それぞれの思惑
神は様々な生物をこの地上に創造したが、一番最後に創造したのが人であった。人は機能性と美しさの両方を兼ね備えた命あるものの中において究極の姿であり、創造主である神でさえも人の美しさに魅了され、挙ってその姿を模したのだが、実際に人の姿になってみると、なるほど非常に生活し易い。
これ以降、神々は人を模した姿となったが、本当の力を発揮する時は本来の異形の姿となるのであった。
そのような天界にあって、一人だけ12枚もの翼をもち、美しく偉大な大天使長ルシファーはある時、突然部下達を率いて神に対して反逆を企てた。すぐに大天使ミカエルは神々を率いてルシファーと長きに渡って戦ったが、遂にルシファーは敗れて大勢の部下達と共に天界を追われ、地上へ堕天する事となった。この堕天使たちこそが悪魔であり、ルシファーはサタンとなって悪魔を束ね、神と神に創造されし生き物……特に神の寵愛を一身に受けていた人を憎むようになった。
そう言った意味では、悪魔と人が争う事になったのは必然だったのかも知れないが、皮肉にも悪魔たちは憎き人の姿だけは今も止めることはできないのだった。その中で、序列2位のベルゼブブだけは人間の姿を持たず、異形の姿を貫いていた。
序列3位のアスタロトは、外出の際は常にワイバーンに騎乗していた。
この日も、アスモデウスの監視役を仰せつかったアスタロトは、『天空の門』でいつものようにワイバーンを召喚した。
ワイバーンはドラゴン族であり、竜の頭、コウモリの翼、鷲の脚、ヘビの尾を持った空飛ぶ竜であり、口から灼熱の炎を吐く。一般的なドラゴンよりも体は小さいのだが一番の違いは、ワイバーンが2足であるのに対し、ドラゴンは4足である点だ。また、古代竜<エンシェントドラゴン>であれば、全種族の言語を話し、古代魔法をも使いこなすほど知力が高いが、ワイバーンはそれほど知力は高くは無い。
アスタロトによって召喚されたワイバーンは深い緑色の体で、その周囲は毒を帯びていた。毒の化身とも言われるアスタロトとの相性は抜群に良いと言える。
そのアスタロトの背後には、何故か彼女に指名され、共に監視の任に就くことになった赤の騎士ボッシュが金髪を風に受けながら、ヘルムを小脇に抱えて立っていた。
彼は自分の相棒であるヒポグリフを呼ぼうとしたその時、アスタロトにそれを制された。
「ボッシュ。あなたは私と一緒にワイバーンに騎乗しなさい」
「!?」
ボッシュは耳を疑った。
ワイバーンは主人以外の者を決して乗せることはしない。しかも常に毒を纏った竜である。とても人であるボッシュが乗れる代物ではない。
「恐れながらアスタロト様……ワイバーンが私を受け入れてくれるとは到底思えません……」
「そうでしょうね……ですがボッシュ。先ほども言いましたが、あなたは私と一緒にワイバーンに乗って移動してもらいます……これがどういう意味かわかりますね?」
「……はい」
つまり、自分で何とかしろ、という事だ。
これから重大な任務があるというのに、こんな所で時間や体力や気力を使いたくないのだが、アスタロトの命令に背くことは出来ない。
ボッシュはワイバーンの前に進むと、何かを察したワイバーンが甲高い咆哮で牽制したため、それに合わせてフルプレートの鎧が共鳴してビリビリと振動する。
ワイバーンは完全にボッシュを警戒している。これでは近づくこともままならない。ボッシュはチラリと振り返ると、アスタロトは笑みを浮かべてこの様子を見守っていた。
ボッシュはため息をついて再びワイバーンと対峙する。
ワイバーンを従わせる方法はただ一つ──心服させるしかない。
ボッシュはワイバーンへ意識を集中する。
──単にワイバーンと戦い、勝利するだけでは駄目だ。それではワイバーンには恨みしか残らない。
ボッシュはワイバーンの目を強力な眼光で見つめながら、ジリジリと間合いを詰める。
ワイバーンはその気迫に飲まれまいと、ボッシュに向かって猛々しい咆哮を浴びせる。
ボッシュは足腰に力を入れ、後ろに吹き飛ばされそうになりながらも、その表情は全く恐れも無くワイバーンを気迫で飲み込もうと、一歩、また一歩と前進していた。
その身に纏うオーラは凄まじく、怯んだワイバーンは遂に一歩後退してしまった。
気高きドラゴン族であるワイバーンは、ちっぽけな存在である人に対して臆したという事実を認める事が出来ず、ボッシュに向けて灼熱の息<ドラゴンブレス>を吐こうと大きく息を吸った。
アスタロトは目を輝かせてこの様子を見ていた。
──このままワイバーンが至近距離でドラゴンブレスを吐けば、いかに最強の人間といわれるボッシュであっても生きてはいられまい。そうなればあの『栄光の手』を私が手に入れる事ができる……。
『栄光の手』とは、蝋状となった死体の手の事で、蝋状の手は決して朽ちることは無く瑞々しいままその状態を保つ事が出来、その手に火を灯すと、詠唱者の魔術は増幅され必中すると言われる、魔術者にとっては喉から手が出るほど手にしたいアイテムだった。
悪魔ネビロスは、この『栄光の手』の持ち主を見抜く力を持っていて、現在生きている生物の中では、唯一ボッシュだけがこの手を持っていたのである。
ワイバーンは息を吸い終わると、それを一気にボッシュ目がけて吐きかける──!!
その瞬間、ボッシュは全身全霊を右手に込めて、ワイバーンの目前に勢いよく突き出した。
大気が歪み、ワイバーンを包む。
──両者の動きは止まった。
ワイバーンは大きな口を開き、まさにボッシュに向けてブレスを吐こうとした状態のまま動かなかった……いや、動けなかった。
目の前に突き出された人間の小さな手。
だが、その右手から視線を外すことが出来ないワイバーン。
正確には右手の延長線上にある人間の目だ………全てを凌駕し、全てを知るような目……。今動けば全てが終ってしまうような感覚……。
ワイバーンはちっぽけな存在であるはずの人間に畏怖の念を抱いた……それは同時にこの人間を認めた事に繋がる。
ワイバーンはゆっくりと口を閉じると、その首を地面に置いた。
ボッシュは突き出した右手でゆっくりとワイバーンの鼻先を撫でると、ワイバーンは観念したようにグルルと唸りその目を閉じた。
遂に緑竜はアスタロトに続き、ボッシュも主として認めたのだ。
「お見事」
アスタロトは短くボッシュを賞賛しワイバーンに飛び乗ると、手を差し伸べながら言った。
「さあ、お乗りなさい」
ボッシュは正直、疲れ果てていたが、悪魔の命令は絶対だ。小脇に抱えていたヘルムを被ると、アスタロトの背後に騎乗した。
「しっかり掴まるがいい」
アスタロトはそう言うと、自分の腰に手を回すように指示をする。
所詮は仮初の人間の体であるとはいえ、ボッシュは女性の体に手を回すという行為に少し躊躇した。
それに気付いたアスタロトはボッシュに聞こえるように笑った。
「うふふふ。たった今ワイバーンを心服させてみせた男が、このような人間の女体に臆するとはね……ボッシュ、案ずる事はありません。少々か細くて頼りない体に見えますがこれは仮初の体です」
「は、はい……」
そんな事は百も承知しているボッシュだったが、そう言われれば掴まるしかない。
ボッシュは渋々アスタロトの体に両手を回した。
漆黒のローブのせいで普段はその体型は良くわからなかったが、こうして両手を回してみると、どうやらかなりグラマラスな肉体の持ち主のようだった。
フルプレートの鎧越しからでもそれがわかるのだから、相当なものだろう。
そんなボッシュの心に気づいたのか、ワイバーンは甲高く一鳴きしてボッシュの心を現実世界へ引き戻すと、二人を乗せて『天地の塔』から飛び立った。
この時、ボッシュは重要な事を忘れていた事に気づいた。
──アスタロト様とワイバーンは、常に毒を身に纏われていたんだった……。
ボッシュは毒の影響で、ジリジリと生命力が削られていくのを感じながら、一人それに耐え忍ぶことになった。
アスタロトは、そんなボッシュを背中に感じることで、何とも言えない悦びに浸っているのだった。
◆
ソイマン率いる先鋒隊が退却する様子を、一部始終、上空から見守っていたアスタロトは背後のボッシュに問いかけた。
「この結果をどう見ますか?」
アスタロトに問いかけられたボッシュは、戦ってもいないのに少しげっそりした表情だったが、眼下で繰り広げられていた戦いはしっかり把握していた。
「味方は敵の情報を得るという本来の目的は達成したように見えます。倒した敵の数は1000以上に及びますが、こちらの損失は召喚したアンデッドがほとんどで、実質的な被害は最小限です。これは殿を受け持ったゴーレムと、ソイマンの活躍があったからこそです」
「それはそうですが、敵にも同じだけの情報を渡しているのです。次はバンシーも有効打にはならないでしょう」
「はい」
ボッシュはアスタロトの言葉を素直に認めた。
そもそもアスタロトは全ての古代文字<ルーン>を理解するだけの高い知能を持っており、その才能は魔族の中でも屈指だった。ボッシュが異論を唱えても簡単に論破されるのがオチだ。
「……それよりも私が聞いているのはそんな事ではありません」
「と、申しますと?」
ボッシュが素直に聞き返す。
正直、頭が切れる人は、話が回りくどくて面倒だとボッシュは思っている。だったら最初から何を聞きたいのか言えばいいのに、好んでこちらを試すような聞き方をする。この場合、こちらとしてはあえて思考を停止して、聞くことだけに専念した方が手っ取り早いのだ。
「ソイマンが中央の殿を受け持ち、単騎で敵陣に飛び込んだあの場面………あの時、私は違和感を覚えました」
「!!!」
アスタロトに言われて、ボッシュも気が付いた。
確かにあの場面、違和感があったかもしれない……!
「人とは感情に流される生き物です。それがどこの誰であっても例外はないと私は知っています……」
アスタロトはそう断言すると更に続けた。
「その上でお前に聞きます。あの場面……ソイマンが敵の将と思われる者と一騎打ちをした時、どうして敵を助けたのですか?」
「………!」
核心を突くアスタロトの質問に、ボッシュは答える事が出来なかった。
もしもあの場面………自分だったら、間違いなく敵将を切り伏せていただろう。我々魔族に敵対するものは断じて許すことはできない。これは当然の考えだ。
そして、それはソイマンも同じ考えのはずだ……彼は、我々5色騎士団の団長なのだ。
──では、どうして敵将を討たなかった?
『人とは感情に流される生き物です』
──つまり、あの時、ソイマンは別の感情を優先した……のか?
「……アスタロト様」
「ボッシュ」
アスタロトはボッシュの言葉を遮ると更に続けた。
「……『血の盟約』がある以上、人は魔族を裏切れません。そういった意味では、私はソイマンを疑ってはいません。しかし、彼は他の5色騎士団とは決定的に違います……それは、彼が『血の盟約』を結んだ本人であり、それ以前の人の暮らしを知っている点です」
「……それはどういう……?」
ボッシュにはアスタロトの言った意味がわからなかった。
何故なら、人は魔族に降ったあの時点で、それより前の暮らしの事を口にする者はおらず、かつて人が大陸を支配するほど繁栄していた事や、人が悪魔と戦いあと一歩の所まで追い詰めた事実を、ボッシュを含めた4人の騎士達は知らなかったのだ。
だが、ソイマンだけはすべてを知っていた。
ボッシュたちには無い感情が、ソイマンのその心の奥底にはあるかも知れないのだ。
『人間の手で再び繁栄を掴みとりたい』という思いが──!
ソイマンからは目を離せない……!
そうアスタロトは結論付けると、ボッシュの問いには答えず、無言でワイバーンの手綱を引いて北に向けて飛び去った。
ソイマンはアスモデウスの天幕に赴き、この度の戦いの報告を行っていた。
ランタンの明かりの下、椅子に腰かけるアスモデウスの前で膝を折るソイマン。
「先ずはご苦労だったな、ソイマン」
「はっ。有難うございます。アスモデウス様」
「この度の戦、5000のアンデッドが全滅したそうだが、それに見合うだけの情報は得ることが出来たのか?」
アスモデウスは労いの言葉もそこそこに、早速話を切り出した。
「はい。次の戦いでは必ず勝利を手にすることができると思われます」
「ほう……それは良かった。それでは報告せよ」
「承知いたしました」
ソイマンそう返答すると、得た情報を元に語り始めた。
敵には怪しげな術を使う女がおり、その者が5000のアンデッドを一瞬にして消滅させる力を持っている事。
しかし、その術は術者の体力をかなり奪うようで、次の術を使用するには相当な時間が必要である事。
更に敵の軍勢は全体的に脆弱であるため、単に力のぶつかり合いであれば魔族が圧勝すると思われる事を報告し、これらの事から、術者だけに注意を払えば、次の戦いは問題なく蹂躙できるであろうと結論付けた。
「なるほど、お前の報告はわかった。だがソイマンよ……」
「はっ……」
「その強力な術者たる女の情報がちと不足しておる。5000ものアンデッドを一瞬で消滅させるほどの術者であれば、他の術を持っていると考えた方が良いだろう」
「さすがはアスモデウス様、その通りでございます」
ソイマンはそう言うと深く頭を下げた。
アスモデウスは得意気な表情で腕を組むと続けて話す。
「いずれにしても、術者に大規模な術を使わせることで、その後しばらくの間は術者の事を気にせず、目の前の戦いに集中する事ができるという事だな?」
「仰る通りでございます」
「うむ。では、次の戦いでは下位のアンデッドで敵に強襲をかけ、術者に術を使わせる。その後、中位以上のアンデッドと、亜人<デミ・ヒューマン>を中心に攻撃を仕掛けるものとする。その際は私自らも出陣し、一人残らず焼き尽くしてくれよう」
「完璧なシナリオでございます……それでは私は先鋒を率いて、本隊が到着するまでの支えとして尽力したいと存じます」
「先鋒のアンデッドが全滅した後、本隊が到着するまでは多少時間が必要だ。従って、ここで敵をしっかり抑え込むことがこの作戦の一番重要なポイントとなる。よろしく頼むぞ、ソイマン」
「はっ。お任せ下さい」
ソイマンはそう言って頭を下げると、スッと立ち上がって早速出陣の準備に取り掛かった。
──あの術者は輿の上で倒れ込むほど体力を消耗していた。従って、敵の術者が完全に体力が回復する前に畳み掛けるのが効果的のはずだ。
これはアスモデウスも同じ考えで、すぐに全軍に出陣命令を出したのだった。
いつも冷静なソイマンが、今回ばかりは非常に高揚した気持ちだった。
──これは全てあの人間……時宗のせいだ。
ソイマンは自分自身でも高ぶる気持ちに気づいていた。
もう忘れかけていたこの感覚……正々堂々の戦い……騎士道とでも表現すべきか……。これこそが本当の人としてのあるべき姿……。
ソイマンは確かに高揚感は自覚していたが、戦の準備や想定にぬかりが出るとは考えていなかった。
運命の会戦まで、あと数時間……おそらく、空が白んでくる頃に両軍が激突すると思われた。
◆
『敵の大軍が接近中!』ドンドンドン!『敵の大軍が接近中!』ドンドンドン!……
東の海の水平線が僅かに白地んできた頃、東方人の町に大きな声と太鼓の音が響き渡ると、門の外には武装した者達が慌ただしく集まり始めた。
「先の戦による死体と武具は全て回収できたのか!?」
影千代は馬に乗り、槍を片手にして伝令に確認を取っていた。
「戦死者は装備を解除してから、門外に大穴を掘りそこに埋めております」
「よし、では手筈通り、隊を展開せよ!我が防人<さきもり>は正面から敵を受け止める!元親、又二郎、国松の隊を押し立てよ!」
「承知しました!」
伝令は返答するとすぐに走って行った。
それを見て影千代も自軍を率いて前進した。
そこへ馬を並べる者がいた。
「よお、総大将。俺は元親らの前に出るつもりだがいいか?」
装備を整えた時宗が、相変わらずボサボサ頭を掻きながら現れた。
「ああ、そうしてもらえると助かる。ところで、もう体の方は大丈夫なのか?元総大将?」
影千代がニヤリと笑いながら問い返す。
「勿論だとも。今回限りの総大将殿!」
「いやいや、これを機に今後は俺が総大将となる予定だとも。元総大将殿!」
二人は馬上で睨みあうと、同時に吹き出して笑ったが、ほどなくして真面目な表情で時宗が口を開いた。
「我が巫女は?」
「間に合わん」
影千代が即答する。
「そうか……」
予期していた事であったが、実際に影千代からその事を聞くと、やはり落胆する時宗だったが、すぐに気持ちを切り替えて影千代に進言した。
「……敵は非常に強い。まともにぶつかったらあっと言う間に蹴散らされる事だろう……被害を最小限にしつつ、時間を稼ぐには弓や投石を有効に使うべきだぞ?」
「ああ、だから元親と又二郎の軍には弓を持たせ、国松には投石器を準備させている。どちらも特別な奴だ」
「そうか、だったらもう何も言うまい。俺は敵将との約束を守る事に専念させてもらう」
「ソイマン……だったか……?」
「そうだ。彼には命を助けられた借りがある。それを一騎打ちでしっかり返させてもらうよ」
「勝算はあるのか?相手はとんでもなく強いのだろう?」
「そうだな……」
時宗はそう言うと影千代から視線を外し、遠く土煙を立てながら接近してくる敵の方向に目を向けた。
「……俺が勝てる確率はとてつもなく低い。だが、生きている以上、ゼロではない……俺に言えるのはそれだけだ……」
時宗は再び影千代を見ると、右手を差し出した。
影千代もそれ以上何も言わずに時宗の右手を握り返し、お互いがっしりと握手をする。
時宗はニヤリと笑うと、馬の腹を蹴って前線に向かって馬を走らせた。
「あの野郎……」
その場に残された影千代は、時宗との握手で痺れた右手を2、3回振ると呟いた。
「……言葉とは裏腹に、完全にやる気満々じゃねぇか!」
友の心意気をしかと受け取った影千代は、前を見つめると大声で叫んだ。
「我々には神がついておられる!者ども!大いに戦え!」
「「おおー!」」
東方人らの士気は十分高まっていた。
「この状態をいつまでも維持できれば良いのだが……」
影千代はそんな事を考えながら、味方が徐々に陣形を完成させてゆく様子を見守っていた。
左右を張り出した所謂『鶴翼の陣』である。
本来、鶴翼の陣は相手よりも軍勢が多い事が前提であり、敵を包囲・殲滅することが目的の戦術だが、左右に軍を展開する分だけ、中央が薄くなることがこの戦術の弱点でもある。
もしも、中央が突破されると、左右の軍が分断・孤立する恐れがある戦術なのだ。
「この戦術は、たとえ中央が突破されたとしても、敵を左右から絞り、包囲する事で、敵を中央へ集約することができる。そうすれば、最後に逆転の可能性も見えてくるのだ……」
影千代はそれまでの間、中央で敵を防ぎきらねばならないのだが、そもそも味方の数が、敵よりも上回っているのかも怪しい状況だった。
「……って、全く国松め、とんでもない作戦を考える……これじゃ俺の命がいくつあっても足りないじゃないか……!」
影千代はそう言いながら馬上で一人悪態をつくのであった。
一方、この作戦を考えたと言う国松は、投石器を空堀の後ろで横一列に並べて配置していた。その数は10。
国松は、影千代の弟である又二郎と同じ歳で、又二郎は兄に似て剛の者だったので、何かと比較されて生きてきた。だが、国松は又二郎とは違い、全く戦は苦手であり、刀を抜くと鞘に戻す時に必ず手を切るほどであった。
そんな国松であったが、知略に関してはズバ抜けており、自分が戦えない分、敵や味方の様子をしっかり観察・分析する目が備わり、そこから味方を勝たせるための方策を考えるようになったのだ。
これにより皆から『武の又二郎、智の国松』と呼ばれるようになったのだった。
国松は投石器の配置を終えると、すぐに矢倉に登り敵の様子を伺った。
敵はもう目と鼻の先まで近づいていた。
すると前回と同様、女の絶叫が戦場に響き渡った。
魔族は効果が薄いと知りながらも、ゼロではないと考え、数は200体ほどに縮小しながらもバンシーを先鋒としたのだった。
国松は大きな赤い旗を持つと、矢倉の上で大きく振りかぶった。
その赤い旗を合図に、前線の兵たちが一斉に松明の火を地面につけた。
地面には事前に油を染み込ませており、炎は一直線に敵に向かって伸びて行くと、敵の中央を切り割くように燃え上がり、まるで魔族を左右に分断するかのように炎の壁が出来上がった。
炎の高さはそれほどでもなかったが、それよりも真っ黒な煙が一斉に立ち込め、視界がかなり悪く、強烈な刺激臭が周囲に漂っていた。
しかし、予想通りアンデッドであるバンシーや、その後ろに続くスケルトンはほとんど怯むこともなく、一向に進撃のペースは落ちることが無かったのだが、その後方に配置していたコボルドやドワーフ、更には上空にいたソイマンは堪らなかった。
高温で異臭がする黒煙のせいで、息が苦しく、目も開けていられないほどであった。
ソイマンはそのような中でも、敵の布陣をしっかり観察し、例の術師が乗る輿の姿が無い事を確認していた。
「敵の術師の姿は無い!スケルトン隊は前へ!」
大きな声で指示を出しながら、ソイマン自らも低空まで高度を落とし、真っ直ぐに敵陣に突撃を敢行する。
ヒポグリフは地上スレスレで更に速度を上げると、通過後に衝撃波で地面が砕け、土煙を数メートルもの高さまで噴き上がった。
その行く手を阻むかのように、手入れが行き届いた茶色の馬に乗った男が進み出てくる。
ソイマンはすぐにその人物が目的の者だと見抜くと、速度を落として近づいた。
時宗は馬上にあって武者震いをしていた。
敵はあんな怪物を乗りこなす者だ。もしかすると人間に見えるだけで、実は化け物の親玉の可能性だってあるのだ。
……いや──。
時宗は自分の考えを否定した。
──あれほどの男が人間以外の化け物であるはずがない。実際に剣を交え、言葉を交わした俺にはわかる。間違いない、あれは俺たちと同じ人間なのだ。
もうここまで来ると何の根拠も無く、単にそう願っているだけのようにも感じるが、時宗は何故か絶対に間違いないという自信があった。
そして男同士の約束を交わしたのだ──再び戦場で会い見えようと!
ソイマンは魔族の誰よりもいち早く東方人の前線に到達すると、速度を落としてゆっくりと近づいた。
時宗は馬から降りると、槍を上にして柄の部分を地面につけて右手に持ち、ソイマンが来るのを待っていた。
ソイマンはヒポグリフの上から大斧を地面に投げ捨てると、それに続いて自身も飛び降りた。
周囲にフルプレートの金属音を大きく響かせて着地すると、傍らで地面に刺さる大斧を引き抜いて右肩に担ぎ、ゆっくりと歩き出す。
威風堂々とはまさにこの事である。
敵陣に単騎で乗り込んでくるというのに、東方人たちは誰もこれを止めようとする者はいなかった。ソイマンにはそれほどの貫録と風格があったのだ。
空堀に身を隠す東方人らには見向きもせず、正面に立ち自分を待つ者の元へ歩くソイマン。
「体の方は大丈夫かね?」
ソイマンが先に声をかける。
「心配には及ばん。全快している」
時宗はそう言いながら左手で自らのブレストアーマーをドンと叩く。
「それは良かった。これで心置きなく全力で戦える」
「いゃあ、気にかけてくれても、こちらとしては一向に構わんのだが……」
時宗はそう言いながら槍を両手で持つと、切っ先をソイマンへ向ける。
「……早速始めるとするか?」
これを受けてソイマンも大斧を両手で構える。
「望むところだ」
ここに両軍の強者が再び一騎打ちを行うのであった。