先に進めない想い
何も考えず、思いつきで書いただけのお話です。
毒にも薬にもならないようなお話ですが雰囲気だけでも楽しんでいただけたら、と。
風邪をひいてしまった。朝は熱が三十九度まで出てた。季節の変わり目だからそれで風邪をひいてしまったのかもしれない。
喉が痛い、頭が痛いとかはなかったけど、かなりしんどくて意識が結構ぼんやりしてたと思う。
それに、食欲もわかなかった。それでも少しだけ食べてから薬を飲んだ。こんな状態で学校に行けるはずなんてないから当然、休んだ。
それから、ずっとベッドで寝てて、今は午後の五時になった所だ。熱を計ってみると三十七度七分。朝に比べるとずいぶんと下がっている。体調もそれなりによくなってるみたいだ。
しかし、そうなると、暇になってくる。けど、起き上がるのが面倒くさい。だから、今の楽しみはお母さんが十分ほど前に開けた窓から空を見ることだけだ。
時折涼しい風が入り込んでくる。秋が近付いてきたんだなあ。
と、不意に窓に人影が見えた。二階なのに誰だろうか、と思う必要はない。それが誰なのかは分かり切ってることだから。そして、少し高鳴るわたしの鼓動。
「よっ、紫央。風邪の調子はどうだ?」
「まだ、ちょっと調子出ないけど、朝よりはマシになったよ」
何の躊躇もなくわたしの部屋に入ってきたのは幼馴染の悠哉。わたしはいつもユウ、って呼んでる。物心ついた時からこう呼んでた。
隣の家に住んでいる彼はわたしに何か用事があるとこうして屋根伝いにわたしの部屋に訪れてくる。わたしも用事があれば屋根伝いに彼の部屋に行く。玄関まで回るより近いし早い。
「そうか、なら良かった。……あと、ほら、お見舞いの品」
ユウがわたしに差し出したのはこの近くにあるコンビニの袋。わたしはそれを受け取って中を見てみる。
「あ、プリンだ。ありがとっ、ユウ!」
嬉しくて声の調子が上がってしまう。
プリンはわたしの大好物だ。十何年も幼馴染をやってれば当然お互いの好きなものなんて大体知りつくしてるけどそれでも嬉しいものは嬉しい。
「あ……でも、いいの?あんまりお金、ないんでしょ?わたし、払おうか?」
一昨日、ユウがお金がないって言っていたのを思い出した。
「病人がんなこと気にすんなって。素直に俺の厚意を受け取れ、って」
わたしはユウの「こうい」という言葉にぴくっ、と反応してしまった。彼が言ったのは人に親切をする、っていう「厚意」だけど、わたしは人を好きだという「好意」の方が頭をよぎってしまう。
なんでそうなるかって?
単純な事だ。わたしがユウを好きになってしまったからだ。幼馴染としてでなく、もっと別のモノとして。
「?どうしたんだ?ぼんやりして。また、調子でも悪くなってきたのか?」
「むあっ?!そ、そんなことないよ!あ、あの、あれが、ちょっと、こう、えっと……」
自分でも何が言いたいのかわからない意味のない言葉の羅列。というか、言葉にもなってない。
「熱で頭でもやられたか?」
「うー……、そんなこと、ないよ」
さすがに取り乱しすぎた。いや、そんなことよりも、ユウの言葉の方が傷ついた。
ユウはときどき言葉がきつい時がある。耐えれるようなときもあれば耐えられないようなときもある。今のはまだ耐えれるレベルだった。
「ホントか?」
突然、ユウがわたしの方に近づいてきたかと思うと額に手を当てられた。
彼の手はひんやりとしていた。それはわたしの体温が上がってるからなのか、それとも外が寒かったからなのか。たぶん、どちらとも。
心拍数が少し上がる。トクトクトクトク、と鳴っているのがわかる。それをもし彼に聞かれてしまうと、と思うと余計に早くなっていているようなそんな気がする。
「一応、朝よりは下がってるみたいだな。でも、まだそれなりにはあるみたいだな」
わたしの額に手を当てたままそう言う。思った以上に近くにあるユウの顔に見惚れてしまう。
……って朝より?朝はわたしはすぐに寝てしまったからユウには会っていないはずだ。ということは?
「ユウ?」
思ったより低い声が出た。
「ん?なんだ?」
「今日の朝、わたしが寝てるのにも関わらずわたしの部屋に入った?」
「ああ、悪い、紫央が来なくて心配に―――」
それ以上ユウの言葉は続かなかった。当然だ、わたしが彼の顔を枕で叩いたのだから。
「バカっ!わたしが寝てる時に部屋に入らないで、って言ったでしょ!」
ばふばふ、と何度も枕で叩く。プリンの入った袋はユウを叩く前に机の上に置いている。
「うわっ、やめろ!病人がそんなに暴れんな!というか、紫央は当然のように俺が寝てるにも関わらず部屋に入ってくるだろ!」
「そんなの関係ない!女の子が寝てる部屋に無断で入るなんて最低だよ!」
わたしはなおもユウを枕で叩き続ける。
ユウがわたしから逃げようとしてわたしはそれを追いかける。いつの間にかベッドからも出てきてしまっている。
「わかった、わかったから!もう紫央が寝てる時には入らない!だからもう叩くのはやめてくれ!」
「そんなの信用できないよ!前もそんなこと言ってたよ!」
「じゃあ、今度こそ、今度こそは守るから!」
「それも前言った!」
「くっ、なら!」
言ってユウはわたしの攻撃を避けた。
「避けちゃダメ!」
わたしは枕を横に薙ぐ。
「今まで甘んじて受けてやってたんだから別にいいだろ!」
しかし、わたしの攻撃は避けられてしまう。
「なら、わたしの気が済むまで叩かれて!」
「なに無茶苦茶言ってんだよ!病人は、おとなしくしてろ!」
ユウは枕を掴むと簡単にわたしの手から奪い取ってしまう。わたしの唯一の武器が奪われてどうすることも出来なくなる。
「形勢逆転、だな」
ユウが浮かべたのは不敵な笑み。
「うー……」
わたしはせめてもの抵抗で呻るだけ。あと、ついでに睨んでおく。
「紫央が睨んでも全然、怖くない」
「……むー」
今度はむくれる。別に喋れなくなったわけじゃない。
「ほら、むくれてないで早く横になっとけ」
そう言うと、ユウはわたしの体をベッドの方へと向けて背中を押した。
「……」
わたしは無言で後ろに下がろうとする。
「……」
ユウもわたしの背中を押す手に力を込める。
わたしはそれに対抗するようにさらに力を込めて後ろに下がる。
このままベッドの上に横になってしまえばわたしが寝てる間にユウが部屋に入ってきたことが有耶無耶になってしまう。
そんな風に考えていたら突然浮遊感を感じた。
「わわわ!」
倒れる!と思って咄嗟に目を閉じた。だけど、予想していたような衝撃はなかった。その代わり、いまだに浮遊感が残っている。
わたしはおそるおそる目を開いてみる。すると、近くにユウの顔があった。
「え?あれ?」
「ほら、おとなしくしてろよ?」
そして、気がつくとわたしはベッドの上に戻っていた。ユウの手によって布団がかけられる。
……えっと、今、わたしはどうなっていたんだろうか。何が起きたかわからなくて混乱している頭を落ち着けさせながらじっくりと考えてみる。
浮遊感を感じつつユウの顔が近くに見える体勢なんてそう多くないはずだ。
あの時の状況をしっかりと思い返す。浮遊感を感じていた、と言うことはわたしの足は床についていなかったということだ。そして、それはユウがわたしを持ち上げていた、ということ。
わたしに自力で宙に浮かぶなんていう力があるはずない。
で、ユウがわたしを持ち上げてた、というならどういう持ち上げ方をしてたか。
あの時の状況をもっと詳しく思い返してみる。と言っても視覚的な情報はユウの顔が近くにあったということしかない。
だから、別の情報を引っ張り出す。
そういえば、太ももと背中の辺りに誰かに触れられていたような感覚が残っている。ということは、ユウはその辺りを持っていた、ということだろう。
……ちょっと、待って。その辺りを持ってたってことはあの抱き上げ方しかない。通称「お姫様抱っこ」とか言われるあの抱き方しかない……!
自分の身に何が起こったのかを理解した途端にベッドの上で悶えたくなった。でも、さすがにユウが見てる前でそんなこと出来ない。
「ううーーー……」
恥ずかしさで転げ回りたい衝動を抑えてうなり声をあげる。
「どうした?……なんか、顔が赤くなってないか?」
「そ、そんなことないよ!」
がばっ、と起き上がる。
「なんで、そんなにむきになって否定するんだよ」
「あう……」
自爆してしまった。もうこのままここから消えてしまいたい。
……でも、ユウから離れたくはないんだよね。でも、このままユウといたらおかしくなってしまいそうだ。
今までは一緒にいても全然平気だったのに……。もしかして調子が悪くなってるからこんなにうまくいかないんだろうか。
ここでユウに恥ずかしい所をいろいろと見せてたら明日からも平静ではいられそうにない。
「……ひあっ!」
「ぬわっ!」
ユウの手が額に当てられたことに驚いて悲鳴のようなそんな声をあげてしまう。ユウはわたしの声に驚いてわたしから離れた。
「いきなり変な声出すな!」
「ユウがいきなり触ってくるからいけないんだよ!」
わたしは叫び返した。たぶん、顔は真っ赤になってると思う。
「じゃあ、ちょっと触らせてもらうぞ」
再び近づいてきたユウはわたしの心の準備が整っていないにも関わらずわたしの額に触れた。
「……。やっぱり、俺が来た時よりも体温上がってんじゃねえか。暴れすぎだ、お前は」
「…………ユウが、悪い……」
もう色々と絶頂まで来ていて限界だった。まともユウと顔を合わせられそうにないから布団を持ち上げて顔を半分ほど隠す。
「だから、紫央が寝てる時に勝手に入って悪かった、って言ってるだろ」
「……なんで、ユウはわたしとの約束も忘れて、勝手に入ってきたの?」
「紫央のことが心配だったからに決まってるだろ」
「……ふえ?」
あまりにも不意打ちな一言に完全に動きを止めてしまう。
「おーい、なに固まってるんだ?」
ユウがわたしの前でひらひらと手のひらを振る。
いやいや、でもよく考えてみればわたしはいつも迎えに行っていて、だから当然いつもならわたしがある時間にユウの部屋に行っているということで、それなら、わたしが来ないというのは異常であって普通じゃないことであってユウがわたしに何かあったんじゃないのだろうかと心配するのは当然で、それを確かめるために約束を破ってまで部屋に入ってくるのも当然で―――。
……それは、本当に当然なんだろうか?ユウも実はわたしのことが……だから、わたしのことをすごく心配して部屋に勝手に乗り込んだんじゃないだろうか。
いやいやいやいや、それはさすがに都合がよすぎる。ユウがわたしに対してそんな素振りを見せたことなんてないし。
「はうう〜……」
「紫央、ホントに大丈夫か?」
「ふあっ……?!あ、だ、だいじょぶ、だいじょぶだよ」
不自然な口調になってしまう。頭の中がぐちゃぐちゃになりすぎてもうわけがわからない。
「いや、全然大丈夫そうには見えないんだが。ホントは無理してんじゃないのか」
「そ、そんなことない、そんなことないよ!それよりも、喉、乾いたな!ユウ、何か、持ってきて」
少しでもいいから一人になる時間を作りたくてそう言う。ユウを家に帰らせよう、とは思わなかった。
ユウに帰ってほしくないのだ。彼が自分から帰る、と言い出すまで。
「突然、命令かよ。……まあ、いいけど。で、何が飲みたいんだ?」
文句を言いながらもわたしの要求をのんでくれた。ユウは本質的には優しいからわたしのお願いは大体聞いてくれる。そもそもわたし自身そんなにお願いをしたことはない、はず、だから。
「ん、なんでもいいよ」
「了解。じゃあ、ちょっと待ってろよ」
言ってユウは扉を開けてわたしの部屋から出て行った。
わたしの家の中ではユウがわたしの部屋の窓から入ってきてることは公認のことだ。だから、ユウが勝手に家の中に入ってきていても誰も文句を言わない。むしろ、家族の様に接している。
とまあ、そんなことはどうでもよくって、彼のいない間にわたしの乱れ切った心を落ち着けよう。ずっとこのままでいたら風邪以外の要因で倒れてしまいそうだ。
胸に手を当てて大きく息を吸う。少し冷たい空気が肺の中に入ってくる。
それから、ゆっくりと息を吐き出す。わたしの中の何かが抜けて行く。
……うん、少し落ち着いてきた。でも、これだけじゃ、まだまだだからもう一度、吸って吐いてを繰り返す。
よし、これでおっけー、かな?
取りあえず落ち着くことは出来た。風邪をひいただけでユウのことであんなにドキドキするようになるとは思わなかった。
いつも以上にこの気持ちを伝えたい、伝えたい、って心が暴れている。
だけど、同時に理性がそれに従うことを拒んでいる。
なぜなら、ユウがわたしと同じ気持ちを抱いているとは限らないから。もし、断られたら、と考えるととても怖い。
それに、断られなかったとしてもわたしたちの関係はぎくしゃくしてしまうと思う。少なくともわたしは今まで通りに振る舞えるとは思えない。
でも、ユウがわたし以外の女の子と一緒にいる、という話は聞いたことがない。いや、もしかしたら聞いてないだけでわたしの知らないところでは一緒にいるのかもしれない。
そんな不安のせいでわたしは前に進めないでいる。
……って、なんでわたしはユウに告白することなんて考えてるのっ?!
自分の思考回路がよくわからない。風邪はわたしの頭まで蝕んでいるんだろうか。
頭をぶんぶんと振ってユウに告白するなんていう考えを捨て去る。
その代りにわたしがユウを好きになったその瞬間はいつだったのだろうか、と考えてみることにした。
わたしとユウは物心つく前から一緒にいたそうだ。伝聞形になっているのは覚えていないから。
まあ、そんなのは些細なことか。とりあえず、わたしは物心がついてからのことを思い返す。あの頃の記憶もほとんど残っていないけど、なんとなくは覚えている。
ユウとよく遊んでいたこと。そのときに、ユウに悪口を言われて泣かされたこと。でも、わたしが泣きだしたら逃げ出しもせずに謝ってくれたこと。
なんか、今とあんまり変わってないな、と思う。さすがに、遊んだり泣かされたりすることはないけど、口は汚いし、自分の非を認めたらちゃんと謝ってくれる。あと、わたしからユウを困らせたりするようにもなった。
あのころはまだただ単に好き、というだけだった。なら、それが変わったのはいつからだっただろうか。
小学生の時?中学生の時?それとも高校生になってから?
順番に記憶を掘り返してユウを好きになった瞬間を探してみるけどどこにも見つからない。
だけど、わたしの記憶の中はユウばっかりだな、ということに気がつく。
幼稚園のころ、わたしはずっとユウのことを追いかけていた。小学生のころ、わたしもユウもそれぞれの友達を作ったけどなんだかんだで一緒にいる時間が長かった。中学生のころ、小学生だった時よりも一緒にいる時間が格段に減っていた。それでも、わたしは毎日、屋根を伝ってユウの部屋に遊びに行った。
そして、高校に通うようになって、わたしとユウは同じ学校に行くことになった。別に二人してどこにいこうか、なんて話し合ったわけじゃない。自然と同じになっていたのだ。今は、学校に行く時わたしがユウを迎えに行く。
……わたしはユウのことを追いかけてばかりだなぁ。これは、確かにいつわたしの「好き」が恋心に変わっていたとしてもおかしくはない。
まあ、結局わたしの恋がいつ始まったのかはわからずじまいだった。けど、代わりに、わたしがユウを更に好きでいられそうになった。わたしの記憶の中にたくさん、ユウがいることを確認したから。
「……あ」
確認してどうするんだろ。これじゃあ、ユウが戻ってきた時、余計に取り乱すんじゃないだろうか。
いや、大丈夫、大丈夫だ。取り乱す、なんて思ってしまうから取り乱してしまうのだ。そう、冷静に、冷静になれ。そうすれば、ユウの前にいても平気でいられる。
再び、深呼吸。大きく吸って、大きく吐く。この際だから恋心まで捨てちゃえ、とか思ったけど、結局捨てられなかった。
そう簡単に捨てられるものではない。捨てたくもない。
「紫央、悪い、待たせたな。紗枝さんがココアを作ってくれたぞ」
少し心が落ち着き始めた時、肘で扉を開けてユウが入ってきた。両手はコップによって塞がっているらしい。
「ほら、紫央の分だ。こぼすなよ?」
わたしのほうに近づくと注意を促しながら片方のコップを差し出し来た。わたしは、それを両手で受け取る。
「……ありがと」
一人でいる間、ずっとユウのことを考えてたから意識してしまう。そのせいで、あまり声が出てこなかった。
「?なんか、声に元気がなくなってるな。……やっぱりお前、それ飲んだらすぐに寝た方がいいぞ」
ユウがまた声に心配を滲ませる。
確かに、もう、寝た方がいいのかもしれない。ユウが来てからずっと変な感じだ。
「うん、そうだね」
答えて、わたしはココアを口に入れる。
甘い温かさが口の中に拡がる。深呼吸をしたときなんかより数段気持が落ち着く。
わたしのお母さんはココアを作る時、純ココアから作っている。だから、インスタントココアにはない美味しさがある。
子どもの頃から飲み続けている。それも、ユウと一緒に。
「やっぱり、紗枝さんの作るココアは美味しいな」
彼は柔らかな笑みを浮かべる。わたしの前でも彼がほとんど浮かべる事のない表情だ。
それに、わたしは見惚れてしまう。
けれど、すぐに、はっ、と我に返ってコップに口をつける。恥ずかしさを隠すために。
お互いに無言でココアを飲む。けど、気まずい雰囲気ではない。
言葉はなくても、わたしのお母さんのココアの美味しさは共通なのだ。だから、自然と無口になってしまうのだろう。
こうしている間はとても居心地がいい。いつまでも、いつまでもこの感じが続けばいい。
だけど、終わりは必ずやってくる。
「……さてと、俺はそろそろ帰るな」
飲み終わったユウはコップを持って立ち上がった。わたしも、ちょうど飲み終わる。
「紫央のコップもついでに持って行っといてやるから、もう寝ろよ」
わたしの手からコップを受け取る。そして、わたしのもとから立ち去ろうとした。
「……あ」
ユウが行ってしまう、と思ったら口から勝手に声が出ていた。
「どうした?何かあるのか?」
律儀に足を止めてくれた。けど、なんと言えばいいのだろうか。わたしから離れてほしくない、なんて言えるはずがない。
けど、だからといってこのまま何も言わないのもおかしい。呼びとめてしまったのだから、何か、言わないと。
それから、少しの逡巡。次いで、決意。
「……プリンも下に持っていっておいてくれないかな」
結局、口から出たのはそんな逃げ口上だった。それは、良いことなのか、悪い事なのか……。
とりあえず、今はいいことにしておく。
「面倒くさいな。……まあ、いいか。じゃあ、おとなしくしてろよ」
コンビニの袋を掴むとユウは部屋から出て行った。
訪れるのは静寂。ユウがわたしのために飲み物を取りに行ってくれたときとは違う性質のもの。ちょっとの寂寥感がある。
「……はあ」
自然と溜息が洩れてきた。
これは安堵の溜息なのか、それとも何もできなかったわたしへの呆れか。
ぱたん、とベッドの上に倒れる。なんだかとても疲れてしまったような気がする。
ユウへの想い、自分の気持ちを伝えられないもどかしさ、今の関係が終わってしまうことへの恐怖。そんなものたちが心の中でぐちゃぐちゃになっている。
いつもなら、いつものわたしならこんな気持ちはすぐに気にならないようにすることができる。でも、今日は違う。感情がどろどろと渦巻いてる。
「うー……」
わけがわからない。頭を抱えたくなる。いや、実際に抱えた。
このまま寝てしまえばこれ以上悩まなくても済むんだろうか。
そう、思ってしまった。けど、眠気なんてまったくと言っていいほどない。その代わりに疲労感だけがある。
ぼやー、っと天井を眺める。それでも、やっぱり考えてしまうのはユウのこと。
うあー!、と叫んで転がりまわりたくなった。けど、そんなことしたら絶対に変だと思われる。特に、ユウに。
キィィ……、
ふと、扉の軋む音がした。
誰だろう、と思ったけどすぐにそれが誰だかわかった。
わたしは横になったまま扉の方を見つめる。
ゆっくりと扉が開けられていく。静かに、音を立てずに開けるかのように。
そして、数秒後、扉から顔をのぞかせたのはユウだった。
なんで、戻ってきたんだろう、とは思わない。よく考えてみればユウは窓から入ってきたのだ。だから、正面から帰ることができるはずがない。
「っと、まだ寝てないみたいだな」
「……ユウはまた、わたしが寝てる間に入ってくるつもりだったの?」
さっき約束したばかりなのに、と半眼でユウを見る。
「まあ、そうだな。……って、ちょっと待て、無言で枕を振り上げんな。この場合は不可抗力だろ!」
静かに上半身を起こして枕を持ち上げたのだがユウは後ろに後ずさってしまった。それに、ユウの言い分も正しい。だから、わたしはゆっくりと枕を持つ腕を下ろした。
「はあ……、すぐにそうやって殴ろうとするのはやめろよな。枕だから痛くはないけど」
「ユウがわたしとの約束を破るのが悪い」
「いや、だからってなぁ」
「……むー」
ユウの言い訳を聞く気はない。よし、いつもの調子に戻ってきた。
「……はあ、わかったよ。お前が俺に暴力を振るうのは俺が原因なんだな」
「うん、最初っからそうやって素直に納得してれば良かったんだよ」
ユウは納得のいかない顔をしているけど気にしない。うん、これがいつものわたしたちだ。
わたしが無茶を言って、ユウに納得させる。いつの間にかこうなっていた。でも、わたしは楽しいからこれでいい。
いつもどおりに振る舞えるようになった、と思ったらなんだか眠気が襲ってきた。
「ふぁ……」
欠伸も出てきた。
「おっと、長くいすぎたみたいだな。紫央、明日はちゃんと迎えに来てくれよ。そうじゃないとまた、勝手に入るぞ」
「バカ、そんなことするなら、窓の鍵、閉めとくよ」
「防犯のためにもそうしといた方がいいんじゃないか?まあ、こっちまで届くような声で呼んでくれれば一応助けには行くけど」
「ありがと。……でも、ユウなら呼ばなくてもわかってくれるよね?」
「……さあ、どうだろうな。ま、嫌な予感を感じたら真っ先に飛んでいってやるよ。じゃあな、紫央、ゆっくり休めよ」
「うん、ばいばい。途中で落ちないように気を付けてね」
「紫央じゃないんだからそんなことしねえよ」
そう言って、ユウは窓から外へと出て行った。
外の音に耳を澄ませる。た、た、た、という規則的な音の後、窓の開く音。当たり前だけど、落ちたりはしなかったようだ。
そこまで確認してわたしは瞼を閉じる。
明日からもきっとわたしはユウの前で今までどおりでいる事が出来る。
何か不測の事が起きない限り、わたしたちは幼馴染であり続けるんだと思う。
―――意識が閉じて行く。
でも、わたしはその関係を変えたい、と思っている。同時に、変えたくない、とも思っている。
―――意識は薄ぼんやりとしたものになってゆく。
ただ、わたしは、いつまでもユウと一緒にいたいと想う。
―――そして、遂に夢の世界に入っていった。
夢の光景が現実になりますように……。
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