君へ緋色の花束を
これは『はぐれ魔導士は永久の夢をみる』開始前のストーリー。
「ねえ、この花綺麗だと思わない?」
薄い金色の髪をもった少女がこちらに向けて微笑む。普段の活発な姿からは想像がつかないほど穏やかな笑み。それはひどく違和感を覚えた。
少女の持っている花に視線を向ける。それは緋色の花だった。柔らかな光を放ち、まるで夕暮れを思い浮かばせるかのような花。だが、その時の私は『美しい』というものがどういった感情なのかわからなかった。
「どうしたんだ?何か変なものでも食べたのか?」
手を少女の額にあてる。熱はないみたいだ。
「食べてないわよ!そうじゃなくて、この花を見て何か思わない?」
少女の頬が膨らむ。どうやら先ほどの返答がお気に召さなかったらしい。
再び花に視線を向ける。
「夕暮れみたいな花だ。発光しているということは幻想花の一種か?」
素直に思ったことを口にする。この辺りには生えていない花だ。発光しているということはダンジョンで生まれたのかもしれない。
「そう! この花は『夕暮れの丘』の奥地にしか咲かない花でね。お父様がお母様にプロポーズするときに贈ったの。」
少女の頬が緩む。『夕暮れの丘』。それはAランクの魔境であり、人の身で気軽にいける場所ではない。
「私はこの花が好き。お母様もきっとこの花が好きだったと思うわ!」
少女が花を胸に抱く。少女の母は少女を出産した後に亡くなっている。
「そうか。」
少女の頭を撫でる。さらさらとした髪。少女が目を気持ちよさそうに細める。
寂しくなかったはずがない。だが、優しい子に育ってくれた。
「えへへ。」
少女が恥ずかしそうにはにかむ。それはこの娘の母親が恥ずかしがる際にみせていた仕草によく似ていた。
「それでね..。私もお母様みたいにこの花を贈られてプロポーズされるのが夢なの。」
少女が上目使いでこちらを見てくる。
「....。」
突然の話に目が丸くなる。ずっと心の中でまだ子供だと思っていた。だが、この子ももうそんな年になったのだ。感慨が胸に広がる。
「きっと叶うよ。」
「わっ」
頭をわしゃわしゃと撫でる。空はどこまでも蒼く晴れ渡っていた。
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雷鳴が響き渡り、黒い雲が空を覆いつくす。街の至る所で火が上がり、黒く淀んだ瘴気が辺りに漂う。
「はぁ。はぁ。」
街の中央にある宮殿に向かって走る。周囲に斃れる亡骸たち。その顔はどれも苦悶の表情で歪んでいる。
「エンゲルス!」
宮殿の前には多数の死体があった。3日前まではともに笑いあっていた人たち。だが、その顔に既に生気はない。扉の前に倒れ伏している男。それはこの都の領主でもあり、私の親友でもあった男。体中に食い破られたかのような穴が開き、あるはずの左足と右手が存在しない。
「いったいなにが..」
震える手で倒れている友を抱き起す。冷たい感触。無念さを煮詰めたかのような表情。その瞳には既に光は存在していなかった。
「アザリア!」
友を地面におろし、扉を押し開ける。
強い鉄のにおい。夥しいほどの死の香り。そこに既に生命は存在してはいなかった。
「アザ..リア?」
広間の中央に倒れている少女の姿が目に入る。薄い金色の髪に、触れれば壊れそうな華奢な身体。
それは確かに自分がよく知る少女の姿だった。
『生命のなんと儚きことか』
震えが止まらない。
震える足で少女に近づく。
『生命を踏みにじり、尊厳を貶める、なんと楽しきことか』
一歩が遠い。どれほどの時間がかかったのだろう。
少女の傍らに膝をつく。青白い顔。身体からは夥しいほどの血が流れている。
早く治療しなくてはならない。魔法を発動させる。
「発動..しない?」
動悸がうるさい。吐き気がとまらない。
「なぜだ」
自身の中にある魔力を全て注ぎ込む。
「クラ..イス..?」
少女の目が弱々しく開かれる。
「アザリア!」
魔法は発動しない。
「ごめ..んね。あなたを..一人に..して..しまう..。」
「喋るな! すぐに治してやる!」
少女を胸に抱きかかえる。驚くほど冷たい。
「!!?」
少女にこびりつく死の残滓。対象を逃すことなく死に引きずり込む禁呪。魂すら汚染する永劫の呪い。
「どう..して」
顔面が蒼白になる。これは..無理だ。今の私では救えない。
「あの..ね。私..あなたのことがずっと..」
少女を抱きしめる。涙が頬を伝った。初めての感情。
少女の身体から力が抜ける。零れ落ちる手。
「...。」
涙があふれる。心の中にあった何かが壊れる音がする。
『さあ、こちらへ戻ってこい』
『お前のいるべき場所はそちらではない』
声が響く。それは酷く楽しげな声。
視線を前に向ける。人の姿をした『何かたち』。自分と同じ存在。
胸の中に広がるどす黒い感情。
少女を優しく床の上に横たえる。もう二度とその笑顔を見ることはできない。
少年の瞳から涙が零れ落ちる。
それは真っ赤な血の色をしていた。
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古びた宮殿跡。かつて都が栄え、人々で賑わっていた場所。いまでは魔力汚染の影響で荒野が広がり、過去の繁栄の面影は残っていない。
「遅くなってしまったな..。」
廃墟に佇む影。輪郭はぼやけ、感じられる気配は酷く弱々しい。
「この花、昔お前が好きだと言ってただろう?」
崩れかけの手に握られている緋色の花。それは昔少女が見せてくれた花。かつての災害で失われてしまった宝物。
「見つけるのに苦労したんだぜ。」
影が苦笑する。少女が言っていた場所は既になく、探し出すのに時間がかかってしまった。
少女と親友が眠る墓に花を供える。自分がいなければ起こらなかった悲劇。悔やんでも悔やみきれない罪科。
「ごめんな..。」
影が零れていく。力を使いすぎた代償。もうこの世界に留まっていられる時間も長くない。
「せめて死後は安らかに」
影の身体から緋色の光が零れ、散っていく。自身を供物にした最後の魔法。
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その日、今は亡き都跡には夕暮れのような優しい光を放つ緋色の花が咲き誇った。
この後のストーリーは『はぐれ魔導士は永久の夢をみる』に掲載中。
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