[完結]1-D 第十話 椅子の上から
雨上がりに見えた虹が消え、西の空に夕日が沈もうとしている頃。
日が暮れ、沈むごとに街を覆う影が伸びていく。もう宵が近い。
夕焼けに染まる骨董品屋の、そのショーウィンドウの前に。甲賀は1人立っていた。
「やあ。今日は退屈そうだね」
彼の目線の先には黒猫がいた。椅子の上で丸まりながら、こちらをじっと見つめてくる。彼の言葉が聞こえているのか、いないのか。
部屋の中には黒猫以外誰もいない。だから彼のことを見てくれているのだろうか。他に何もなければ、やっとこちらを向いてもらえる程度なのか。
「君にとって、僕はいつも想定内ってことなのかな? 意外性のない、つまらない奴って認識?」
彼の両手には、奇妙な物がつつまれていた。右手にはグリップ付きのスイッチらしきものが、左手には小さな丸い球体が、それぞれ握られている。
(あの不思議な空間で白髪の少年からもらったこの一式なら、黒猫に届くハズだ)
彼はふぅと息を吐き、一度肩の力を抜く。
「こんな考え方してるから、部屋の中に入れてもらえないのかな」
そう言いながら彼は笑った。自分のことをあざけるように。
(でも、でもさ)
ショーウィンドウの向こう側にいる黒猫に、手の内を明かさないように。彼は左手を自らの背中へと回した。
「部屋の中に入れなくても、出来ることはあるんだ」
彼は左手を背中に回したまま、手首のスナップだけで球体を放り上げた。黒猫には彼の真後ろから突然『ナニか』が打ち上がったように見えるだろう。
(まだだ……見るんだ。動きを見るんだ)
彼は黒猫をじっと見つめる。たしかに黒猫の目線は、彼から上へと移動している。球体を目で追っているのが見て取れた。
(今だッ!)
タイミングを見計らい、右手に握るスイッチを親指で強く押しこむ。するとそれに反応し、放り投げた球体から眩い閃光が放たれた。
黒猫からすれば目で追っている球体から、突如まぶしい光があふれてきたようなものだ。驚かずにはいられまい。
彼の目論見通り、驚いた黒猫は椅子の上で飛び跳ねた。
(やっ)
彼にとってはほんのいたずら心だった。いつ来ても椅子の上にいる、この黒猫が椅子から下りるところが見たかった。ただそれだけだった。
だから今までやってこなかった、相手の裏をつくような不意打ちをしただけ。驚かせてみたかった。現状を変えてみたかった。
(た!?)
跳び跳ねた黒猫は足を踏み外し、転げ落ちるように椅子の上から落ちていく。
(下りる、下りるぞ!)
宙に浮かんだ球体は、いつまでも浮いていられない。頂点に達した後は、次第に地面へと落下していく。
光源を背負った彼の影は2つに増え、落ちるにつれてどんどん長さを増していく。増えた影は店に届き、落ちゆく黒猫を覆い隠し、そして。
彼の影は、今たしかに部屋の中にある。
(椅子の上から黒猫が――――――)
落下する黒猫は空中でくるりと一回転、受け身をとりつつその四肢を床につけようとした。その瞬間――――――
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
駅前通りにある、1軒の骨董品屋。そのショーウィンドウ前に人だかりができている。
彼ら彼女らはみな事故現場から一定の距離を取り、寄り集まって人壁となっていた。
店の顔となっていたショーウィンドウにブルーシートがかけられ、周りにも進入禁止のテープが張り巡らされている。今は本来の役目を果たせていない。
青色の帳に覆われた骨董品店は、いまだかつてないほどの注目を集めていた。
人垣のなかで話し声がする。それぞれの集まりがそれぞれの仲間内で、なにやら話し合っているようだ。別々のグループが同じ場所に集まって、違う語り口で同一の話題をつなげていく。伝播していく。
でも、同じ話題のようでいて、個々人が話す事実にはズレがあった。噛み合う話題と、噛み合わない細部。野次馬の群れを飛び交う言葉の羅列に、耳を傾けてみると…………
「…………奥さん知ってます? このお店に軽トラが衝突したってニュース」
「見ました見ました。いつもこの店の前を通ってますでしょ? もし巻き込まれてたかと思うともう…………」
「…………なんかさ、ショーウィンドウに突っ込んだ運転手、意識無かったらしいよ。あの、向こうの方に蛇行運転した跡があるとかなんとか」
「事故った瞬間に居合わせた子が言うには、なんだか事故が起こる前にすっごく眩しい光がしたって…………」
「…………しっかし運が無いよな。トラックに当てられたやつがいるって話だろ?」
「そうそう。男子学生が1人ショーウィンドウの前にいたらしくて。そこに後ろからトラックが来たせいでガラス窓にグチャア、っていったらしいよ」
「トラックとショーウィンドウの窓ガラスがサンドイッチーってか」
「うええぇ……今そいつ意識不明の重体だっけ?」
「たしか。ニュースによると窓ガラスぶち破って部屋の中に吹き飛んだおかげで、即死せずに済んだってさ」
「それ絶対グチャグチャだわ。なんなら一思いに死んでた方がマシかもな…………」
「…………逃げ遅れた子、なんでトラックに気付かなかったんだろうね。事故起きたのって夕方でしょ? その子以外はみんなトラックよけれたって話じゃん」
「さぁ。その子的にショーウィンドウの中に夢中になるようなモノがあったのかも。周りが見えなくなるくらいの」
「そうそうそれだけどさ。この店さーショーウィンドウの中に動物がいたじゃん? 事故の後どうなったのか心配でさー」
「あー分かる。可愛かったもんね、あの九官鳥」
「え? インコじゃなかった?」
「ちっちゃい小鳥だったような」
「皆なに言ってんの? カメレオンだったじゃん。こうヌベーっとした……」
「「「…………あれ?」」」」




