[完結]1-E Reverse最終話 朝焼けのホームにて 後編
少女は何も分からぬまま、靴に運ばれ夜を行く。
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
(そうだ、それで公園に着いて、中で赤いリンゴを……見て……見て、それから?)
公園の中で、赤いリンゴを持った誰かに会ったのは覚えている。だが記憶に焼き付いているのは赤いリンゴだけで、リンゴを持っていた誰かの顔が思い出せない。
あのリンゴを見た以降の記憶がぼやけてしまっている。思い出すための道が、ナニかによって塞がれている。もどかしさを覚える度に、どんどん思考がぼやけてしまう。
今では記憶の前後関係すらあやふやになってしまった。いつから自分はここにいるのだろう。
ここにきた最初は、静かだった時気がする。そのうち街の方が賑やかになり、また静かになって。続いて細やかな雪が降ってきた。駅のホームを照らすオレンジ色の灯に照らされて、降ってくる雪も灯と同じオレンジ色に染まって綺麗だった覚えがある。
あいにくと雪はすぐに降り止み、積もるまでには至らなかった。そのせいで雪が降っていた痕跡は残らなかった。降っていたはずなのに、今では何も残っていない。
(いや……残ってるか。降ってた跡は残ってないけど、降っていた記憶は残ってるし)
誰も来ない場所で、来ない誰かを待つのは飽きた。せめてまた雪でも降ってくれないかと、少女は空を仰ぐ。
東の空がどんどん明るくなってきている。夜明けが近そうだ。
そんな、呆けた顔で夜空を見上げていると――
「――やっと見つけた」
「ッ!?」
突然、背後から誰かに話しかけられた。急いで少女が振り向くと、そこには1人の少女が立っているではないか。
いきなりの来客に、なんて言葉をかけたらいいのか迷ってしまう。いきなり現れた誰かは、まっすぐ右手を伸ばす。そしてこちらを指差しながら、怒りながらこう言った。
「まったく……来夏、あんたね、もうちょっとハッキリしなさいよ!」
「は、はいぃ?」
「助けて欲しいならもっとハッキリしろっての! そんなボケーッとされるとね、どこにいるか分かりづらくて探すの大変なんだからね」
たしかに少女の名前は来夏だ。だがなぜ、彼女が自分の名前を知っているのだろう。
おりよく昇ってきた朝日を受け、彼女の上半身が照らし出された。日影に立つ来夏からは、からは、彼女がとてもまぶしく見える。
「さ、がす……?」
彼女は腕を組んだまま、足を肩幅に広げて立っている。仁王立ちとでも呼べばいいのか。
それに、大した風が吹いているわけでもないのに。なぜか彼女が首に巻いているオレンジ色のマフラーは浮き上がっている。まるでマフラーにだけ、マフラーが大きくたなびくほどの強風があたっているようだ。
(えっえっ? なんで? いやなんで?)
これだけならまだ、彼女は『気が強そうな女の子』のカテゴリーに収まっている。一見すると自分と対して年も違わない、ただの少女に見える。
だが、彼女のある一点だけが、どうしても来夏には納得出来ない。
(アレなに?)
彼女が現れると同時に、駅のホームに変化が起きた。陸橋やベンチがぐにゃりと曲がり、壁の表面が液状化する。そしてドロドロになった表面から、人の手に見えるナニかがたくさん浮き上がってきたかと思えば、一斉に伸びた。
ゴムのように伸びる手のようなナニかたちは、揃って彼女に向かっていく。たくさんの手が伸び曲がり、彼女を狙って四方八方から彼女に掴みかかろうとする。
そんな、明らかな異変を目の当たりにしても彼女は表情を変えない。それどころか身動き一つ取ろうとしない。思わず来夏は自らの口を両手で覆ってしまう。
動かない彼女に代わってか、不自然にたなびいていたマフラーからナニかが射出された。
射出されたのは――丸いオレンジ色の物体。オレンジ色の物体は、それぞれが宙に浮かんだ後、次々に空を飛び出した。数は……10は下らないだろう。
(何? なになに飛んでる!?)
オレンジ色の飛行物体が射出されたマフラーは勢いをなくし、重力に引かれてうなだれる。マフラーから射出されたナニかが、裏からマフラーを支えていたとでも言うのか。
射出されたナニかに注意を向ければ。射出されたオレンジ色の物体はそれぞれが宙を舞い、迫りくる手のようなナニかに衝突しようとしていた。
手のようなナニかと、謎のオレンジ色をした飛行物体。両者がぶつかった瞬間――爆発が起きた。
「……えっ」
手のようなナニかは粉々に砕け散り、辺りに衝撃波が広がっていく。
突如生じた爆風に、来夏は思わず吹き飛ばされそうになる。
「えええええ!?」
爆発の衝撃と同時に、オレンジ色の閃光も発生した。手のようなナニかとオレンジ色の飛行物体。両者の衝突点を中心に、生じたオレンジ色の光が辺りを一色に染め上げる。
爆風が減じ、光が弱まった後には――オレンジ色の飛行物体が残るのみ。
この現象は一度で終わらなかった。両者ぶつかり合う度に、何度も何度も起こり続ける。
彼女に襲いかかる手のようなナニかを、空を飛び回るオレンジ色の物体が各々迎撃していく。伸びる先に回りこまれ、次々に迎撃され。そして爆散していく手のようなナニか。
来夏は事態にまったくついていけない。ただただ自分のスカートを手で抑え、爆風に耐えるるので精一杯。
何度挑もうとも、多数派である手のようなナニかは彼女の周囲に近付けない。彼女を守るオレンジ色の飛行物体が、順次迫る手のようなナニかを砕いていく。
来夏が口を開けてぽかんとしていると、彼女が呆れ顔で話しかけてきた。
「なーにボケた顔してんの。口しめなよ」
「……あの」
「なに?」
「周りを飛んでるソレって、なんなんでしょうか……」
「ああコレ? ミカンだよ?」
「ミカン!? いや飛んでませんかソレ!?」
「ミカンだから飛ぶんだよ? ……ああ、なるほど。この世界の来夏は何も知らないのか」
驚きっぱなしの来夏と違って、彼女はいたって平気そうだ。涼しげな顔で、よく分からないことを言ってくる。なぜ衝突の間近にいる彼女の方が、傍観している来夏よりも落ち着いているのか。
ただただ立ちすくみ、事を見守ることしかない。そんな来夏をひとしきり眺めた後、彼女は自らの懐に手を入れながら、こう続ける。
「元凶は……その靴か。まったく、誰に踊らされたのか知らないけど、あんまりにもあんまりすぎ。あっちの来夏を見習って欲しいくらいだよ」
そして次に手を出した時には、新たなオレンジ色の物体が手の中にあった。あれもミカンなのだろうか。だとすると、彼女が身につけているアレも、ミカンなのだろうか。
「靴? 靴って……この赤い靴のことですか!?」
「悪いけど説明は後。待たせてる人がいるから」
「えっえっ?」
「そのまま動かないでね。ちゃっちゃと砕いちゃうから」
彼女は取り出したミカンを右手に握り、両手を上げ。それから片足を上げ、なにやら投球しそうな姿勢を取る。
来夏がどうしても見過ごせなかった、彼女への違和感。
それは彼女を来夏が認識した時からずっとあるモノ。
「そのままって……砕く? 砕くって何で!? いや何を!?」
朝日を一身に浴び、大きな瞳を輝かせ。彼女はナニかを砕こうとする。あまりにも不自然なモノを頭の上に乗せながら。
「アナタは……一体……?」
そして今まさに、オロオロするしている来夏に向かって。ミカンを投げようとするその瞬間にも、彼女が頭の上に乗せているアレは落ちない。
どれだけ激しい動きをしても、アレはぴたりと彼女の頭の上に貼り付いたまま。
「私? 私はね……アンタが知らない、アンタが知ってる――」
彼女は力を込めたミカンを、来夏に向かって――投げた。
「――ただのミカンだよッ!!」
来夏が彼女を認識した時からずっと。
彼女は頭の上にミカンを乗せていた。