[完結]1-C 第13話 道無脱出行
彼女に先導されながら、ナルミとハジメは夜の街を歩いていく。
彼女主導で始まった奇妙な歩みだが、ナルミは納得できていない。おかしな行動に付き合わされるうちに、脳内を疑問符が埋め尽くしていく。
ついにたまらずナルミは彼女に近付き問いかけた。
「…………本当に、こんな方法でうまくいくんでしょうか?」
「今のところうまくいってると思うんだけど。なにかダメ?」
「確かにそうですが……」
「上手くいってるならそれでいいんじゃないか? 桃原考え過ぎだって。ここミカンセイ空間だぜ?」
「しかしそう言われても、『道を失くしているなら道を踏まなければいい』だなんて、とんちみたいなことが上手くいくなんて、とても思えなくて……」
ハジメはああ言っているが、普段の考え方が違うからだろうか。ナルミはハジメのようにすんなり納得できない。どうにも疑いがちになってしまう。
(どうしてこんなことに…………)
ナルミは今から数分ほど前の出来事を思い返す。
彼女が提示した、このミカンセイ空間からの脱出方法。それは意外な方法だった。
道を失くしているのなら、道を踏まなければいい。そう言った彼女は降り立ったアパートの屋根から、隣の家屋へと飛び移った。
ナルミは一瞬また上空に飛ばされるかと身構えたが、今回は飛ばされる気配がない。首をすくめながら辺りを見回していると
「ね? こうやって道路以外の場所を進んでいけばいいんだよ」
と彼女は笑いながら告げてくる。
彼女は胸を張り、両手を腰に当てながらこう言った。
「とりあえず私が先導するからさ。2には後について来てね」
(…………アレからだ。この奇妙な脱出行が始まったのは)
彼女が先導し、ハジメと2人は後ろに続いていく。家の屋根から、違う家の屋根に飛び移る。
屋根がとがっていて滑り落ちそうな家に差し掛かれば、彼女は家の屋根から近くの塀に飛び降りる。
軽やかな足取りで塀に飛び移ると、すこし遅れてハジメもとんだ。
ナルミは飛ぶ気にはなれず、おっかなびっくり足を伸ばし、塀に足をつける。
こうして家の屋根伝いから、家の塀伝いに場所を移して。落ちないようにバランスを取りながら、3人は塀の上を歩いて行る最中だ。
(まるでネコみたいだ)
ナルミは前を行く彼女を見つめた。
細い塀の上から落ちないように、必死になっているナルミとは違う。彼女は靴音も立てず、当たり前のように先へ進んでいく。
まるで進む事が決まっているように。落ちる可能性などありえないと知っているかのように。彼女は一切下を向かない。
ただ前だけを見て進み、時々2人を気づかって、後ろを見て確かめるのみ。
あたふたしているナルミやハジメとは違う。ナルミが知りえない力を持った彼女は頼もしく、そして少し恐ろしかった。
(……思っていたより静かだな)
進む塀の幅が増し、ナルミでもいくらか余裕を持てるようになった頃。
ナルミは自らが通り過ぎていく街を見回した。
街は静かで明かりもまばら。家屋に月明かりが遮られると、足元もおぼつかなくなるほど暗くなる。
だがそんな時は、彼女のミカンが灯になった。彼女はミカンを数個浮かべると、光らせながら漂わせる。浮いたミカンはハジメとナルミに近付くや、周囲をくるくると旋回し始めた。
衛星ミカンとでも呼べばいいのか。彼女の指先にオレンジ色の光が灯り、それに続いてミカンたちの動きも変化した。
今ではナルミやハジメの周りには、それぞれ何個かのミカンが飛び回っている。
先が見えない道のりでも、周囲を飛ぶミカンたちが、行き先を照らす光になってくれる。
暗がりに差し掛かれば、足元を重点的に照らしてくれる。あって良かった、衛星ミカン。
「――ここまでみたいかな。ちょっと進み方変えるね……」
塀をつたって行くのにも限界がきた。
通りを区分するすこし大きめの十字路が、一行の行く手を阻んだのだ。住宅街にはつきものの十字路が、今のナルミにとっては邪魔で仕方がない。
「一体どうするん……ですって……!?」
彼女の行動は早かった。
首に巻き直したマフラーから、何十個ものミカンが射出されるや空に並ぶ。
そして一直線に並んだミカンたちが、一斉に光を放った時。
なにもなかった中空に、ミカンで作り上げた即席の橋が完成した。
言葉を失うナルミの変わりに、ハジメが感嘆の声を上げる。
「おーすっげーな」
「道を失くした迷いビトのために、新たな道を創り、導く。どう? 案内人らしいでしょ?」
そう言うと彼女は振り向き、嬉しそうに笑った。
不自然なほど大きい月の下で、オレンジ色の月光を浴びながら。
先行く彼女の背中を追って、ナルミはミカン製の橋を渡る。
橋はあまりに未完成で、通るだけでも勇気がいる。足場のミカンは宙に浮き、体重をかけるとすぐに沈み込む。
左右に掴める場所もなく、足元は穴だらけで頼りない。ナルミは両手を広げバランスを取りながら、必死になって前に進む。
彼女の目には、ナルミの進み方があんまりにも危なっかしく見えたのか。彼女は足を止め、ナルミに近付きこう言った。
「……ホント見てて心配になるなぁ、桃原君って」
呆れながら小さく笑い、そっと右手を差し出してきた。
意図が分からずナルミが彼女を顔を見る。すると彼女はアゴをくいっと前に出し、『手を掴め』と言外にアピールしてきた。
「なんだか……色々とお手をわずらわせてすみません……」
「いえいえ。今は桃原君の案内人ですから」
一瞬迷いはしたものの。今さら守るプライドもないとナルミは考え、差し出された彼女の手を掴んだ。
「それじゃ、キビキビいくよー」
彼女に手を引かれながら、ナルミはミカン製の橋を渡っていく。
ミカン製の橋は一直線に、街を切り裂き伸びていく。
3人が通り過ぎた部分のミカンはミカン列から離れ、足早に空を飛ぶ。そして3人を追い抜くと、またミカン製の橋に混ざり合う。
通り過ぎたと思ったミカンがナルミを先回りし、またナルミが進んでいくための足場となってくれる。
考えたこともない状況に直面し、ナルミの常識がひび割れていく。
――――――――――◇◇◇◇◇――――――――――
ナルミは彼女に手を引かれ、先導されながら街を進んだ。
十字路を抜けた先には標識や信号機、道路に並べて植えられた樹木があった。それらは悪意でもあるかのように3人の行く手を阻む。
だがそれら全てを持ってしても、彼女の歩みを止めることはできなかった。
彼女が無尽蔵に繰り出すミカンたちが。何気ない動作で投げ放たれるミカンたちが、障害物をことごとく打ち砕いていく。
どんなに頑強そうな障害物でも。ナルミには無理だとしか思えない壁だって。
彼女が投げるミカンに触れただけで爆発、四散していく。
そんな障害物たちを見ているうちに、ナルミの意識が変わっていく。
自分が今まで作り上げてきた常識がどんどん壊れ、はがれ落ちていく音が。ナルミにはなぜか聞こえてくるのだった。
(彼女は……本当に凄い)
起こることがことごとくナルミの予想外なミカンセイ空間。
そんな場所で出会った彼女は、とても規格外な案内人だった。破天荒と言うべきか、ミステリアスと言うべきか。
頭の上にミカンを乗せながら、光るミカンたちを操りながら。彼女は何度もナルミの常識を塗り替えていく。
ナルミが完成したと思い上がり、満足しながら抱えていた、未完成な常識を。
彼女はあっけなく砕いていく。徹底的に壊していく。
(ここまで凄いと、もう笑うしかないな)
何事も否定しがちなナルミの常識が砕けたあと。
ナルミに残る感情は、好奇心ばかりだった。
彼女が何を見せてくれるのか。この道の先に何があるのか。
ナルミの目にはいつからか。好奇の光が宿っていた。
自分にはできないことを軽々とやってのける彼女に、ナルミは不思議と嫉妬を抱かない。
(自分で言ってて嫌になるけど……なんで彼女に負の感情を抱かないんだ? いつもなら、こうも凄い人に会ったらとっくに――)
「――おい! おいそこのオフタリサン!? ちょっと待ってくれないかな!?」
ナルミは後ろへ振り向いた。すると背後にはよつん這いになり、両手両足を使ってミカン製の橋から落ちないように必死になっているハジメがいた。
先ほどの道連れ無料フリーフォールがまだ効いているのか。弱ったハジメの三半規管では、不安定なこの橋を立って歩くことができないようだ。
足場であるはずのミカンを両手でしっかり握りながら、足をプルプル震わせながら。ハジメが必死になって2人の後を追ってきている。
そんなハジメに、ナルミは軽口を叩く。
「――高梨さん遅くないですか?」
「手助けされてるお前には言われたくねーな! ……あ、あのー俺もエスコートして欲しいなー、なんて」
「ダメです。コレは桃原君が迷いビトだから手助けしてるの。特別なの。分かるよね?」
「う、うう……」
「高梨君私の助手だよね? 迷いビトじゃないよね?」
「……はいソウ、デス」
「なら、自力でなんとかできるよね?」
「うう……俺って無力だ……」
あの光る梨のような力を持ったハジメでさえ、ミカン製の橋を渡ることに苦戦している。
そんな姿を見ていると、在りし日の自分を見ているようで。ナルミの心の内から膿が洗い流されていく。
(……そうか、案内人である彼女が常人離れしていても、高梨さんが僕と同じ立場でいるから。同じ目線で物事に触れてくれるから、置いていかれる気分にならないのか)
ナルミは立ち止まり、閃いた考えを深めようとする。
ナルミが立ち止まったことでその手を引いていた彼女の歩みも止まる。
何が起きたのかと彼女が後ろを振り向くと、下を向いて考え込むナルミがいた。
(あまりにも凄すぎる案内人と迷いビトとの差を埋めるために、高梨さんのような助手がいる、のか? これなら道家さんや墨染さんと対面していた時のように、押し潰される圧迫感を覚えないのにも納得がいく)
すっかり思考に没頭してしまったナルミを見て、彼女は軽くため息をついた。
やれやれと言ったふうに左手の中指を左手の親指で抑えて、溜めを作る。中指に力をためたまま、ナルミの額に近づけて――彼女は親指から力を抜いた。
「そうか……(案内人からの圧を助手が緩和してくれているから。あの2人といた時よりも苦しくないのか。だとすれば、真に僕を手助けしてくれているのは高梨さんなのか? だから『助手』なのか? いや2人揃っているからこそ――)って!?」
ナルミの思考は彼女のデコピンによって妨げられた。
額に生じた痛みと衝撃に、ナルミは思わずのけぞってしまう。
目を白黒させていると、彼女が呆れた顔で話しかけてきた。
「……まーた考え込んでる」
「あっすみません。つい……」
「まあ今回はよしとしましょう……ずいぶんとマシな顔になったしね」
彼女は少し笑みを含みながらそう言うと、すぐに前を向いてしまった。ナルミには彼女の真意が分からず、困惑するばかり。
「マシって……?」
「さっきまでは追い詰められてる感じだったけど、今は笑ってたから。だからマシになったってこと」
彼女に言われるまで気がつかなかった。
ミカンセイ空間で、今までにないことに巻き込まれて、それでもなお。ナルミは笑っていたらしい。
未知の暴力に晒され、道無き脱出行を歩みながらでも、なお笑えるくらいに。
ナルミの心の内には変化が起き始めていた。




