[完結]1ーE 最終話 夕焼けのホームにて
「私は――なってもいいよ、案内人」
「マジかっ!?」
私の出した答えを聞いて、おじさんが身を乗り出してきた。
そんなおじさんに向かって、私はまっすぐ手を伸ばす。突き出した手でおじさんを止めて、それから人差し指だけを上に伸ばして。おじさんの動きを制しつつ、ある条件を突きつけた。
「ただし! 条件が1つあります」
「お、おう?」
意外なことだったのか、おじさんの反応が鈍った。その間に片手を前へ伸ばしたまま、私はもう片方の手で鞄の中をあさる。えっと、どこにしまったかな。
「――前から思ってたんだけどさ」
場を繋ぐために、私は喋りながら目当てのモノを探す。
「多分問題はヒゲだと思うんだ」
「ヒゲ?」
「そうヒゲ。怖がられたりする原因ってやっぱそこだって絶対」
ずっと気になってたし、コレって丁度いい機会だよね――あ、あった良かった。
目当てのモノを見つけ、私はおじさんの方へ向き直る。
「ない方が絶対いいと思うんだよね」
私の意図が読めないのか、おじさんが困った顔をしている。そんな困った顔に向けて、私は握った目当てのモノを差し出した。
「だからおじさん。ヒゲ、剃ろう!」
私が差し出したのは、駅前にある骨董品屋さんで買ったあるモノ。
差し出した袋を見た瞬間、おじさんの横に座っている店長さんが動いた。自分のアゴをさすりながら
「なるほど、それで」
とつぶやき、口元に笑みを浮かべる。たぶんコレの中身に気付いたのかな。まあコレを包装してくれた本人だし当然か。
おじさんは私と店長さんを交互に見る。目頭にシワを寄せながら、戸惑いながら袋を受け取る。触っただけじゃ、まだ分からないみたい。
「……なんだこれ?」
「開ければ分かるよ」
「なら開けるぞ?」
「どうぞどうぞ」
「ああ? 一体何が……っておい……」
袋の中身を見たとたん、おじさんが大きくのけぞった。やっと気付いたか。
おじさんは天井を向いて、肩の力を抜いて。列車の壁際に付属している背もたれに倒れ込んだ。
おじさんが驚いた袋の中身は――カミソリ。それも最近のヤツじゃなくて、昔のナイフみたいな形をした、古いカミソリ。
あのカミソリを買ったのは数日前。道家さんに誘われて骨董品屋さんの中に入った時に。店長さんにあの部屋の中へ入らないかって誘われる、ほんのちょっと前に買ったモノ。棚に並んでいたあのカミソリを見つけた時に閃いたんだ。コレをおじさんにあげようって。
決して安かったからってだけが理由じゃないよ、うん。
「あー……じゃあ何か? じょーちゃんが言う条件ってのは……」
「おじさんがヒゲ剃ったら案内人の手伝いしてもいいよっ」
「マジかよ……」
おじさんは被っていた帽子をさらに深く被り直す。顔を隠すように帽子を被り、背もたれにもたれながら顔を天井へ向けた。やった、困ってる困ってる。 店長さんが、そんなおじさんに話しかける。なんだか楽しそうな口調で。
「いやカミソリってよぉ。予想外どころじゃねえだろ。『コレでヒゲ剃って?』って渡されるとかどう反応すればいいんだよ」
「……さて、どうするよ墨染。お前のヒゲ程度で彼女が仲間になってくれると言うのなら、私には安い代償に思えるが?」
「……そりゃ鷲塚さんには損がねえからですよ……」
ワシヅカさん……たぶん店長さんの名字かな?
私は『覚悟を決めろ』とか『コレ俺のトレンドマークっすよ?』とか2人が言い合ってるのを黙って眺める。
それから窓の外を見て、赤く染まった列車内に視点を動かす。
規則的に揺れる列車の中から、規則的に並ぶ窓ガラスを見る。
常に一定の車内の景色と、常に変化し続けてる外の景色を交互に見る。
すると時々、窓ガラス1枚1枚ごとに違う景色が映っている時がある。それはとても虚ろげで、瞬きする間に景色が変わってしまったりする。
いつからか。私はこのコロコロ変わる景色が、不安定な変化が目につくようになった。これは私が変化したってことなのかな。私に見えるように、ココが変わってくれたのかな。たぶんそれは、私には分からないことなんだと思う。
「…………いや、でもですよ……」
「くどいぞ。ヒゲくらい安いものだろう」
「俺には安くないんですよ…………」
思いついた時はあり得ないって思ってた『いつもの世界ではあり得ないことがあり得る世界に居る』っていう考え。
いつからか、この考えがおかしいとは思えなくなった。ココは、そんな世界があり得てしまう世界だって知ってしまったから。
やっぱりココって変な場所だ。
「ミカンセイ空間、か……うん、悪くない」
私が1人で納得していると、やっとおじさんが覚悟を決めたらしい。帽子を上げ、目線をこっちに向けてくる。右手で首の後ろをかきながら、吐き捨てるように喋りだした。
「あー、もうしょうがねえ。そう言うならそれでいいわもう」
「じゃあ、わかってるよね?」
「ああ、剃ればいいんだろ? じょーちゃんよ、これで成立だからな!?」
「――来夏」
「あ?」
「いつまでもじょーちゃんって呼ばれるのも飽きたよ。私、丙家来夏って名前がちゃんとあるから。これからはちゃんと名前で読んでね、墨染さん?」
「あー……そうは言ってもよ? もうじょーちゃんで慣れちまったし――」
「なるの止めるよ? いいの?」
「お前それは――」
「了承した。それでは丙家さん。これで君は正式に私たちの一員となるわけだが、よろしいかな?」
「はい」
「よろしい。おい墨染。お前も黙ってないで誠意を示せ」
「あー……あーあーあーあー! 分かったよ面倒臭えなあ! なら丙家ちゃん!? これでいいかい?」
「あはははっ何それ……うん、いいよ。それじゃあよろしくね、墨染さん。それに――ワシヅカさん? も。よろしくお願いします」
「おうよ」
「こちらこそ。丙家さん、君には期待しているよ」
私は2人と握手をした。2人の案内人と握手をした。それから2人の顔を、目を。交互に見る。
案内人の2人には、この列車内はどう見えているんだろう。同じ空間の中から、同じ外を見ているハズでも。間にあるガラスによって違う景色みたいに見える世界。
いやもしかして、本当に違う世界が見えているのかな。
この列車の中で、おじさんと話しているうちに思ったんだ。もしかしておじさんには、私が見ている景色とは違うものが見えているのかもって。
そう思ったら知りたくなった。
立場が違う人――道家さんと話して、その思いは強くなった。
代理人じゃなく正式に、案内人になった時。
この場所から眺める外は、どうなっているんだろう。どう見えるんだろう。私はそれが知りたくなった。
だからこの人たちの手を取るんだ。違う景色を見るために。2人と交互に握手を交わして。
私は正式に、案内人の助手になった。
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
その後のお話っ。
案内人の助手になって、色々分かったことがある。
1つ。案内人の助手だと言っても、扱いはまだまだ半人前って感じ。相変わらず、関われるのはいつもの列車の中でだけ。他にもミカンセイ空間があるってことは教えてもらったけど、その他の世界にはまだ行けてない。うーん先は長そう。
2つ。おじさん――墨染さんたちが所属しているのは、『帳』っていう組合らしい。まさかのお店の名前そのまんまだった。
それから案内人にも組合があって、色々と付き合いがあることを知った。どこの世界も大変なんだね。
3つ。あの頭の上にミカンを乗せた人は、墨染さんたちとは違うチームの人だったみたい。案内人って、てっきり皆が同じグループなのかと思ってたけど違うんだって。
だからあの人には、あれから一度も会えていない。会う機会が来ないのは、私がまだまだ半人前だからなのかな。こうして案内人の助手を続けていれば、いつかまた会えるのかな。
こんなところかな。だから私は半人前の、案内人の助手らしく――
「―あのっ」
「……?」
「そっちには行かない方がいいですよ。せっかく何事もなく、やり過ごせたんですし。もう一回やっても、今度は多分失敗しますよ?」
「君は、一体……?」
「ハッキリ言いましょうか。あなたには向いてませんっ」
今日も夕焼けのホームにて。迷いビトに助言をするんだ。
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
私にはあまり人に言えない楽しみがある。
でも悪いことじゃないよ。ただ人に言っても理解されなくて、逆に困らせてしまうようなこと。
相手が困っているのに、分かって欲しいだなんて言うつもりもない。だからあまり人に言えないだけ。
そんな私が、案内人の助手になって。おかしな空間で、おかしな人たちに関わって。
季節が変わり、夏が来た頃にまた、あの人に出会ったりするんだけど――
それはまた、別のお話。




