疫病
大将軍府将軍執務室
「アメリカのベーカー大統領からホットラインです。」
私がうなずくと、鈴木君が動画回線を接続した。
「今回の攻撃にアメリカは一切関与していない。」
「わかっていますよ、ベーカー。ミサイルを発射した潜水艦は統一朝鮮所属の可能性が高く確認中です。彼らは決して認めないでしょうがね。」
「わかってくれているなら、それでいい。我がアメリカと日本は太平洋を挟んで、お互いに干渉せず要請があれば協力することなっている。こちらで何かする必要はあるのかい?」
ベーカーに限らず、アメリカ大統領は友好的だ。まあ、背中を守ってくれる友人をないがしろに扱うバカは、そうそういない。
「ありがとう、ベーカー。今の所は日本だけで対応できるよ。統一朝鮮と琉球王国の動きが怪しいくらいだ。」
「そうそう、お孫さんが生まれたんだって。お祝いにホワイトハウス宛で守り刀を送っておいたよ。日本ではその昔、女性が守り刀を持つ風習があったんだ。」
「…相変わらず耳が早いな。ありがたく受け取らせてもらうよ。返礼は何がいい?」
「そうだな…。君がお孫さんを抱っこしている写真に、君のサインをつけて送ってくれ。この部屋に飾っておくよ。」
「ああ、いいよ。目に入れても痛くないっていう日本のことわざが、今ならよくわかる。かなりにやけた顔になるが、いいんだな?」
「もちろんいいよ。なかなか貴重な写真になる。…私は未婚だから、子供や孫もいる君がうらやましいよ。」
「それは率直な意見だな。…どうした?」
「どうもしないよ。率直な意見ってやつだ。」
「それならいい。アメリカにも変わりはないよ。相変わらず中東はきな臭いが、手を引けて本当によかったよ。」
「それは日本も同じだよ。アメリカにはシェールガス、日本にはメタンハイドレート。自国でエネルギーを賄えるっていうのは素晴らしい。」
「その通りだよ。アメリカと日本は自立して、協力しあう。素晴らしいことじゃないか。」
「私もそう思うよ。すまないが、国内で緊急の問題が発生したようだ。回線を切らせてもらうよ。」
「もちろん、かまわないさ。では、G8で。」
「そうだな、G8で。」
私は鈴木君のメモを読みながら言った。
メモには新型インフルエンザの発生と、既に死者が出ていることが記載されていた。
…発症後の推定死亡率50%以上? エボラ出血熱並の致死率じゃないか。
私はホットラインを切るとすぐに大地君に向き直った。
「強制隔離と対策の進捗状況は?」
「島根県で発生し、強制隔離は既に実施済みです。」
大地君が手元のタブレットを見ながら続けた。
「自衛隊により周辺20kmの閉鎖は完了し、全国に警報を発令済みです。発症者のウイルス分離はでき、H5N1の亜種だと思われるとのことなのですが…。」
「どうした?」
「遺伝子解析の結果報告では、情報のあったものからさらに変異している懸念があるとのことです。」
「B兵器からの変異ということなのか?」
「現時点で確定ではありませんが、その懸念があるとの報告です。」
「そうか。ではJアラートで国民に周知するので、15分以内に放送準備を。」
「患者の受け入れ病院の手配を進めてくれ。現時点で国境は完全閉鎖。アメリカのCDCにウイルスの情報伝達をして協力を要請。WHOには発生を連絡。」
「了解しました、すぐに対応を進めます。」
「ワクチンとの適合判定は?」
「備蓄していた株とは非適合です。このため当面蔓延が懸念されています。」
情報提供のあったもの以外にも、変異で想定される株に対して備蓄ワクチンの準備を行っていたが、全てを網羅することはもちろんできない。ワクチンの新規対応は時間がかかる。隔離の徹底と、移動制限で封じ込めるしかない。備蓄薬でどこまで死者を抑え込めるか。
「住民の配置転換と理由の情報公開を行ってくれ。」
「了解しました。」
我が国では緊急時に一時的に自由の制限が行われる。ただし、それを行う理由について明示することが条件であり、事後検証によって欺瞞が発覚した場合には死刑か全ての権利をはく奪された上での釈放という私刑が待っている。
死刑の方が法に則っているだけ安らかな死を迎えられるだろう。
公共のためにどうしても必要な場合のみ自由の制限が行われ、それ故に迅速に対応が可能となる。独裁だからこそ可能なスピード感だ。
島根県江津市江津中央公園。
たくさんの鳩が餌を求めて歩いている。
すぐそばにいた鳩が倒れても、何も気にならないように。
大将軍府将軍私室
「将軍、食事の用意ができました。」
「ありがたいが、食べている余裕は無いよ。」
少しの間の後で、早口の反論が始まった。
「食事時間程度で、致命的な判断遅延の可能性は非常に少ないです。むしろ適切な栄養補給と睡眠時間の確保に失敗した場合には、そういった不幸な事例があることは過去の歴史が証明しています。無理にでもガツガツ食べ、眠くなくても横になっていただきます。」
怖いんだけど。将軍だよね、私。
「江崎さん、…これ全部ですか?」
「ええ、全部食べていただきます。」
給仕長の江崎さんは、見た目は大変おとなしそうで真面目そうだったので、すっかり油断していた。
私の目の前にはどうみても2人前以上の、美味しそうな料理が並んでいた。しかも、どれも私の好物ばかりだった。
「…栄養バランスとかは?」
「大丈夫です、全部食べればきちんと取れるようになっています。…なので、食べていただきます。」
「了解です。」
美味しくいただきました。確かに頑張れそうです。
大将軍府将軍執務室
食事を終えて執務室に戻ると、待ちかねたように大地君が来た。
「感染源の鳩を回収できました。」
「感染源?」
「発症者の近隣市民から、海に何か浮かんで鳥がたくさん飛んで行ったとの通報があったのです。付近の公園などを捜索したところ、鳩のコロニーで多数の死骸が見つかりました。既に立ち入り禁止エリアとし、鳥に近づかないよう警報も出しました。」
「侵入が囮というのは、このことだったのか。」
「そのようです。海中探索も指示済みです。」
「で、どうしてその鳩が感染源だとわかったんだ。」
「死ななかったんです。」
「死ななかった? 免疫を獲得していたってことか。」
「そうです。そしてその個体の糞からはウイルスが検出されました。」
「ウイルスが検出されたってことは、感染し共存しているということか。ウイルスが免疫系に破壊されることなく排出されたのだから。」
「その通りです。」
「…そして、侵入部隊の血清とも反応しない。」
「その通りです。」
「やっかいだな。もう変異してしまい、さらに強毒化とはな。」
「…そうですね。情報では弱毒のH1N1亜種程度とのことでしたので。」
「まぁ相手がウイルスなら、どんな敵になるかはその時次第だからなぁ。とにかく今は隔離と封鎖を徹底して欲しい。封鎖区域には自衛隊を中心とした、防疫と医療・生活支援部隊の派遣を早急に実施。」
「了解しました。」
立ち去ろうとする大地君を呼び止めた。
「今回のウイルス情報の取り扱いには注意するよう通知してくれ。特に提供情報から変異したことは非公開だ。」
「…理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「わかっているのに聞くのか?」
「ええ。確認のためです。」
「我が国にこれを使ったやつらが、どこか他に使った時に犯人をあぶりだすためだ。琉球王国にも統一朝鮮にもこんな技術は無い。黒幕は他にいて、我が国の対応を見極めている。」
「ご指示を進めます。」
大地君は一瞬表情に浮かんだ怒りをかき消すと、足早に去って行った