[完結]1ーC 第11話 たどり着かない階段群
「……あ、すみませんちょっと待ってください」
「ん?」
「あの、墨染さんに絶対伝えろって言われてることがありまして……」
ナルミには彼女が先へ進む前に、伝えておかなければならないことがある。
前任の案内人である墨染から、次の案内人に必ず伝えろと言われた2つの注意点。階段を下りることができない。道も失っている。この2点だ。
(まあ僕自身よく分かってないんだけど。案内人の彼女なら何か知っているかもしれない。ここは聞いたまま話してみよう)
ナルミ自身『階段を下りることが出来なくなっている』については体験しているから分かるのだが、『道も失っているという』というのはどういうことか。
理解できないまでも、説明出来ないわけではない。ナルミは私見を混じえずに、墨染から言われた通りを2人に説明した。
するとハジメは何を言っているのか分からないという顔になったが、彼女は違う。心当たりがあるのか、右手の人差し指だけを伸ばし、自らの右頬へ当てる。
そこから少しだけ小首をかしげ、数秒ほど思案した後こう答えた。
「なるほどね……それならコレで行った方がいいかも」
一体何を始めるのかと、ナルミが黙って見つめていると。
彼女は自らの首に巻かれていたマフラーに手をかけ、一息に引っ張って外した。
勢いよく外されたマフラーが宙を舞う。不思議と、辺りには柑橘系の香りが広がった。
不思議なのは香りだけにとどまらない。こういった事をすれば、通常マフラーは重力に引かれ垂れ下がる……はずなのだが。彼女が持つオレンジ色のマフラーには特別な力がかかっているのか、一向に垂れ下がる気配がない。
彼女が手に持つマフラーは、彼女が首から外した時の高さのまま宙に浮いている。
そして浮いたマフラーはひとりでに、布の端をナルミに向けて伸ばしてきた。まるでマフラー自身に意思があるかのようだ。
「じゃ、コレね。2人ともマフラー掴んどいてね」
「あの、これは?」
「とりあえず動くから。絶対離しちゃダメだからね」
「あいよ」
「あっはい」
ナルミの疑問には答えず、彼女はマフラーを掴んだまま決して離すなと念を押す。
(……このマフラーを掴んでいればいいのか?)
驚いているのはナルミだけで、彼女もハジメも気にしている様子はない。ナルミは2人の顔を交互に見回し、場の空気に合わせることにする。
内心ビクつきながらではあるが、ナルミはマフラーに手を伸ばし、ギュッと掴む。
(触った感じは普通のマフラーと言った感じだけど……完全に浮いているような……いや、ミカンセイ空間ではマフラーが宙に浮いたり勝手に動いたりするのかもしれないな。ありふれてるから2人は驚かないのかも……)
ナルミの脳内に疑問符が山積みされていく。
言われた通りマフラーを掴んでみたはいいものの、イマイチ彼女の意図が掴めない。これから一体何をするのだろうか。
彼女は浮かべたマフラーの中央を左手に掴み、右手を懐の中へ。そして次に手を出した時、右手に握られていたのは――
(……またミカン?)
やはりミカンだった。
そしてミカンを掴んだまま、2人を手招きし
「それじゃ進むよーちゃんと付いて来てね」
と続けた。2人は彼女の指示通り、マフラーを掴んだまま進んでいく。
3人は一面を遮っていた大きな壁、その一角に備え付けられていた小さな扉をくぐった。
身をかがめないと通れないほどの小さな扉を、3人は中腰で進んでいく。
進んだ先――扉の向こうには駐車場だったであろう奇怪な空間が広がっていた。 大きな四角い空間は正面と右手側を高い建造物に囲まれ、左手側にはフェンスが備え付けられている。
「おー。こりゃなんとも変わったモンが出来てるなー」
(……あれ、は……階段なのか?)
ハジメの声に誘われ、ナルミは建造物に沿って、視点を上に這わせていく。すると建造物の壁面に備え付けられた、多種多様な階段が見て取れた。
これはどういうことか。複数ある階段のどれもが地上まで届いていない。建造物の屋上を起点にした階段群は、その全てが半ばで途切れているのだ。
強引にねじ切られているような階段もあれば、最初から途中までしか伸ばすつもりのない階段、階段と階段を繋ぐ、まったく異なるデザインの階段もある。
(これは一体……?)
途中で途切れているように見えようとも、階段の終着点に室内へと出入りできるドアでもあればいいのだが。ナルミの目では室内に至るドアを見つけることができない。どの階段も唐突に、プツンと断ち切られているようにしか見えないのだ。
後付、増設を繰り返しておきながらただの1つも地上まで届いていない。
誰も昇れない屋上から、中途半端に階段を地上へ伸ばしている。
そんな不必要で、不完全で、不思議な――どこにもたどり着かない階段群があった。
「いやー意味分かんねーなーこりゃ……うん? なんだこれ。土管の山?」
この場所で奇怪なのは、なにも階段群だけではない。
次なるハジメの声に注意を向け、ナルミが視点を地上に戻してみれば。
見渡せる限り、辺り一面には大量の土管が埋まっていた。
不規則に埋まった土管は底の見えない口を広げ、無造作に乱立している。土管が地中からせり出してきたのか、地面を覆っていたアスファルトはひび割れ、ボロボロと崩れ原型を留めていない。元が駐車場だったと分かる痕跡は、わずかに残ったアスファルトの地面に描かれた、規則正しい白線くらいのものだ。
「あー。俺がハマって身動き取れなかったのってこれか?」
「かもね。桃原君はどう思う?」
「え? あっああ、たしか同じような土管だったと思います。高梨さん、何か心当たりでも?」
「いやまったく。ワケ分からん」
ナルミとハジメ、2人は揃って脳内に疑問符を並べる。なぜか似通った動作を取り、息を合わせたようにお互いの顔を見る。もちろんお互いの顔に答えなど書かれていない。
頭を悩ませている2人を尻目に、彼女は奇怪な空間を睨みつけた。そして整った顔をゆがませながら
「……ホンット性格悪い……」
と吐き捨てる。
何か心当たりがあるのだろうか。ナルミが彼女の目線の先を追うと、どうやら壁面に乱立している階段群を見ているようだ。
ナルミは彼女に歩み寄りながら話しかけた。
「あの階段の中のどれかが、正解の道だったりするんでしょうか?」
「んー違うよ。色々と」
「色々と?」
「桃原君自分で言ってたじゃない。階段は降りられないって。だから階段が全て途切れてるし、『上』に繋がる道も断たれてる。あの階段たちは全部が遺物。もう道じゃないよ」
「なるほど……階段は遺物……」
「フェイクって言った方がいいかも。もう通れないモノなのに、アイツが撤去せずそのまま置いていってるせいで余計に難しくなってる。どうせどっかで見てるんでしょうに、ホンっと性格悪い」
「(アイツ? 一体誰に怒っているんだ?)ま、まあ落ち着いて。あの階段がフェイクだとすると……この土管の山のどれかが先に通じる道ということでしょうか?」
「この中に正解なんてない。あったとしてもない。アイツが作った道なんて通りたくもない」
彼女はなんとも嫌そうな喋り方をする。彼女がこの土管の山の製作者に心当たりがあるのは間違いなさそうだが、はたして深く掘り下げて良いものか。
この建造物について触れる度に、彼女はこの建造物の製作者を連想するだろう。それぐらいナルミにだって察することができる。
この建造物についてたずねる度に彼女が余計に気分を害しそうで、ナルミはどうにもためらってしまう。
「だから……ブッ壊す」
ナルミの苦悩など知ったことではない彼女は、唐突に見据える先を変えた。
彼女は右手に持ったミカンに光を灯し、手首のスナップだけでミカンを放り投げた。なんということはない風に。ごくごく当たり前の動作であるように。
放たれた先は土管の山ではなく、階段群でもない。
1方をふさいでいたフェンスに向かって、彼女は軽い調子でミカンを投げた。
わずかに遅れて、ナルミはある危険に気がつく。
彼女がミカンを投げたということは。
(まっさか――)
ナルミが思わず身構えるのとほぼ同時だった。
ミカンがフェンスに触れたとたん、オレンジ色の爆発が生じた。辺りをオレンジ色の光が埋め尽くし、1秒と保たずフェンスはバラバラに砕け散る。
あまりのまぶしさにただでさえ細い目を、さらに細めながら。彼女の迷いがない行動を見て、ナルミは正直な感想を漏らしてしまった。
「な、なかなか乱暴なんですね」
「? いつもこんな感じだよ? どうせもうすぐ崩れちゃうし、気を遣う必要もないし」
「おまっ、お前なぁ!? いきなりミカン投げんなよビックリしただろ!?」
「高梨君なら慣れてるでしょ」
「いや慣れてないから! ……というかどこ狙ってんの? あの階段とか土管は?」
「無視。アイツに付き合う気はこれっぽっちもないから。ほらほら2人とも進むよ!」
彼女は怒ったハジメを軽くあしらい、破砕したフェンス跡地に向かって進み始める。マフラーを掴んでいる2人もまた、彼女につられていく。
どこにもたどり着かない階段群など、彼女にとっては必要ないものなのか。
彼女の割り切った行動に驚きながらも、内心では不思議と好感を持ってしまう。自分にはできない行動に、どこから興味が湧く。
(すごいな彼女は。僕とは全然違う……うん?)
そんなナルミは誰かの視線を感じ、地上にたどり着かない階段群を振り返り見た。
ナルミの目には一瞬、地上に届かない階段群の頂上――屋上と階段が交わる位置に。小さく光る、赤いナニかを持った人がいたように見えたのだが……
(……誰もいない、よな……)
どうやら自分の見間違いだったようだ。
「道路か……」
フェンスに穿たれた風穴を抜けると。そこには道路が伸びていた。
ナルミが見た限りでは、車道に変わったところは見つからない。
だが歩道には明らかな異変がある。車道の両端に並ぶ歩道には正方形のパネルが敷き詰められ、パネルの色は白黒2色の市松模様。
「明らかにおかしい……って、あの」
「はいはい進むよーちゃんとマフラー掴んどいてねー」
怪しい市松模様のパネルを警戒するナルミなど、彼女にとっては関係ない。立ち止まるナルミを引っ張りながら、当たり前のようにパネルの上へと足を運んでいく。
そして彼女の足が、パネルを踏んだ瞬間。
ナルミが瞬きをし、再び目を開けた先に広がっていたのは――夜空だった。




