[完結]1―C 最終話 虚空に橋を架けるがごとく 前編
ナルミは目の前にいる道家へ。偽りのない本音を告げた。
「僕は――道家さん。あなたの仲間にはなりません」
ナルミは道家の顔をまっすぐ見つめる。自分が放った答えに、どう反応するか知りたかったから。
道家は少しだけ目を見開いたが、特に驚いた様子はない。これには逆にナルミの方が驚いてしまった。道家が示した反応は、ナルミが思っていた反応と違う。
「……驚かないんですね」
「むしろその質問に驚いたよ。なんで驚くと思ったんだい?」
「それは……ここまでお膳立てして、僕を仲間にしようと色々手の込んだことをしたのに。それでも僕は断ったんですよ? 予想外だったりしないんですか?」
「しないね」
「どうして」
道家は目を丸くしながら、いたって素の反応で答えを返してきた。
「桃原君を仲間にしたいって言うのは帳の総意だけど、僕個人としては君が自分で考えて出す答えの方が大事だ。そう言ったよね?」
「それは、そうですが……」
「だから君が仲間にならないと言うのなら、僕は君の答えを尊重する。ただ……」
道家は一度言葉を切り、自分のアゴに手を当てた。一体何をする気かと、ナルミが身構える中……突然態度を変えた。
ナルミを試しているような、底を見通そうとしていた瞳の色が変わった。赤かった目の色は鈍色に変わり、真剣だった表情も今では毒気の抜けた笑い顔になっている。
道家はナルミに笑いかけながら、正直な答えをくれた。
「さすがにここまでやって『断られました』、で終わらせちゃうと、ゾメさんや忠芳さんに何言われるか分かんないからさ。一応、断る理由も教えてくれないかな?」
道家の変化に釣られて、ナルミもついつい気が抜けてしまう。身構えていた自分がバカみたいだと、内心口を尖らせる。
「分かりました。そうですね……」
ただ、道家の態度が軟化したことで。いくらか本音で話しやすくなったのは確かだった。
「僕が案内人に興味があるのはホントです。なれるのなら、やってみたいとも思ってます」
道家が本音で話してくれたように。
「ただ……道家さんや墨染さんと一緒に仲間としてやっていける気がしなかった。正直言って、道家さんのことは苦手に思っているし、上手く付き合っていけるとも思えない」
ナルミも腹の底に隠していた本音を吐き出していく。
「それに、案内人になれるのなら……僕は高梨さんや、頭の上にミカンを乗せたあの子と一緒にミカンセイ空間に挑みたい。そう思ったんです」
「なるほどなるほど……どうやら彼女に毒されていたようだ」
ナルミの正直な返答を受け、道家はすこしだけ苦い顔をした。
「桃原君がイレギュラーな事態になったから、仕方なく彼女に案内を任せたんだけど……うーんその時点で失策だったのかな?」
「……ずいぶんと彼女のことを嫌ってるんですね」
「いや別に? 嫌ってはないよ」
苦い顔をしたものの、どうやら気分を害したわけではなかったらしい。ナルミの推測はあっけなく空を切った。
「ただ正反対で、相容れないだけさ」
朝日を背負う道家の姿がナルミにはとても大きく見えた。自分とは到底対等ではない。別のステージに立っている人だと心の内で理解した。理解してしまう自分に、無性に腹が立つ。
(この人と話していると、自分の小ささばかりに目が行くな……本当にイヤになる)
「たしかに、桃原君が僕に引け目を感じているのだとしたら……反対な彼女が魅力的に思えるのかもね。あり得る話だ」
(……嫌われてる相手の前で、なんでこんな平気な顔を見せられるんだ)
「とは言え、彼女は彼女で相当な問題児だよ? 僕が見たところ、桃原君は理屈で動くタイプに見える。彼女に付いて行くのは大変だろうね」
(ああ……そうか……)
道家との差を再確認している内に、ハッキリしたことが1つある。
やはりナルミには、道家の考えがさっぱり読み取れない。ナルミは道家とこそ、相容れないのだと悟った。
「相性良くないだろうし、彼女の所に行くなんて桃原君が心配になるくらいなんだけど……まあ、駄目なものはしょうがないか。付き合わせて悪かったね。送っていくよ」
道家の対応は早かった。あっけなく考えを変え、すぐに行動に映す。
柔軟な思考と割り切りの早さ。相手の行動すべてを受け入れる底の深さもろもろ。
「……ああ、1つ理由を言い忘れてました」
その優れたもろもろの点が、ナルミはどうしても見過ごせない。
「道家さんが思うほど、僕は利口じゃないですよ?」
ナルミは道家の顔を見つめたまま、両手を上げ『お手上げ』のポーズを取った。
「言うと負けた気がするから。あえて言わなかったんですけど……」
手を上げたまま、足を後ろへ下げていく。自分が屋上の端に、遮るものがない端にいることを自覚してなお。ナルミは後ろへ下がっていく。
「……それ以上下がると危ないよ」
道家からの忠告は聞こえている。聞こえている上で無視を決め込む。
ナルミはさらに後方へ進み、ついに屋上の縁に足をかけた。
「おいおい。それ以上はさすがに駄目だよ」
道家が真顔で言葉を発する。発する言葉には戸惑いが混じる。
道家はここまで見せなかった、ナルミの考えが分からないかのような態度を見せてくる。
「せっかく目的地手前まで来たのに、ここで落ちてすべてを台無しにするつもりかい? この高さから下まで落ちたら、間違いなく『終わって』しまうよ?」
道家は両手を広げ、眉を寄せた。額に軽くシワを作りながら、鈍色の瞳でナルミを見つめてくる。本当に意味が分からないといった風な顔だ。
道家の困った顔を見て。ナルミは小さく笑った。
「……止めようとはしないんですね。それも僕の選択を尊重するからですか?」
「? そうだね。君が終わりたいというのなら、僕に君を止める権利はない。でも君がここで落ちる利点が一切ない。違うかい?」
「利点? 利点ですか……」
「そう、利点さ。ここで終わってしまったら、案内人になりたいという君の願いは叶わなくなる。真に自ら選んだ道を捨てることになる。まったく利がない。理にかなっていない」
「……果たして、本当にそうでしょうか?」
「……? もしかして、僕が君を無事に帰さないとでも思ってる? そんなに信用できないかな?」
どうやら道家は本当に自分の考えが分からないようだ。今までずっと、道家に心の中を見透かされているような気分を味わってきたナルミは、今この状況に喜びを隠せない。
万能めいていた道家を自分が困らせていることに。ナルミは笑い出さずにはいられなかった。
「ハハハ……いや、別に疑っているわけじゃありません。道家さんなら、自分の誘いを断ったヤツだって、平気な顔して、無事に送り届けると思ってます」
「なら、なぜ?」
「僕の目の前に立っているのが道家さんだからですよ」
「……桃原君、君は合理的な思考をしていると思っていたんだけど……今の君の行動の利点が、僕にはさっぱり読み取れない」
「僕の考えが分からないのは……道家さんが優れているからでしょう」
困惑する道家を、ナルミは笑顔で見つめ続けた。
ナルミの笑顔を見て、道家はさらに困った顔になる。
今にも落ちそうな場所に立ち、今にも落ちようと後ずさりしている。
そんな状態のナルミがなぜ、こんなにも嬉しそうな顔をするのか。
最後まで道家には理解することができなかったようだ。
「……ごめん。その考えは理解できない」
「ならハッキリ言います。ここで道家さんの手を取ったら。なんかずっと手のひらの上で踊らされてるような気がしたから。なんか負けた気になるのがムカついたから……道家さんが、余裕無くした顔が見たいから」
自分が出来る限りの目いっぱい、ナルミは道家を困らせる。道家の考えの外、自分に不利益をもたらす行動だと自覚した上でなお。ナルミは笑顔でこう言った。
「僕は小心者だから。だからこうして……アンタが驚く事をしたかったんですよ」
道家に笑いかけたまま、ナルミは一度も振り返ることなく背後の空へと身を乗り出し――まっすぐ落ちていった。




