宝石乙女
「これが欲しい」
古びた骨董店での小声でささやくおねだりに、ヤーデは肩をはね上げた。
旅の相方の黒いローブをかぶった女性が指さすのは、思った通りに棚の宝石。細く白い指先をローブの袖からわずかにのぞかせ、赤いきらめきを振りまく紅玉を示している。
(ああ、やっぱりそう来たか。だからこんな店に入りたくなかったんだ!)内心でそうこぼしながら、ヤーデはうんざりと目の前に輝く宝石を見た。ひどく上等なピジョンブラッド。「鳩の血」という名で称される、最上級の紅玉の粒だ。
「……買えるでしょ? ヤーデ」
フードの奥から笑みを含んでそう言われ、旅の青年は言葉に詰まる。買えないとは言えない。自分には理不尽な程の財力がある。呪いにも似た巨きな能力が、この身の内にそなわっている。
「……分かったよ。気に入ったんだろう? 買ってあげるよ、エーデルシュタイン」
いささかの皮肉を込めてきちんと相手の名を呼んで、ヤーデはいったん外へ出た。ほどなくして戻ってきたヤーデの手の内に、小さな花が揺れていた。ヤーデはエーデルより数歩先へと進み出て、不審そうに自分たちを見る老店主に向かって告げた。
「あの紅玉をください。お代は純金で支払います」
「へえ? 純金ですって? しかし旅のお方、あなたはその手にみすぼらしい雑草の花っきり持っちゃいませんが……?」
細い目を嫌味そうにしばたたいてこう吐き捨てた店主の前で、ヤーデはその「みすぼらしい雑草の花」をぱくりと口に入れ一呑みした。それからごぐっとえずくように咳き込んで、その口から金の塊を吐き出した。
「へえ! これはたまげた! しかしお前さん、その金は奇術か何かで採り出した、偽物の金じゃあないでしょうね?」
「どうぞ、試金石でも何でも使って調べてください。誓って言っておきますが、正真正銘混じりっ気のない純金ですよ」
店主はいぶかしそうに店の奥から試金石をもち出して、しばらく「純金」を調べていた。濁りを帯びたその目がしだいに見開かれ、やがて異様に輝き出した。
「――これはすごい! 純金ですな、まぎれもなく! いやしかし、不思議なこともあるもんですな、長旅の青年とローブの女性が、こんな素晴らしい宝をお持ちとは……!」
「それはどうも。紅玉、もらっていきますよ!」
ヤーデは言うなり大粒の宝石を手にとって、空いた片手でローブぐるみエーデルの細い肩を抱く。口の中で何やらぶつぶつ唱えるとたちまち周りの時空が歪み、二人は次の瞬間に、別の世界に立っていた。
「……まったくもう、人前であんな真似させるなんてさ……! あのジジイ、僕らを見て『いっそここで殺してありったけ純金を奪おうか』って顔してたよ!」
「だからこうして、時空を歪めて異世界に飛んできたじゃない。最初に純金を信用のおける『換金所』で交換してなかったあなたのミスよ」
しれっと言い放つエーデルに、ヤーデは大きく吐息をついた。
ああ、何だってこんな体に生まれついたか。
自分はとある研究所で誕生した異生物、この体内は特殊な異世界とリンクしている。その世界には金があふれるほどある代わり、草花はとても珍しい。したがって自分がそこへ花を送ると、向こうの世界の住人が引きかえに純金をくれるのだ。
こんな悪趣味な生き物ばかり造るすさまじい研究所から、このエーデルと手に手をとって逃げ出したは良いものの……。
「ねえ、いつまで何か考えてるの? もうこの紅玉食べちゃって良い?」
「良いよもう、食べなよ早く!」
「何怒ってるの? ふんわりした見た目に似合わず相変わらず気短ねえ!」
エーデルはローブからのぞく口もとに問題の紅玉を近づけて、ぱくりと一気に呑み込んだ。とたんに夏風がふうっと吹き渡り、黒いローブのフードを脱がした。日の光にありあり露わに
なったのは、整った容姿のところどころに「宝石が生えている」美女の顔。
紫水晶、藍柱石、翠緑玉……。そしてひたいにはまぎれもなく、食べたばかりの巨きな紅玉。その奇をてらった美術品のような容貌に、ヤーデは翡翠のような緑の瞳をまたたいた。
「……エーデル、もう宝石を食べるのはやめようよ。普通の食事も出来るんだしさ……。でないと食べた宝石が全部体表に浮き出しちゃって、君がますます『歩くお宝』になっちゃうよ!」
やるせなく叫ぶヤーデのほおをさすって、エーデルはひたいの紅玉に日を当てながら微笑んだ。
「あら、別に良いじゃない。それにヤーデ、純金は世界によっては価値がなかったりするけれど、これだけいろんな種類の宝石が、全部価値なしって世界はないわ。まかり間違ってあたしが死んだら、その死体を売りさばいてあなた一儲け出来るわよ!」
「やめてくれ!!」
悲痛なほどのヤーデの叫びに、驚いたエーデルは赤い瞳をしばたたく。小さく息を呑む宝石乙女の肩を抱き、金塊青年は泣き出すような声音で告げた。
「そんなこと言わずに……長生き、してくれ……!」
だって君しか僕にはいない。
だってこんなに異様な生い立ちの二人だから、自分たち二人にしか分からない想いもたくさんあるから。
「……宝石なんてどうでもいい。君が何より大切なんだ……!」
潤んだ翡翠の瞳を見つめ、赤い目の乙女もどこかが甘く痛んだように微笑んだ。
「……そう。それじゃあ止しにするわ、いつもこの姿でいるのは」
言いながらエーデルはばさりと黒いローブを剥いだ。下着のような純白のワンピース姿に、体中を彩る色とりどりの宝石が、夢のように夏の真昼に光を放つ。次の瞬間、エーデルの肌は新雪のように白くすべらかに形を変えた。たまらなく美しい以外は、当たり前のなめらかな女性の姿になった。
「……これで良いでしょ? ヤーデ。これからは本来の姿でいるのは、宿屋か何かで二人きりの時だけにしておくわ」
余裕を見せてはにかんだエーデルに、あんぐりと口を開けていたヤーデが天を仰いで大きく吠えた。
「――なんじゃああそりゃあぁあ! 普通の人間みたいな姿でいられるって、今初めて知ったわぁああ!!」
「言ってなかったもの。それにあなたは本来のあたしの姿が好みって、こっちもずっと思ってたから! っていう訳で、宝石を食べるのは止めないからね!」
きゃらきゃらと笑うエーデルをきっと睨みつけ、ヤーデはがっしと乙女の肩をつかみしめる。「言わなかった罰」と言わんばかりにさっと乙女にキスをして、触れるだけで口を離して至近距離で微笑んだ。ぽかんとしていたエーデルのほおに、じわじわと朱が昇ってくる。
「――血みたいな、紅玉の味がする」
うそぶく旅の相方に、エーデルは綺麗な顔をくしゃくしゃにして苦笑した。夏日に照らされたその桜色に色づく肌が、宝石の一つも浮き出さないその表情が……。世界中のどんな宝石より、ヤーデの目には綺麗に見えた。
二人はどちらからともなく、手に手をとって歩き出した。限りなく純な金剛石がふりまく光のように、祝福のように夏日が彼らを照らしていた。(了)