わからないが、それでもどの立場なのか教えて貰わなければ、どのように接するべきか決められない。
「それと、陛下の側室を狙うのは諦めた方がいいですよ。胸を強調した程度で誘惑される人ではありませんから」
明らかに侮蔑の視線を向けられボジェナは困惑した。父から初めて貰ったドレスではあるが、どうにも受けが悪い。しかし彼女はたとえ小国の七番目だとしても王女であるという自尊心は持ち合わせていた。
「その物言いは失礼ではありませんか」
「側室は要らないと示しているのに姑息な手を使って送り込んでくる国に対し、礼儀など必要でしょうか」
「姑息とはどういう事でしょうか。私は正式に試験を受けて合格しました」
ボジェナは自分の意思で留学を決意した。エドワードの側室の座を父が欲しているのは知っているが、彼女は一切望んでいない。
「それは存じています。レヴィ語も堪能ですから勉強が出来るのは嘘ではなさそうですね。ただ、そのようなドレスで謁見したという所が王女としての資質を疑います」
「貴方は一体どの立場からそのような物言いをされているのでしょうか。失礼なのはそちらではないかと思うのですけれども」
ボジェナは苛立ちを隠さなかった。たとえレヴィ王国が大国だとしても、貴族子息に馬鹿にされるのは癪だった。しかしフリードリヒは呆れたように小さくため息を吐く。
「私の事を何と説明を受けたのでしょうか」
「勉強にしか興味がない偏屈者、と陛下が評していると王妃殿下から伺いました」
ボジェナの言葉にセオドアが思わず吹き出す。しかしフリードリヒはセオドアの態度を無視して冷めた視線を彼女に向けた。
「実に陛下らしい評価ですね。あの方は私を弟と認めていませんから」
フリードリヒの言葉にボジェナは固まる。エドワードの弟ならば先程のナタリーとのやり取りの対等さも納得出来た。そして自分のやり取りは、王弟に対して適切ではない。
「改めまして、フリードリヒ・ローランズと申します。国王であるエドワードとは異母兄弟故に親しくはありません。医学を専攻していますので貴女の先輩にあたります」
「レヴィ語でしたらフレデリックになるのではありませんか?」
「貴方はこの国の前王妃を御存じないのですね」
フリードリヒに指摘されボジェナは気付いた。前王妃はローレンツ公国の出身である。エドワードの母親はレヴィ王国の公爵家出身であり、途中で王妃が変わった事は彼女も知識として知っていた。彼女は公国語を知らないが、母親の意見で公国語になっているのだろうと瞬時に理解した。
「失礼致しました。公国語を存じ上げない為に気付きませんでした」
「公国語は特殊ですから知らなくて当然です。セオドア、彼女を部屋に案内して」
フリードリヒにそう言われてセオドアは了解と軽く答えると、ボジェナに近付いた。
「ボジェナ殿下。私はセオドア・モリスと申します。この偏屈者の側仕えをしながら同じく医学を学んでおります。さぁ、ここに居ては息も詰まるでしょうから、お部屋に御案内致しますね」
セオドアに優しく微笑まれてボジェナも微笑む。王弟の側仕えなら彼も上流階級の者に違いない。しかし彼は自然に扉を開けた。彼女の国の貴族子息なら自分で開けない。レヴィ王国でのしきたりをしっかり学ばなければと思いながら、彼女は彼の後に続いた。




