世話役の範囲
フリードリヒは学生であるが公務も担っている。元々はナタリーが王太子妃時代に国立の平民向け初等学校設立を計画し進めていたのだが、王妃となって忙しくなった為に彼が引き継いだ。表向きは彼が興味を持ったからとなっているが、実際はエドワードの命令であった。
エドワードの命令を面倒だと思ったフリードリヒではあったが、交換条件を提示されてやらざるを得なくなった。王族である以上、国の為になる婚姻は避けられない。しかし、この公務に携わっている間は婚約者を立てずに満足するまで大学で励んでいいと言われたのだ。その為フリードリヒは大学生活六年目である。ちなみにセオドアは領地の勉強の為にと二年休学していたので四年目である。
嫌々始めたフリードリヒだが、その気持ちはすぐに消えた。第五王子として生まれ、誰にも必要とされていないと思っていた彼にとって、国政に関わり役人と計画を詰めていくのは案外面白かったのだ。一切国政に関わらないまま結婚して領地に引きこもったウルリヒとは違うと、周囲の認識も変わった。最初はナタリーの仕事を減らす為の命令だろうと穿った考えをしていた彼も、自分の適性を見抜いていたのかもしれないと思うようになった。
現在初等学校は王都に二ヶ所ある。これらが軌道に乗ったら他の地域へも広げていく予定だ。王家の直轄地以外は領主と相談する事になっている。あくまでも国立に拘っているのは、国のどこに生まれたかで教育の差が出ないようにとの配慮だ。これはフリードリヒの強い希望であった。彼自身サマンサが用意してくれたから今の自分があると感じている。勉強は案外金がかかるのだ。
「軌道に乗ってきたようだな」
王宮にある会議室ではエドワードとフリードリヒが向かい合っていた。エドワードは提出された初等学校の資料に目を通している。
「はい。今年は王都に居る適齢期の子供のうち五割が通い始めました」
初等学校へ通うかは民の判断に委ねられている。授業料はかからないが教本代がかかるのだ。完全無償化していないのは、選択の自由を残す為である。だが学んだ先に役人になれる道があるという宣伝も忘れていない。今までは貴族しかなれなかったのだが、大学進学の条件を緩めた際に、役人になる条件も大学卒業者なら出自は問わないと変更されていた。
「初等学校から大学の間を何処で学ぶか、そちらについてはどうする予定だ」
「大学生が教える塾を検討しています。場所は図書館内にある会議室が適切ではないかと思っています。予算等詳細が決まりましたら法案を提出予定です」
会議室には二人しかいないが、兄と弟ではなく国王と臣下のやり取りである。しかしフリードリヒはそれについて何の不満も持っていない。自分が王族のままであるのもエドワードのせいではあるが、それについてもどうでもいいと思っている。
「大学生が教えるのに国の運営にするのか」
「今は未だ貴族と平民の間には溝があります。優秀な平民を妬む貴族に優秀な人材を潰されるわけにはいきません。それに国営でしたら陛下がお好きなものも使えましょう」
無表情で言い放つフリードリヒに、エドワードも無表情で応える。エドワードは出不精であり、基本的に王宮内で生活している。しかし王都の様子や流行、他国の情勢などに非常に詳しい。エドワードがありとあらゆる情報を収集している事は一部の人間しか知らないが、フリードリヒはサマンサから聞いて知っていた。
「私は私塾でも遠慮をしないが」
エドワードは微笑を浮かべる。悪巧みをしているとしか思えないその表情は時に臣下の肝を冷やすが、フリードリヒは平然と受け止めた。フリードリヒは別段エドワードを恐れていないのだが、エドワードも肝の据わった弟くらいにしか思っていない。
「ボジェナ殿下に関しても遠慮をせず調べておられるのですか」
「調べたからこそ受け入れた」
エドワードは平然としている。他国の王女について一体どこまで調べているのか、フリードリヒにはわからない。しかし側室が要らないのに受け入れたのだから、何か理由があるのは間違いない。しかしフリードリヒはその理由もわからない。
「ボジェナ殿下に対してはくれぐれも失礼のないように」
「心得ております」
「そうかな。私の調べでは態度に難ありだが」
長らく無表情だったフリードリヒの眉が動く。些細な事でも情報収集するエドワードなら、自分の事も調べているだろうとはフリードリヒも思っていたが、難ありと口を挟まれるのは想定外だったのだ。
「人に阿るような態度は出来ません」
「それはしなくていい。だが決めつけるのは良くない。相手が何を考え、何を望んでいるかを考えた上で、自分の要望を通す為にはどうするべきか。王族ならそれくらい考えるべきだろう」
エドワードは淡々とそう言うと封筒をフリードリヒの前に置いた。フリードリヒは視線を封筒に移す。
「スミス家の夜会の招待状だ」
その招待状の意味をフリードリヒは考え、ひとつの答えに辿り着くとエドワードに視線を向けた。
「スミス卿はボジェナ殿下を招待されたのですか」
「あぁ。メイネス王国の大使に頼まれたらしいが、リアンは決してお人好しではない」
フリードリヒとリアンは面識があるものの仲良くはない。そもそも接点がないのだ。だがフリードリヒはリアンをあまり得意としていない。
「彼女が踊れない事はリアンも知っているだろう」
「陛下はご存じにもかかわらず、招待状を送られたのですか?」
「私が知らぬはずがないだろう。せめて時間が必要だろうと秋ではなく来春の式典にした」
エドワードが王位に就いてから王宮で催される舞踏会は年二回だけになった。春の即位記念式典と秋の豊穣祭の後夜祭だ。そしてスミス家での夜会は豊穣祭よりも後、レヴィ王都での社交界の締めとして冬直前に開催される。
「メイネス王国に舞踏会がないのだから、彼女が踊れなくとも責める気はない。だが一人で王宮に来るのは気が重いだろうから、春の式典の際の付添はフリードリヒに任せる」
「私に、ですか?」
「彼女には馬車がないのだから一緒に来い。それくらいの優しさは持っておくべきだ」
ボジェナ用の馬車がない事も知っていて放置していたのかと、フリードリヒはエドワードに苛立ちを感じた。しかしフリードリヒはそれを表には出さない。元々表情が乏しいのだ。
「スミス家にも私が連れて行くのですか」
「それはダニエルを向かわせるから心配しなくていい」
ダニエルの名前を聞いて、フリードリヒは先日のやり取りを思い出した。ダニエルはその後何も言ってきていないので、ボジェナが王女らしくない理由などフリードリヒはわからない。そもそもエドワードは調べていたのだから、ダニエルが調べる事はなく方便だったのだろう。しかし服装に変化があり、仕立屋へ向かったのだからメイネス王国から資金調達が出来たのは間違いない。
「陛下はボジェナ殿下に何をお望みなのでしょうか」
「私は彼女が優秀な医者になる事を望んでいる」
迷いなく発せられた返答をどう受け止めるべきかフリードリヒは悩んだ。レヴィ国内に優秀な医者がいないわけではないが女性の医者は少ない。現在レヴィ国内にいる女医は医者である親から知識や技術を学んだ者だけで、大学を卒業した者はいないのである。
「医者になるのに舞踏会は不要ではありませんか」
「妙齢の女性なら憧れるものだろう。肩書に相応しい経験はしておくべきだ」
フリードリヒは無表情のままエドワードを見つめた。フリードリヒは舞踏会など面倒なだけで、憧れの対象になるとは到底思えない。医者になる事を望んでいるのなら、勉強時間を削るような事はしない方がいいとしか思えなかった。
「スミス家の方は好きにしていい。だが、来春の式典は必ずボジェナ殿下の付添をしろ」
「それは命令でしょうか」
「好きに判断していい。だが、そういうのも含めての世話役だ」
エドワードはそう言うと書類を手に立ち上がった。彼が扉の前まで歩き足音を立てれば、扉の向こうで控えていた従者が扉を開ける。フリードリヒは招待状を見つめたまま、どう行動するのが正しいのか暫く考えていた。
 




