[完結]1-A 第5話 求めた答えはミカンの上で 後編
つづいて彼女はミカンを宙に置いた。置かれたミカンは落下せず、置かれた位置にとどまっている。続いて彼女が右人差し指で空中をつつくような動作を取ると
「違う場所への移動をゆっくりと……」
それに合わせて静止していたミカンが、ハジメに向かってゆるやかに移動してくる。
「違う場所への移動を、『1から0へ』をゆるやかにされると、ついつい認識から外してしまいがちになるの」
(いやまあ分かるけど、けどミカンが勝手に動いてたらその時点でおかしいと思ってしまうと思うんだ……)
彼女が言いたいことはそうじゃない。分かってはいるが、この例えには内心ツッコミたくなってしまった。だがハジメにだってこれくらいの空気は読める。茶化していい雰囲気ではない。
(なーんかズレてるんだよなー。こっちに要求されてるモノがレベル高すぎるのかな。しっくりこないっていうか……)
沈黙を是と受け取ったのか、彼女はミカンを手の中に戻し、話を続ける。
「だからこの世界のように、私たちが普段いる『いつもの世界』とは違う部分がどんどん増えていっても、手遅れになるまで気付かない。いや、心のどこかで違和感を感じているけど、それでも気付かないようにしていると言ったほうが適当かしら」
(違和感かー。そう言われればそうかも)
「ミカンセイ空間に侵食されていく世界を、違和感を正常化してしまうの。飲み込まれた人が違和感を正常化しきれなくなった時には、もう完全に『ミカンセイ空間』の腹の中よ」
彼女の語る言葉はいつもハジメの予想を超えてくるが、今回はさらに飛び抜けていた。話だけを聞いていたら、とてもではないが信じられない突拍子さの話ばかり。
だが今ハジメが置かれている状況が、彼女の言葉をなによりも後押しする根拠となっている。
「違和感を正常化ねぇ。すごい話すぎて、急に『ハイ分かりました』っとはいかないかな」
「自らの認識に関わる問題だもの。そう簡単には飲み込めなくて当然よ」
彼女は宙に浮かべたミカンを手元に戻すと、改めて彼に向かい合う。
「正直、違和感がありすぎて違和感じゃないものを探すほうが難しいよ。なんかまだよく理解できてない気分だし」
「違和感ね……違和感といえば、高梨君」
「なに?」
「たぶん現状をうまく飲み込めないのは、私と高梨君の『ズレ』が関係しているのかも」
たしかにハジメと彼女では色々とズレている。考え方だけではなく、この空間への知識が違うのだ。噛み合わなくて当然だろう。そうハジメは考えていたのだが、彼女の言葉から発せられたことは、そんな次元の話ではなかった。
「おそらく、うすうすは感じていると思うけど……私は、あなたの認識している私でもあるし、私でもない。あなたの知ってる私でありながら、私じゃないわ」
「…………えっ」
「なにかしら、あなた自身わかっているハズなの。今目の前にいるあなたじゃないけど、あなたからの伝言だったから」
「え、えーとちょっと待っ」
「憶測の域を出ないのだけど……たぶん、高梨君は私がしゃべってる言葉を、高梨君が記憶している私という認識を通して処理しているんじゃないかしら?」
駄目だ、ついていけない。ハジメの思考がまたもやフリーズしてしまう。
「それで、今高梨君の目の前にいる『私』と、いつもの世界で接しているだろう『私』とに、なにかしらの『ズレ』がある。それが違和感を生んでいるんじゃないかな?」
「ちょっ無理無理」
「そうね、むりに違和感を飲み込もうとするから、自らの既存選択肢に当てはめようとしてしまってるんだと思う。既知のものにカテゴライズすることで、未知のモノに感じる負荷を減らしているのかも……」
彼女はまくしたてながら、どんどんハジメに近づいてくる。
「ある人を中継しての言伝ではあったけれど。今の高梨君を見た限り、あの時高梨君から受け取った言葉は合ってたんだと思う」
「いやそうじゃなくて。ごめんホントごめん何言ってるかさっぱり……」
そこで突然2人の会話に割って入るかのように、空洞内に異変が生じた。
空洞全体が震え、規則的にただよっていたミカンたちもおかしくなる。急に加速するミカンや、減速するミカン。それに軌道を変えるミカンも合わさり、ミカン同士でぶつかり合いはじめたではないか。
ハジメたちが乗っているミカンも、いきなり上下に揺れ始める。
「さっぱりにさっぱりが増えてきたんだけど!?」
慌てるハジメの耳にある規則的な音が飛び込んできた。この音には聞き覚えがある。
だが場所がそぐわない。この空洞内のどこかに踏切でもあったのだろうか?
踏切に必ずといっていいほど付いている、あの踏切警報機の音が辺りを満たしていく。
カンカンと、カンカンと。何が到来する予兆を、危険に先んずる知らせを、辺りを震わせ響かせる。変化の予兆が2人を包む。
「……やっちゃった!」
彼女がビクリと肩をすくめ、跳びはねるように小さくジャンプした。先ほどまでとは変わり、驚きを隠そうとしない。それでも頭の上のミカンは落ちない。
「順番間違えたかな。急ぎすぎたのかも……」
彼女の顔に焦りが浮かぶ。もうなにが起ころうと驚くしかないハジメと違って、どこか余裕を保っていた彼女がうろたえている。その姿を見るだけで、今までにないナニかが起ころうとしているのだと、ハジメは察することができた。
「あれは……不知火ッ!!」
「なにそ&%$#”」
1人驚いている彼女に、ハジメは何が起きているのか説明してもらおうとする。
しかし上下するミカンにバランスを崩され、飛んできたミカンにあごを打ち付けてしまった。発する言葉が言葉にならない。
「ごめん高梨君あいだの説明は後回し。私が順序を間違えたせいで、ちょっと危険な状態になっちゃったみたい」
ミカンの玉突き事故現場と化した空洞内に、新たな群れがやってくる。
それはハジメたちが進んでいる方向から、一行を遮るように現れた。
「てて……んん? (なんか見覚えがあるような……)」
やってきたのは、ミカンに似たオレンジ色の浮遊物。
だがハジメたちの乗るミカンよりもさらに丸く、大きい。そして丸い形状の一箇所だけ、飛び出るように隆起している。まるでミカンに出べそがくっついているかのようだ。
「あれは……ミカンセイ空間が招かれざる客を退場させるための使用人。お呼びでない異物を排除するための掃除人……一種の防衛機構よ」
「異物? 防衛?」
ご大層な名前がついているようだが、ハジメにはどうもピンと来ない。なぜならあれは――
「高梨君、アレはね……」
(どう見てもあれって)
オレンジ色の浮遊物は、物量をもってハジメたちへ迫り来る。ハジメには自分たちが乗るミカンのお仲間にしか見えないが、どうやら危険なものらしい。
「ええ……?」
「不知火型異物排除群……」
危険を伴い襲い来る、浮遊大群の通り名は――
「通称、『デコポン』よ」
「ええええええええええええ」