[完結]1―C 最終話 虚空に橋を架けるがごとく 後編
道家に笑いかけたまま、ナルミは一度も振り返ることなく背後の空へと身を乗り出し――まっすぐ落ちていった。
「っ……」
ナルミの不可解な行動を見て。道家は目を丸く開き、ぽかんと口を開けた。
「……僕を驚かせたい? たったそれだけのために、ここまで積み重ねてきた行動全てを台無しにしたのか?」
どこか呆けたまま、道家は屋上の縁へと歩いて行く。
「あーあ。また駄目だったかー……やっぱり僕じゃ駄目だな。今度誰かを勧誘する時はゾメさんに頼もうっと……」
ナルミの行動が、自らが招いた結果ならば。道家にはナルミの最期を見届ける義務がある。
道家はナルミへの興味を失いながらも、自らの行動を変えない。ナルミの最期を確認しようと、ナルミが落ちていった場所に立ち、下を覗き見た。
「なっ――」
「――ずいぶん良い顔してるじゃん」
その瞬間。道家の目は驚きに染まった。限界まで見開かれた両眼で、眼前に広がる異常を把握しようとする。
「普段のムカつく顔とは大違い」
道家が立つ、ビルの屋上。その直近に――空の上に。
頭の上にミカンを乗せた少女が居た。宙に浮かべたミカンの上に立っていた。
空の上に居るのは彼女だけではない。先ほどビルの屋上から落ちていったナルミも、彼女が浮かべるミカンの上に立っていた。
彼女は自分とナルミが乗るミカンを操り、徐々に高度を上げていく。
そして道家が立つビルの屋上と同じ高さまできた時、ミカンを静止させた。
「道家さんは、気付いてなかったと思いますが……」
立つ場所を変えた上で、道家と同じ目線の高さに立ち。
ナルミは道家に声をかけた。
(そうか。僕と彼女の力は同一。お互いに接触しない限り、お互いに感知できない。だから――」
「彼女は僕にだけ知らせてくれた。道家さんに気付かれないように『ソコから飛び降りろ』って。ミカンを空に浮かべて、文字を作ってくれていたんです」
「……それでか。君が下を見た瞬間、態度を変えたのは」
「ええ。そうです」
彼女が宙に浮かべるミカンの数は100を超えている。夜が溶け、朝が増していくミカンセイ空間に。彼女が操るミカンが放つ、オレンジ色の光が混ざり合っていく。
空に並んだミカンたちは、そのすべてが一定の距離・高度を保っている。ミカンの上を歩いていけば、中空にミカン製の橋ができているのと変わらないだろう。
虚空に橋を架けるがごとく。彼女が生み出すミカン製の橋は、たしかにミカンセイ空間に架かっている。
「アンタに関わらない限り、アンタが私の行動に気付くことはない。えっらそうにベラベラしゃべっている間に、こっちは準備万端ってワケよ」
「……僕に気付かれないように、息を潜めてビクビクしながら作っていたクセに」
彼女が道家に勝ち誇れば、道家は彼女を挑発する。決して存在していないハズなのだが、なぜだかナルミには両者が交わす視線に、大きく火花が散ったように見えた。
「そんなに僕に気付かれるのが怖かったのか。君って案外……」
「……はぁ? リンゴアンタ本気で言ってんの?」
(やっぱり何か飛んでる……?)
見間違いだと思ったが、もしかすると見間違いではないのかもしれない。
もしかすると、ミカンセイ空間で睨み合うと、火花が生じるのかもしれない。
不思議なことに、ナルミには飛び交う火花が見えた……気がした。
などと考えている場合ではない。我に返ったナルミは、あわてて両者の仲裁に入る。
「ま、まあまあ2人とも。そんなイライラしなくても……」
「……ごめん無理。リンゴの顔見てるだけでイラっとくるから」
「あ、アハハ……道家さん」
彼女に譲歩を求めても無駄らしい。ナルミは考えを改め、道家に話しかけることにした。
「うん? なんだい桃原君」
「僕が選んだ、このミカンでできた道は。彼女が用意してくれた道です。道を無くした僕が自分で創ったワケじゃない」
ナルミは再度、道家をまっすぐ見つめる。
「でも、この道を進むって決めたのは僕自身です。半人前な答えかも知れませんが……僕は誰かが作った道でも、自分の意志で進んでいきたい」
今でも道家には負い目を感じている。頭の上にミカンを乗せた彼女に誘われ、道を提示してもらって。やっと選ぶことができた自分では、やはり足りていないのかもしれない。
「……この答えに、この答えで。道家さん」
でも今道家には、いや道家にこそ、この答えを示したい。
「道家さんに、僕の色は見えますか?」
だから今、ナルミは道家に自らの色を問うた。
道家は数秒ほど動きを止めた後、満足そうに笑いながら。
「……ああ、文句なしに」
惜しみない拍手を添えて。ナルミの色を認知した。
――◇――◇――◇――◇――◇――
ナルミと彼女はミカン製の橋を渡っていく。
「桃原君さ、別に盗み聞きするつもりはなかったんだけどさ。下で待機してたら、リンゴと話してるのが聞こえたって言うかさ……」
「なんですか?」
「えーとね……本当に私たちのチームでいいの?」
終点に向けて、ゆるやかな橋を下りながら。彼女はナルミに話しかけてきた。
「そりゃ、ウチは今私と高梨君だけだし。桃原君に手伝ってもらえるなら嬉しいんだけどさ……リンゴの誘いを蹴りたいってだけなら、無理に私たちの仲間にならなくても――」
「違います」
彼女の言葉を最後まで聞かずに、ナルミは自らの意思を示した。
「僕は僕がそうしたいから。本心でそう思ったから、◯◯さんの仲間になることを選んだんです」
「……ホントに?」
「ホントに、です」
「そっか……なら、基本無計画で無茶苦茶なチームだけど、よろしくね」
「それは……大変そうですね……頑張ります。こちらこそ、よろしくお願いします」
2人して頭を下げ合いながら、ナルミと彼女はミカン製の橋を下りていく。
そして下りきった先には、ナルミが見知った2人が待っていた。
「よお」
「お疲れさん」
「高梨さんに……それに墨染さんまで。どうしてここに?」
高梨は分かるが、なぜ墨染まで待ってくれていたのだろうか。墨染は道家と同じ帳の一員であったはずだ。
「あー大丈夫だ。『コイツ』越しに話は聞かせてもらってたから」
墨染はナルミに手を突き出した。突き出した手には赤いリンゴが握られている。
このリンゴには見覚えがある。道家が宙に浮かべていた、あのリンゴに違いない。
「このリンゴ……そうか、どうりでいつからか姿が無くなったと思ったら……」
「ま、アイツはこういうことするヤツだからよ。なんだかんだ言って自分だけじゃなく、俺にも話を聞かせたかったんだろうよ……ヒン曲がってはいるけどよ、アイツ悪気はないんだわ。許してやってくれ」
「悪気がないから最悪なんだよ……」
墨染の言葉を受け、彼女はボソリと悪態をついた。ほんの一言ではあるが、ナルミには誰についてしゃべっているのか見当がついてしまう。苦笑いするしかない。
「あ、アハハ……消えたリンゴの理由は分かりましたけど、墨染さんがここにいるのはどうしてなんですか?」
「リンゴ越しに話聞きながら、この世界に迷い込んでる人がいないかチェックしてたら、お前さんが下りてくるのが見えたからよ。見送りでもしようかと思っただけだ……やっぱりお前さんには、見込みがあった」
墨染は長い前髪の合間から、綺麗に澄んだ瞳をナルミに向けてくる。
「なるほど……色々お世話になりました。僕の最初の案内人が、墨染さんで良かった」
「俺は大したことはしてねえよ……俺がしたことと言えば、『コレ』だけさ」
墨染は口をにやりと歪ませ、ポケットからあるモノを取り出した。
「桃原よ、本当に本心でこの道を選んだってんなら――」
取り出されたのは1枚のコイン。このミカンセイ空間に来た時、ナルミが墨染に持ちかけられたコイントスで使用した、あのコインだった。
「当然、当てられるよな?」
墨染はナルミを見ながら不敵に笑う。下手な言葉よりも、結果を示せとナルミを挑発した。
「……はい! 表です。絶対に表が出ます」
ナルミはすかさず返答する。前に選んだ時とは違い、今度は一切迷わなかった。
「なぜなら今、僕がそう決めたから……違いますか?」
「……いい答えだ」
墨染は帽子を深く被り直し、目元を隠した。どこを見ているか不明なまま、コインを自らの手の上に乗せる。
そして1呼吸置いた後――墨染の手から、1枚のコインが打ち上げられた。
「さて、表が出るか裏が出るか……」
ナルミはコインを目で追わなかった。答えに確信があるから、結果を追わなかった。
答えが出るまでにだって、すでに答えは決まっている。
その答えに、確信があるから。
だからナルミは、コインの行方を追わなかった。