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河の向こうの少女と引きこもっていた青年

 その少女は美しかった。

 この国ではめったに見かけることができない黒い髪をして、闇をも追い払いそうなくらい赤色の瞳。

 国境を流れる河の向こうに、その少女はいた。彼女もまた、彼――リューバルト大公の弟、レオンに気づいたらしく、目を見張っていた。








 外交上手な兄に代わり、内政の一環として、たまに視察を行っているおり、今回は帝国との国境の土地を訪れていた。

 その地に到着した最初の晩、彼はその地を治める領主に招かれていた。

「今回も素敵な晩餐会を開いてくださりありがとうございます」

 レオンはわざわざ一行のために、手厚くもてなした主人に礼を言った。レオンは自分の髪色である銀色に映えるように、黒を基調とした礼服をまとっていた。


 彼は昔から人との付き合いが苦手であったが、人を『視る』能力は長けており、どうやったら人に反感を持たれずに物事をすんなりと通すことができるのか、といった策を考えることが好きだった。その性質は、彼の母・オルガの性質を強く受け継いでいたのだ。

 ちなみに、母親(オルガ)はリューバルトで覇権を争っていたフィリッパ派とシャルル派の片方、シャルル派の筆頭公爵・グロリアス家の娘で、政略結婚でレオンの父親に嫁いだ。父親は『大公特権』で5人までの妻を持つことが許されており、母親のほかに2人、妻がいた。そのうちの一人はフィリッパ派の筆頭公爵・ビート家の娘ジゼルだった。彼女と母親は対立している派閥の娘という事だけあって、彼女たちもまた、対立した――はずだった。しかし、2人はそもそも幼いころから仲が良く、2人ともが後宮に入ったのも、『互いが同じ後宮にいて心強い』ためだったかららしい。そして、後宮に入ってからは、なぜか2人で結託して実家を含む大貴族の粛正に手を貸しており、互いの実家からはたびたび暗殺者が差し向けられたこともあったという。また、大公の正妃はジゼル・オルガのどちらでもなく、もう一人の妃・アリアナという南方から来た姫だった。そのことに2人は恨むでもなく、むしろ好都合とばかりに、嬉々として貴族の整理(・・・・・)を行っていった。

 ジゼルの方が先に男児を産み、その5年後、オルガも男児を産んだ。残念ながら、正妃・アリアナは若くして子供を残さずに亡くなっていたので、ジゼルの息子――レオンにとっては異母兄・アドリアンが必然的に次期大公として目されていた。そんな異母兄(あに)は人を惹きつける力があるらしく、幼いころから父親の周りにいる貴族たちの息子世代と仲が良く、少し離れたところや、彼らがよく見える場所から眺めていたレオンは羨ましいものだと思った。しかし、母親のオルガはそれをアドリアンが気に病んでいることをすぐさま見抜いており、

『レオン、あなたには私と同じ『人を()抜く』という力があるのです。それを使えば、どんなに些細なことでも見逃したりはしないわ』

 と発破をかけた。レオンはその言葉以降、積極的に視る(・・)ようにし、異母兄の役に立つようにほかの勉学についても頑張ってきた。

 しかし、彼には大きな弱点があった。

 それは、武術である。特に剣術が苦手で、剣の教師からはさじを投げられるほどだった。もちろん病弱ではない。しかし、何故か出来なかったのだ。結局、何年も続けて教えてもらったのだが、無駄だった。その後、リュドミールという伯爵家の息子か専属の護衛となった。その後、異母兄は大公位を継いだものの、継ぐ前(次期大公)の時点から国外に飛び回り、外交官の役割を果たしてきた異母兄に代わり、国内の環境を整えることに専念することにした。


 ちょうど19歳になるその日に王都を出発した、今回の視察も当然メイン(主賓)はレオンだった。


「とんでもありません。大公様の名代として来ていただきまして、こちらこそ助かります」

 目の前に座る領主はふっくらとしており、また昼間に見てきた領民の姿からも、この地はそこまで問題もないのでは、と思っていた。

「今回、殿下にお願いしたかったのは、北帝国の事です」

「北帝国とは、不可侵条約を結んでいるはずですが」

 レオンは、つい4日前に届いた兄からの手紙にそう書いてあったのを覚えていた。『北帝国』とはリューバルトの北方に位置する帝国で、正式名称が長いため自国民でさえも通称名の『北帝国』と呼んでいる。北帝国とは境界の肥沃な領地について、祖父の代から何十年も小競り合いが起こっていたものの、あの兄(アドリアン)によってついに不可侵条約が取り付けられたのだ。

「ええ、アドリアン様のおかげで大変助かりました」

「その言葉は兄も喜ぶと思います。何せそれで大公一家(うち)を巻き込んだ2大(シャルル派と)派閥(フィリッパ派)の争いのもとになったので」

 レオンはそう言った。

 アドリアンからもたらされたその情報に最も喜んだのは、ジゼルとオルガ(母親たち)だった。彼女たちは、争いの種になった国との間にこれ以上、しばらくの間争いがなくなるとのことで、より一層、貴族たちを粛正にかかったのだ。この嬉々として粛清にかかっている姿を見ると、日々貴族連中を相手取っており、髪色とも相まって『氷の宰相』と呼ばれているレオンもたじろぐほどのものだった。

「で、北との問題とは?」

 レオンは咳払いをし、領主に尋ねた。

「え、ええ。最近北の領主の一族なのか、こちら側を毎日見に来ている集団がおりまして。もし可能でしたら、一度何が望みなのか、聞いてきていただけないかと思いまして」

 領主は頭を下げていた。レオンはすぐさま、

「いや、しかしそこはここの領主であるあなたが行くべきでは?」

 普通だったら辺境の領主の家格は伯爵程度のはずだ。しかし、それをあえて大公の一族(レオン)に行かせようとする。その領主の心理がわからなかった。何か企んでいるとしか思えない行動だった。

「ええ、私も最初はそのように思いましたので、文を飛ばしました。しかし、相手方の領主というのが、エルミオール家の分家に当たる家系だそうで、大公殿下との会談を望まれたのです」

「なるほど。で、大公殿下(あにうえ)の代わりに視察に来た私に頼んだ、と」

「滅相もございません」

 領主は縮こまっていた。レオンは考え込んだ。珍しく人を視抜けなかったのだ。この領主が嘘を言っているようには見えないものの、万が一、という事がある。

「分かりました。ですが、こちらも状況確認をしなければならないので、一度明日は様子を見てみましょう」

 レオンは少し笑って、領主に言った。


 そして、翌朝、領主の館からは少し遠いその場所に、リュドミールと領主を連れて向かった。

「あちらです」

 そう言って、領主の指先の方向を見てみると、確かにいた――

 それぞれ葦毛の馬に乗った、赤毛の青年と黒髪の少女がこちらを見ていたのだ。


(美しい――)

 レオンは少女に一目ぼれした。彼女はまだ若く、15歳と言ったところだろうか、褐色の乗馬服は彼女に似合っていて、抱きしめてしまいたい衝動にかられていた。

「あの――レオン様?」

 リュドミールが遠慮がちにレオンに声をかけた。

 現実に引き戻されたレオンは、領主に向かい、

「分かりました。会談を引き受けましょう」

 と言った。領主は、一瞬呆気にとられたものの、

「ありがとうございます」

 と深々と頭を下げた。


 そして、さっそく文をだし、レオンが会談を申し込む旨を彼自身が認めた。すぐに返答があり、それに応じ明朝河畔で会談を行うことになった。会談が開かれるのは、河畔の ほとりに北帝国(あちら)が設営した臨時の天幕の中だった。

 今回の会談には、3人――レオン、領主とリュドミール――で臨むことになった。

「あなたは確かに、アドリアン大公殿下の弟君ですな」

 臨時の天幕の中に入ってきた北帝国の領主は、レオンから見たら祖父くらいの年齢の男性だった。兄を見たこともあるらしく、すぐにレオンが偽物でないと言い切り、他の2人の同行者も納得した。

「初めまして、北の領主殿」

 彼のことは知らなかったので、あえてそう呼ぶことにした。

「ホホ。声まで似ておられるとは。父君の血が強く出たようじゃな」

 北の領主は懐かしそうに目を細めた。

「おそらく、母君に似たのは瞳の色だけ、というところじゃな」

 と続け、

「しかし、名乗っておらんかったな、アドリアン大公の弟よ。儂はグレーブル・ナハトリだ。一応、この地の辺境伯としておる」

 と言った。レオンは少し記憶をたどり寄せようとしたが、あまり外交に注目していなかったせいか、国外の人物にはさっぱりだった。

「初めまして、グレーブル殿」

 あまり記憶違い(ぼろ)を出さないようにしたためか、いつもより冷たい印象を与えてしまったのではないかと思ってしまった。

「なかなか二つ名がしっくりくる御仁もいないのだが、貴殿はかなりあっておるのう、ヨハン」

 と2人目に入ってきた男に声をかけた。その男は――河畔で見かけた男だった。

「ええ、昨日お見かけした時は、月のようだとザザは言っていましたが、確かに『氷の宰相』と呼ばれるだけの迫力はありますね」

 彼は流行の片眼鏡(モノクル)の中にある目を細めながら、そう言った。

「昨日、貴方を河畔でお見かけした折に、姫様はあなたのことを素敵な方、と言っておられておりましたよ。その幻想を壊さないで上げてくださいね」

 彼は少し薄い笑みを浮かべた。レオンはむぅ、と小さく唸った。自分以外に人の機敏に優れる人間と付き合うのは苦手だった。

「はは。ザザが惚れた、とな。ザザが惚れたというならば、儂は大歓迎だ」

 領主はレオンが何も言っていないことをいいことに、妙案だ、とばかりに言った。

「ちょ、待ってくださいよ、伯爵様。私の気持ちはどうなるんですか」

 その黒髪の少女を好きだったらしい、ヨハンは焦ったように伯爵に詰め寄ったが、伯爵はどこ吹く風だ。

「知らんわ。ナハトリ家(うち)の家訓を知っておろう」

「うっ」

 その策士っぽいヨハンをも黙らせられる、『ナハトリ家の家訓』を聞いてみたいと思ったのはレオンだけではなかった。


 そう前置きが長かったものの、会談は無事に終わり、『リューバルト帝国と北帝国の兵士が各領地で駐在する砦の建設と定期的な合同軍事演習』を議会に提出する約束を辺境伯と交わした。彼もまた、帝国議会に提出することを約束した。

 その後、会談は昼頃になったので、そのまま辺境伯の館へ行き、昼食をいただくことになった。

「やはりレオン殿は美丈夫ですな。アドリアン殿が(・・・・・・・)大公でなければ(・・・・・・・)、うちに来てもらいたかったのですがな」

 辺境伯は笑いながら言った言葉に、リュドミールが殺気を出した。

「ホホ。優秀な部下をお持ちのようですな」

 彼はリュドミールに抑えるよう指示した。彼は不服ながらも、主の命令に従った。

 そして、料理が運ばれてきた。運ばれて来たのは、小麦粉で作られた麺に似たものにクリームソースをかけてチーズと共に焼き上げたものであった。香ばしいにおいが漂っていた。リュドミールは、自身で毒見を済ませようと思ったが、レオン自身に止められた。

「熱々の内がおいしいですよ」

 伯爵はそう言い、口に運んで行った。レオンもそれを一口ほおばり、顔を綻ばせた。

「とても美味ですね」

 彼はリュドミールを安心させるようにそう言った。

「それはよかった」

 そう言いつつ、隣国の大公の弟が急きょ来て、ありあわせの物で食事を作っていたため、内面ではとても緊張していた窓際に立っていた女性に、伯爵は目で大丈夫だ、と合図した。

 それから、他愛もない話をしながら食事を済ませた。



「今日は、お昼までごちそうしていただきありがとうございました」

 昼食後、レオンは伯爵の屋敷を出た。

「ホホ。なんの何の。いつでもおいでくださいな」

 伯爵は笑いながら言った。

「ええ、では、機会がありましたら」


(おそらく、そんな機会は訪れないだろう、でも、あの少女に今日は出会うことがなかったから、再び会うために来てもいいかな)

 すでに、一度会っただけの少女のことが忘れられなかったのだ。


 先ほど決めた法案を議会で通すよう善処すると言い、別れの挨拶を済ませ、帰路に着こうとした、その時。


「お待ちください、レオン・シャルマン殿下」

 館の中から、一人の少女がレオンを引き留めた。振り返ると、母親らしき人から文字通り背中を押された昨日の少女がいたのだった。

「どうされたのですか?」

 レオンは抱きしめてしまいたい衝動を抑えながら、彼女に問いかけた。

「私は、グレーブル・ナハトリ辺境伯が孫、ザザ・ナハトリと申します。どうか私をお側においてください」

 少女はレオンの眼を見てしっかりと言った。

「何故君を側に置かなければならない?」

(違う。そんなことを私は言いたいわけではない)

 レオンは思っていることとは裏腹の言葉を発した。

「私はあなた様をお守りできます」

 『氷の宰相』モードのレオンに彼女は臆することなくそう言った。

(うん、やっぱり気に入った)

 彼は、しかしさらに目を細めて、突き放した。心なしか、近くにいる伯爵からは温かいオーラが放たれている。

「ほお?リュドミールがいるから、私の周りは安心だが?」

「安心ではありません。そこの従者さんはいつもかなり近くで、いらっしゃるようですが、近くにいられない場合もあるはずです。ですので、私がいつも一緒にいればいつでもお守りすることができますわ。そ、そう、私は狩りもできます。だから、あなた様を守るのは朝飯前ですわ」

 彼女は焦りながらもそう言った。レオンはそれまでつけていた見えない仮面を外した。軽く笑うと、今までとの変化に驚いている彼女に、

「そっか。それは嬉しいね」

 と答えた。だが、

「だけれど、まだ、北帝国(こちら)での社交デビューを果たしていないだろ?それを果たしてからおいで」

 と付け加えた。すると、少女は顔を赤らめた。その意味に戸惑ったレオンは伯爵を見たが、彼からも目を逸らされ、さっぱりわからなくなった。

「私――ですの」

 彼女は小声で言ったので、レオンは聞き取れず、もう一度言うよう頼んだ。


「私、もう20歳で、すでに社交デビューは済ましておりますの」

 彼女は恥ずかしがりながらもそう言った。

「え」

「だから、もうついて行っても問題ありませんの」

 彼女ははっきり言った。


「そっか、じゃあ本当にいいんだね?」

「はい」

 彼女の手を取った。そして、伯爵の目の前に行き、

「グレーブル・ナハトリ辺境伯。あなたの娘をいただけませんでしょうか」

 と、お決まりの文句を言った。

 辺境伯は、まるで読んでいたかのように、

「ほら言っただろう。喜んで送りだそう。ぜひとも孫を可愛がってほしい」

 と言った。

「ありがとうございます。また、結婚式の折は呼ばせていただきます」

「楽しみにしているよ――ひ孫もな」

 後半はレオンのみに聞こえる声で言った。レオンはその言葉に真っ赤になった。


「ではさらばだ、ザザとその婿殿よ」


 そうして、一つの取り決めと一人の少女(・・・・・)を土産にリューバルトへ戻った。



 公都へ帰還後、最初に母たちのもとへザザを連れて行った。そこには、たまたま外交から一度帰ってきた(アドリアン)もいた。

 すると、彼女たちの反応は当然にも、レオンによる『国際的な少女の誘拐』と疑った。しかし、性格上の理由からそれはない、と否定され(その代り、なんか物々しい単語が聞こえてきたが)、ザザ本人の口から実年齢を聞いて納得したようだった。



 3か月後、2人は結婚式を挙げた。そこには辺境伯一家を含め、ヨハンという食客(正式には傭兵だそうだ)も来ており、ヨハンはザザのことを好きだったらしく悔し紛れにお祝いの言葉を述べられた。


 その後のリューバルトは大公家に嫁いできた女性により、華やかになるとともに、狩りが盛んにおこなわれるようになった。

 また、それまで内政に専念していた(引きこもりがちだった)レオンは新妻の手ほどきにより、ある程度上達した。




 1年後、レオンの兄である大公が新妻(ザザ)とは別の意味(・・・・)で、見た目との差が激しい少女を連れてきたのは、また別の物語であった。

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