[完結]1-D 第二話 乙坂くんの困惑
とある駅前の骨董品屋へ、一人の少年が向かってくる。彼は両手を左右それぞれズボンのポケットへ突っ込み、肩をいからせながら歩いてくる。
(おもしろくねえ)
彼は不機嫌だった。何をやってもうまくいかない、望んだものはいつも誰かが持って行ってしまう。そんな現状に、ほとほと嫌気を覚えていた。
(どうしていつもうまくいかねえ)
目に見えて不機嫌そうな彼を、まわりの人たちは警戒するように距離を空ける。彼が道を歩けばその進路を避けるように、左右に分かれて歩き行く。それがまた、彼の心をイラつかせていった。
(あーイライラしてる事にムカついたらまたイライラする。これじゃイライラが終わらねえじゃねえか)
理由があってストレスを感じていたはずなのに、いつからかストレスを感じていることにストレスを感じ始めていた。このままでは何も面白く無い。こういう時はあの犬を眺めるに限る。
「おーおー、今日もアホ面してんなーおい」
少年にも、誰かに気を使わず楽しめるものがあった。ショーウィンドウに仕切られた、部屋の中にいる一匹の黒犬を眺めること。それが最近の彼にとっては指折りの楽しみになっていた。
「ったく、悩みなんてなさそうな顔しやがって。お前は幸せそうでいいよな」
この骨董品には、店先に入り口よりも大きなショーウィンドウがある。中を覗いてみれば、いたって質素な四角い部屋が見えるのみ。商品なんてどこにもない。それどころか出入り口すら見当たらない。中にあるものといえば、まっすぐに突き立てられた一本のポールと、そのポールに鎖で繋がれた、この黒犬くらいのものだ。
「少しは愛想よく出来ねえのかよ。このポンコツ犬」
部屋の壁紙は黄ばみ、ところどころカビているかのように黒ずんでいる。南を向いた良い立地にあるはずなのに、それでも室内はほの暗い。ただでさえ元気のない黒犬とあわせて、室内全体にどんよりとした空気が漂っている。
店頭の一番目立つところをこんな風にしているなんて、一体この店は何を考えているのだろう。客を呼ぶ気があるのだろうか。でも嫌いじゃない。
客引きどころか客除けとすら言えそうなこの部屋を、憎たらしい顔をした黒犬も含めて、少年はとても気に入っていた。
「おめーみたいなアホ面見てるとよ、これでも自分がマシに見えてくるから不思議なもんだわ」
物言わぬ愛想のない黒犬を、わざわざ近くで眺めようとする物好きは少ない。少年はショーウィンドウに映り込む、後ろの街並みや行き交う人たちに焦点を合わせてみた。
すると思った通り、多少こちらをちらりと見る人が1人2人いるくらい。誰もこのショーウィンドウに立ち寄ろうとはしない。
(ったくどいつもこいつもよぉ)
そんな不人気な店でも、少年にとっては今一番人気な店がここなのだ。こうしてショーウィンドウの前にしゃがみこみ、黒犬と目線の高さを同じくする。こちらに視線を送ってくるわけでもない、ただ気だるけに寝そべっている黒犬を眺めるだけ。それだけでも気分が沈んだ少年にとってはなぐさめになり、心もほぐれていく。うまくいかないことばかりでも、また頑張っていく気になれるのだ。
「お前って、なんていう犬なんだろな。なんとかレトリバーってやつか? にしてはブッサイクだよな……ん?」
今日は綺麗に晴れているせいか、それとも時間帯のせいか。太陽の光がちょうどよくショーウィンドウに反射するからなのか、いつもよりも背後の様子がショーウィンドウに映り込んでくる。
(なんだ、アレ)
室内の黒犬を見たい少年にとって、この反射はうっとおしいだけ。いつもなら多少のちらつきは無視するのだが、今日に限ってはなぜか強く違和感を覚えた。
少年の視界をちらつく、『ナニか』がある。
(見間違いか?)
そのちらつくナニかが、どうしてもこの場にそぐわない。思わず少年はその場で体をひねり、後ろを振り向く。
「いない……いや、いたけど……ないよなやっぱ」
やはり自分の見間違いだったのだろう。そう思い少年は前を向き直す。だが
「いや、あるじゃねえか」
やはり目の前のガラス窓には、見過ごせないものが映っている。
おかしい。これはおかしい。もう一度後ろを振り向き、ちゃんと確認してから前を向く。やはり『こっちにはある』のだ。これは一体どういうことなのか。
「違う……どういうことだよ……」
自分の目で振り向いて確認した時にはない『あるもの』が、ショーウィンドウの映り込みを介して見ると、確かにあるのだ。
それはこちらに向かってきている男子学生に見られる、異変。
「なんで」
その男子学生を肉眼で見る限りでは、何もおかしなところは見当たらない。少年だって、この異変がなければ『ただの学生が、この風変わりなショーウィンドウを見つけて興味を持ち、こちらに向かってきているだけだろう』としか思わない。だけど、ショーウィンドウを介して見れば。
その学生の上に、この場にあることがおかしいモノがたしかに存在して見える。学生の頭の上にある、ショーウィンドウを介してしか認識することができないもの。それは――
「なんで頭の上に梨が乗ってるんだ……!?」




