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第1話 平和主義者(ピースメーカー)



 その日、円形闘技場(サムラン・ロディア)から見える空はいつになく冴えわたっているように見えた。


 場内は吹き抜けだというのに、観客たちの期待と興奮が放つ()せ返るような熱気で満たされている。


 観客の視線は闘技場の中心、直径50mの砂地に立つ、二人の男に向けられていた。


 セルウィン・マグニエル。身長1.8m、無駄なく鍛え上げられた脹脛(ふくらはぎ)に6つに割れた腹筋。身の丈ほどもある長槍を手にした彼の視線は、未だ戦いの銅鑼がなっていないにもかかわらず、一瞬の隙もなく目の前の男に注がれていた。


 セルウィンは自身がこれから戦う男を前にして、喉を締め付けられるような緊張感に苛まれていた。


 身長はセルウィンと変わらない。炭の如き黒髪に鷹の如き鋭い双眸。首、肩、腕、胸、腹筋、腰、太腿、脹脛、足先、指の先に至るまで一切の隙なく磨き上げられた完璧な肉体。その中でも特に目を引くのは拳だ。度重なる鍛錬と死闘の果てに傷だらけになった拳は、関節の一つ一つが隆起しており、武骨を通り越してもはや岩そのものであった。


 セルウィンは知っている。目の前の男が、この魔法と武具を駆使して猶生き残れる保証のない世界を、その拳のみで勝ち抜いてきた事実を。


 だが、その事実を踏まえたうえで、彼は己の内に湧き上がる全ての感情をいったん保留した。


 戦いとは恐怖への挑戦であり、魔闘士とはそれを生業とするものだ。恐怖への敗北とは即ち魔闘士としての死を意味する。


 槍を握りしめ、魔力を全身に巡らせる。太古の魔闘士、偉大なるマクシミリアンはこう述べた。「魔闘士とは、武術と魔法の芸術である」と。ならば、魔闘士として、その言葉の神髄をここにいる全ての人々に見せつける義務が俺にはある。



「はじめ!!」



 銅鑼が鳴った。


 セルウィンは始まると同時に自身の周囲を風の鎧で覆った。生半可な者では近づくことすらできない暴風の壁だ。


 一方目の前の男は体を半身にし、左手をやや前に突き出し右手を顎の横に添えるように構えており、相対するセルウィンは静かに槍を下段に構える。


 どちらも今だ動かない。この戦いは命懸けだ。その事実を忘れ、意気揚々と飛び出して行った結果血の花を咲かせた哀れな愚か者はごまんといる。


 じりじりと詰められた距離およそ8m。すでに男はセルウィンの間合いに入っていた。


 だが、始めに動いたのは男の方だった。大地を蹴り抜いた男は一瞬でセルウィンの懐に入り込み、左の正拳を繰り出す。あまりの速度と予備動作の少なさに虚を付かれたセルウィンは驚愕しつつも辛うじて拳を躱した。顔の横を掠めた拳が刃物のように頬を切り裂く。


 全く見えなかった。拳を避けられたのは風の鎧で僅かに軌道が逸れたのと、殆どまぐれだ。


 続けざまに放たれる右回し蹴りを槍で受け止める。両腕を尋常ではない衝撃が駆け巡った。だが、セルウィンもやられてばかりではいられない。足に風の鎧を纏わせ、男の腹へ蹴りを放った。


 蹴った感触は鋼そのものだった。男が吹き飛んだのは蹴りの威力ではない。ただ風で吹き飛ばしただけだ。恐らくダメージはさしてない。


 だが、それでいい。目的は距離を取ることだ。


 男はそのまま10mほど地面を転がるが、受け身を取ってすぐに臨戦態勢をとる。



 ぞくりとした。



 男は笑っていた。


 視線はまっすぐにセルウィンに向けられてはいるが、口の端が不気味に吊り上がっている。

 飲まれるな! 


 怖気づきそうになる己自身を奮い立たせ、すぐさま全身の『マナ』を叩き起こす。


 魔法とは、即ち想像の具現化である。


 全身の『マナ』で魔力を生成する。増幅させた『魔力』という粘土を、イマジネーションと知識でもって『魔法』という形に仕立てる作業こそ、魔法の本質である。


 イメージしたのは獲物を捕らえる槍の切っ先だった。


 セルウィンの目の前で巨大な暴風が渦を巻く。


風よ、魔槍となせ(ヴェル・トーラ)!!」


 詠唱とともに、これまで幾人もの対戦相手を血で染めた風の槍が放たれる。


 それに対し、男は避けるでもなく、足を前後に開き、左手を眼前に構えながらぎりぎりと弓を引くかのように右手を引き絞っている。


 まさか、迎え撃つつもりか!?


 全てを貫く穂先が男の喉元に迫る。


「ハアッッッ!!!」


 一閃。烈哮とともに放たれた右手は、恐るべき速度と威力を伴い、真正面から魔槍を、文字通り一撃で粉砕した。


 信じられない出来事に一瞬で静まり返る闘技場。 

 男の右手はさすがに無傷とはいかなかったらしく、痛ましく血を滴らせている。


 だが、当の本人はにやりと笑うと、突き出した右手を開き、くいくいと二度、手招きした。

 場内は先ほどの静寂から一転、割れんばかりの歓声で埋め尽くされる。

 セルウィンの脳裏は真っ白に燃え上がった。


「嘗めるな!!!」


 暴風に乗って一瞬で距離を詰めると、男の胴目掛けて渾身の槍を繰り出す。


 男は槍が間合いに入ったと同時に側面を左手ではじく。狙いが逸れて体が崩れた一瞬、セルウィンと男の視線が交差した。方や怒りに燃え上がり、方や冷静な瞳で相手を見据えている。


 刹那の交感。積み上げてきたものをぶつけ合って初めて得られる理解と共感。

 今目の前にいる男は紛れもなく本物だ。


 続けざまに突きを放つが、その悉くがはじかれ、男の体に届かない。


 槍を引くと同時に、返す左手に風を起こし、男に放った。だが、男はその攻撃を予期していたのか、潜り込むように身を屈めて風の弾丸を避けると、体を回転させ、セルウィンの腹目掛けて後ろ蹴りを放つ。


「かはっ!?」


 内臓を貫くような一撃に呼吸が止まる。成すすべなく吹き飛ばされたセルウィンの体は10m程転がって、地面に倒れ伏した。


 視界が揺れている。槍を放さなかったのは最早意地以外の何者でもなかった。

 柄を地面に突き立て、無理矢理に体を起こす。



 伏せた視線の先が影に染まった。



 顔を上げた。眼前には男のやや見開かれた双眸。引き絞られた紅い右拳。呼吸が止まる。全身を『死』という言葉が駆け巡る。


 放たれた右手は大地をも砕かんばかりの速度でセルウィンに迫り、



 鼻先に触れる直前で停止した。



「……参りました」


 セルウィンの口から降参の言葉がこぼれ落ちる。


「勝者、紅蓮! 『平和主義者(ピースメーカー)荒垣紅蓮(あらがき ぐれん)が、またしても武器も魔法も使うことなく勝利しました!! この偉業に皆さん盛大な拍手を!!」


 決着の銅鑼が鳴り、場内は紅蓮への称賛の声で満たされる。

 その中心で『平和主義者』と呼ばれた男、紅蓮は突き出された拳を開き、セルウィンに差し出した。


「楽しかった。またやろう」


 死ぬか、降参するかでしか決着のつかない修羅の世界。そんな世界に丸腰で挑み、誰一人殺すことなく、戦いが終われば笑って手を差し伸べる変わり者の拳闘士(グラップラー)


 セルウィンはそんな男の風変りさに少しだけ苦笑しつつ、差し出された手を握り返した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 格闘系は意外とないテーマなので期待しています。 [気になる点] 空手がベースで立ち技だけなので「グラップラー」ではないですよね。 ストライカーです。 [一言] 更新を期待しています
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