[完結]1-E 第5話 4日目は、ミカンなあの子 その3
「そのショーウィンドウの中に、『あなたは何が見えた』の?」
「何って……ハムスターですよ?」
どう見たってハムスターだよ。それ以外の何に見えるって言うんだろう。
「いつも、同じハムスターなのね? 特に変わったとこはなかった?」
「変わったところ……あ、あります、ありました。変化と言えば」
そう言われれば、少し変わってたところもあったっけ。
私はパン、と手を叩き、思い出したことを彼女に伝える。
「たくさんいるハムスターの中で一匹だけ。段差の上に行こうとするんだけど、いつも滑り落ちてるハムスターがいるんですよ。その子がお気に入りで、いつも気にしてたんです。そしたら今日に限ってその子が段差の上に登れてて! ……変化と言えばこれくらいかなぁ」
「……ありがとう。大体理解出来た。やっぱりこちらではないみたいね」
私が出した答えを、彼女はすこし噛み締めて。それから大きく息を吐いた。
続いて背もたれにもたれかかりながら両手を上に。目一杯背伸びをした。
私から見ても、さっきまでのどこかピリリとした感じが無くなってる。肩の力が抜けた感じかな。
「……それにしても、あなたまだハムスター好きだったのね。こっちの世界でも、ちっとも変わってない」
そう言いながら、彼女はぐるぐる巻きのマフラーの中に右手をめり込ませた。
いや、めり込ませたように見えてるだけで、彼女としては右手を頬にあてているのかも。ため息も聞こえてきたし、呆れているんだと思う。
「えーハムスターかわいいじゃないですか。というか昔? なんで昔のこと知ってるんです?」
「昔から縁があったからよ。あなたじゃないあなたとね。それじゃあ、2つ目の確認」
彼女はまた右手を突き出し、指を2本伸ばしてピースサインを作る。そんな彼女が聞いてきた事は、私にはとても意外な事だった。
「あなたの名前は只野来夏で、年子の姉がいる。これは間違いない?」
「? いいえ、違います。あ、昔はそうでした。でも今は親が離婚したから、名字は丙家になってます。だから今は丙家、来夏です。姉は父についていったので只野のままだと思いますけど……って」
なんで私、初対面の人にこんなこと話してるんだろう。それに、なんでこの人はそんな昔の事を知ってるの?
なにより、こんなこと聞かれても嫌な気分にならないのはなんでなんだろう。まるでこの人が知っていて当然なような、そんな気分になってしまう。これもミカンセイ空間のせい、かのかな。
「そう……この世界ではそうなっているのね。その調子だと、お姉さんとは数年は会ってなさそう?」
「はい、そう、ですけど。あの、さっきから一体……?」
「もう大丈夫よ。気になっていた部分は分かったから」
こっちは分からないままだよ!?
やっぱり彼女は自分だけ納得して、話を終わらせてしまった。納得いかない私は、彼女を問いただそうとする。
けど、列車内に響き渡るアナウンスに邪魔された。
「じゃあワタシ、次で降りるから。邪魔したわね」
彼女は席を立ち、開くであろうドアの前へ移動していく。まるでこのタイミングでアナウンスが入ることを知っていたみたい。こうなることが当たり前と言いたげな動きだった。
「あー! まだ聞きたいこといっぱいあるのに。アナウンスのタイミング悪すぎだよ……」
「ミカンセイ空間内といつもいる世界とでは因果が違うのよ? 案内人のワタシが降りたいから、降りる駅が近いというアナウンスが流れるの。覚えておくといいわ」
なにその女王様みたいな発言。いや、実際はこんな発言してるわけじゃなくて、私にはそう聞こえてるだけ? あー頭がグニャグニャする。
昨日にならい、私は彼女の後ろについてドアの前まで移動する。こうして後ろに並んでみると、なぜだか不思議と既視感を覚えた。
でもこんな変な人に、今まで出会った覚えはない。一体誰に似てるんだろう?
「アナタに用があったんだけど、今ワタシの目の前にいるアナタにじゃなかったみたい」
「私じゃない私に用があった……桃原さんが言ってた、違う世界の同じ人っていうのですか?」
「その通りよ。大分飲み込みが早くなったんじゃない?」
ぬー、最後まで上から目線だなぁこの人は。そう思っているうちに、列車はどんどん減速していく。ゆるやかにスピードを落とした列車は、やがて完全に止まった。
列車が駅に着き、彼女は開いたドアから外へ。するとある変化が起きた。
彼女が頭全体にぐるぐる巻いていたマフラーが、自分の意思でもあるかのように動き出した。彼女が手に触れるまでもなく勝手にほどけて、ひとりでに首元に巻きついていく。その間にも、頭の上に乗せたミカンは動かない。すごいミカンだ……。
この時になって初めて、私は彼女の後ろ姿をハッキリと目にすることが出来た。
「こっちのコナツはモモハラ君が上手くやったみたいだね……まあ無駄足になったけど、無駄足じゃなかったからいいか」
肩甲骨辺りまで伸ばした長い黒髪。どこから自己完結気味な、言い切る口調。
「ワタシが言っても説得力無いけど……案内人って案外大変だよ?」
それとナチュラルに上から目線で、勝手に心配してくるこの感じ。
「コナツがその道を選ぶってんなら、ワタシはこれ以上何も言わない」
この時になって、私はやっと既視感に正体に気が付いた。
「アナタが選んだ道の先に、ワタシはいるから。縁があったらまた会うだろうし」
「あれ、もしかして――」
「じゃあね、コナツ」
「――お姉ちゃん?」
案内人がそう思ったから、ってやつなのかな。彼女が言い終わると、目の前のドアはすぐに閉まってしまった。走り出す列車の中からじゃ、ホームに残る彼女の顔はよく見えなかった。
私の声は、果たしてあの人に届いたんだろうか。
この世界じゃない、別の世界のあの人。もう何年もあってないけど、この世界のあの人もまた、あんな感じの変な人になっているのかな。
こうして私が昔からよく知っていた、でも私がよく知らない変な人との変な話は幕を閉じた。
これにて4日目おしまい。