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[完結]1-D 第一話 甲賀くんの独白 

 僕はまだ、あの椅子の上から黒猫が下りたところを見たことがない。


 駅前通りに一軒、不思議な店がある。僕はその店の前を通るのが好きだ。いや、正確には店の前に立って、あの猫を観察するのが好きなんだと思う。

 骨董品屋こっとうひんや、なのかな? 店頭には入り口よりも大きなショーウインドウがあって、そこにあの子が一匹いるだけ。 

 四角い箱を大きくしたような部屋の真ん中に、背もたれつきの椅子が一つ。その椅子の上に一匹、いつも黒猫が座っているんだ。

 部屋の内装は白黒二色の市松模様になっていて、その中に黒一色の猫がいる。なんだか背景に溶け込んでいるような、溶け込めてないような。

 たぶんこう思うのは、ショーウィンドウから向かって対面側の壁に一つ、白いドアがあるからだと思う。ショーウィンドウの前にまっすぐ立つと、白いスペースの真ん中に黒猫が収まって見えるから、それが逆にこの子を強調しているように感じるんじゃないかな?


「まるで風変わりなペットショップみたいだ」


 せっかくのショーウィンドウなのに、商品を何も飾ってない。それどころか猫を飼っているだけなんて、不思議な店もあるもんだよね。

 僕以外にも不思議に思う人は多いのか、行き交う人達の中にも、立ち止まる人がぽつりぽつり。先を急いでそうな早歩きの人でさえ、何かにきつけられてるみたいに店内をのぞき込んでいたなー。


「なんでだろね」


 僕も最初はそうだった。近くの駅で下りて、なんのつもりでもなく前を通りかかっただけ。『ショーウィンドウがあるから』ってより、『ショーウィンドウの前に立っている人たちがいるから』、何かあるのか気になってしまった。そんな程度の動機だった。


 「なんで何かを見ている人がいると、無意識にそっちを向いちゃうんだろうね」


 僕は目の前の猫に話しかけるが、もちろん反応は返ってこない。ショーウィンドウのガラス越しじゃあ、そもそも聞こえているかも怪しい。椅子の上で丸まって、暖かな日差しを浴びているだけ。そのはこっちを向いてくれやしない。


「君はいつも椅子の上にいるなぁ」


 この黒猫が気になって、ちょくちょく店の前を通るようになった頃。ふとした誘惑につられて、店の中に入ってみたんだ。

 中はショーウィンドウと違って、物の山! って感じで、天井に届きそうなくらい背が高い棚がたくさん。その棚にもところ狭しにいろんな物が並べられていて、それぞれに手書きの値札が貼られてた。店内は高い棚が光をさえぎるせいか、影になっている場所がたくさん。店内は奥に行くほど薄暗くて、なんだか知る人ぞ知る隠れたお店って雰囲気に感じる。うん、やっぱり骨董品屋だったんだね、ここ。

 

「うーん、場違いな空気を感じる」


 実を言うと僕は骨董品に興味はない。ならなんで入ったのかというと、あの部屋に入れないか試すため。黒猫のいるあの部屋に、僕はどうしても入ってみたくなったんだ。


「たぶん入ってもいい、はずだよね……?」


 あのスペースはあれだ、骨董品屋に来た家族連れのために、子どもが商品を壊さないようにするための部屋。親が品定めをしている間、あの部屋に子どもを入れて、遊ばせておくための部屋なんじゃないか? それならあの部屋に商品がない事への理由としてはアリなんじゃないか? って事はあの部屋に入る事も可能なんじゃ……って考えたんだ。

 でもこうして理由を作って店内に入ってみたはいいものの。これが不思議な事に黒猫のいる部屋へ行くための扉が見つからないんだ。


「っかしいな……」 


 僕はもう一度外に出て、位置関係を確認する。


(ショーウィンドウは南に向いていて、店の入口はそのすぐ左側に並んである。なら店に入って右側の壁の向こうが、黒猫のいる部屋ってことになる)


指を指しながら、しっかりと確認する。ショーウィンドウとドアのある空間とをさえぎる壁の厚さ的に、間に部屋なんかもなさそうだ。


(ってことはショーウィンドウの奥にあるドアにたどり着くには、店に入って右側の壁をつたっていけばいい。そうすればあのドアの裏側にたどり着く……ハズ!)


 と思ってたんだけど。 

 どうだろう、店に入ってすぐに右側の壁に張り付き、壁のすぐ横を北へ。


(この壁の向こうがあの部屋だとして……)


店の奥に向かうと、右手側に空間が広がった。黒猫のいるあの部屋の奥にまで来たんだろう。そこで壁沿いに右へ曲がる。これであのドアが……なかった。あれ?

 

(どういうことだろう)


 これでも空間把握能力にはそれなりに自信がある。歩いた距離から考えても、今僕の目の前に、あの部屋へ入るドアがあるはずなんだ。でも目の前には無地な壁しかない。

 こうなったら意地でもあの部屋に入ってやると、僕はきびすを返して店の奥に向かう。店員さんは結構年配な人で、銀ぶちの丸メガネが目立つおじいちゃんだった。


「あのー」

「はい、なんでしょう」

「表のショーウィンドウに、一匹黒猫がいるじゃないですか」

「なるほど」

「あ、えっと表のショーウィンドウがある部屋にいる? いやショーウィンドウを設置している部屋で飼っている? まあそんな感じの部屋に――」

「大丈夫ですよ、あの部屋のことですね」


いまいち要領を得ない僕の質問だったけど、店員さんはちゃんと意図を読み取ってくれた。ありがたいと思うべきか、助けてもらって情けないと思うべきか……


「そうその『あの部屋』についてなんですけど。なんだか立ち入り禁止、って感じもしなかったんですけど……あの部屋にはどうやって行けばいいんでしょうか?」

「なるほどなるほど。そういう方も、そりゃあいらっしゃいますよね」


 うん? イマイチ話が噛み合ってない気がする。


「えーと、もしかして僕以外にもこういう相談をしてくる人がいたりするんですか?」

「そうですね。二日に一度ほどでしょうか。」

「い、意外と多いんですね」


 なんとなくはぐらかされているように感じるのはなんでだろう。店員さんに冷やかしの一人とでも思われたのかな。


「それでなんですが、あの部屋に入るにはどうしたら……というかどこから入れば……」

「実はですね。あの部屋とこの店内は直接繋がっているわけではないんです」

「え、そうなんですか? でもあの部屋には店につながってそうな位置にドアがあったような……」

「あの部屋に入るための、専用通路が別にあるんですよ。この店からその通路を通って、あの部屋に案内する手はずになっております。お客様でしたら、あの部屋にお連れすることも可能でしょう」

「そうだったんですか! あの、それじゃあすぐにでも――」

「ただし、あの部屋にお通しするには、一つ条件がございます」

「条件?」

「ええ、この店でなにか商品を購入してもらえれば、すぐにでも」

 

 そう言いながら店員さんは、ニッコリとこちらに笑顔を見せた。


(そういうことかー!)


 どうやら僕は見事に手のひらの上で踊らされたみたいだ。言外げんがいにアピールすることも兼ねて、店員さんの前でサイフを取り出し、中身を確認する。分かってはいたけど、お金がない……


「え、えーと……すみません今お金が……」


 そうして僕はあの部屋に入ること叶わず、背中を丸めながらすごすごと店を出ることになった。そうか、客寄せパンダならぬ客寄せ黒猫だったのか。 

 未練がましく振り向いてショーウィンドウを眺めると、あの黒猫は椅子の上で大きなあくびをしている最中だった。


「ちぇ。やっぱりそこが定位置か」


 あの黒猫は、僕が見ている時はいつも椅子の上にいる。部屋に入れたら何か変わりそうだと思ったけれど、僕には入る資格がなかった。


 だから僕はまだ、あの椅子の上から黒猫が下りたところを見たことがないんだ。

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