[完結]1―C 第10話 『細かいことはナシにしよう』
自分が置かれた理解しがたい状況に、ナルミは戸惑いを隠せない。
つい反射的にこれはありないことだと否定したくなる。思考を停止したくなってしまう。
困ったナルミには、手に持ったミカンと彼女を交互に見つめることしか出来ない。
そんなナルミを見て何を悟ったのか。首だけを地面から出したままの姿勢で、彼女の方からこう切り出してきた。
「……? ああ、なるほど」
(?)
「じゃあこうしましょう。私の頭の上にそのミカンを乗せてくれない? これならどう?」
(違う! そうじゃない! ぶつける事をためらってたワケじゃないんだッ……)
反射的に突っ込みたくなったが、必死にガマンする。ナルミは湧き上がる思いをこらえ、声を出さずに思案する。
(落ち着け……落ち着けよ。今ここで自分が荒れても、何も解決しない。そうだろ?)
まったく意図がつかめないが、彼女は自分の案内人だ。そして案内人が言うことに間違いはないのだろう。自分の考え方がこのミカンセイ空間ではまったく通用しないことは、身をもって理解してきたはずだ。
(考え方を変えるんだ。裏を考えようとするなよ、さっきまでそれで失敗し続けたんだろ!?)
ナルミは頭を抱え、自らの思考を矯正しようとする。そんな、目に見えて苦悩しているナルミを、彼女がじいっと見つめてくる。
「……なあ桃原君よ。初めて会っといてなんだけどさ」
思わぬ相手からの声を受け、ナルミの意識は思考の底から浮き上がった。
声がした方を向くと、土管に上半身を突っ込んだままの男性が、ナルミに向かって話しかけてきているようだ。片足で自分が入っている土管を外側から蹴りながら、こう続ける。
「たぶん頭で考え過ぎてんじゃねえかな。いや顔も見たことねえ奴が何言ってんのって思うかも知れんし、勘でしかないけどさ」
「考えすぎ……僕がですか?」
「たぶんだけどな。ここってさ、いつもいる世界とは違うだろ?」
「それは、はい。分かってます」
「分かってんなら、とりあえずやってみてくれよ。仕組みが違うんだから、やってみないと分からないだろ?」
男性の言うやり方は、ナルミには受け入れ難い考え方だ。失敗した時の保証がどこにもない。
普段のナルミなら、初対面の相手から何を言われようと信じたりはしなかっただろう。
(でもたしかに。僕が案内人だった墨染さんの言う事を疑って、違うことした結果こうなってしまっている。僕の考え方がミカンセイ空間にそぐわないのだとすれば、案内人である彼女の言うことを信じることこそが正解なのか……?)
自らの後頭部をかきながら、ナルミは考えを改めていく。
現状、取るべき選択肢は1つしかない。この事実を、ナルミはやっと自分に言い聞かせることが出来た。
空を見上げ、そして深呼吸をして。意を決したナルミは、ゆっくりと彼女に近付いていく。
そして、右手に持ったミカンをそっと、彼女の頭の上に乗せると――目の前の地面が爆発した。
「!? えぶっ」
予期せぬ出来事に反応すら出来なかった。ナルミは目の前で生じた爆風に呑まれ、あっけなく宙を舞う。視界が目まぐるしく変化し、空と地面の区別がつかなくなる。
クルクルクルクル回転しながら、思考もぐるぐる回っていく。
(は? え……は???)
何が起きたのか把握出来ぬまま、ナルミの身体は空を飛び――頂点に達した後、重力に引かれ始めた。ナルミに向かって、どんどん地面が近付いてくる。
ナルミに出来る事と言えば、迫る地面に恐怖し、目を強くつむることくらいだった。
とっさに受け身など取れるはずもなく、ナルミの身体は地面に叩きつけられた……かと思いきや。
「…………あれ?」
「――大変よく出来ましたっと。これでもう大丈夫だよ」
身体に生じるはずの痛みがない。耳元で聞こえる彼女の声に釣られて、ナルミが恐る恐る目を開ける。どうやら自分は、誰に抱きかかえられているようだ。
視界の端に映るのは、オレンジ色の布。
この布になにやら自分の知らない力が加わり、自分を支えてくれているらしい。オレンジ色の布はゆっくりと姿勢を変え、足からちゃんと地面に立たせてくれた。
支えてくれていたオレンジ色の布を目で追い、根元をさぐってみれば。
「なんっマフ、ラー?」
オレンジ色の布の正体は、彼女が首に巻いているマフラーだった。信じがたいことだが、どうやら自分は彼女のマフラーに抱きかかえられたらしい。
何が起きたのか分からない。
ナルミは目を白黒させ、まぶたを擦り、彼女を注視する。ナルミを助けた彼女はと言えば、自分の身体を手で払い、汚れを落としている真っ最中だった。
「……あれ。出てきてる……」
ナルミが呆け眼で彼女を眺めること数秒。今になって気がついたが、彼女が地面から抜け出しているではないか。
ナルミは彼女の全身をまじまじと見つめ直す。
彼女の身長はナルミよりも低く、黒い頭髪は思っていたよりも長かった。
ナルミが見つめていようとも、彼女はまったく気にしない。首を回したり、肩を回したり。身体をほぐすような動作を取った後、懐に手を突っ込んだ。
そして次に手を出した時には。その手の中にはミカンが握られていた。
「……なんでミカンなんだ……?」
ナルミが疑問を浮かべても、彼女はまったく気にしない。土管に上半身を突っ込んだままの男性に向かって、背伸びをしながら近付いていく。
そして平然とミカンを握り直し、頭上に振りかぶった。さらに片足を上げ、力を溜めた後。彼女は男性に向かって、思いきりミカンを投げつけた。
「くらえぇえええ!」
「ってえ!」
ミカンが土管に当たった瞬間――再び爆発が起こった。辺りがオレンジ色の光一色に染まる。
今回は爆心地から離れていたおかげか、ナルミは吹き飛ばされずに事を見守る事ができた。
(……ああ、なるほど。ミカンのせいでこうなるんだな……)
どこか達観した心持ちで、ナルミは爆発が収まるのを待つ。
時間にすれば10秒もかかっていないだろう。オレンジ色の光が収まる頃。土管は粉々に砕け散り、煙の中から1人の男性が出てきた。
男性は背中から腰辺りをさすりながら、彼女に向かって軽口を叩いている。彼女はすっとぼけた顔をしながら右手の人差し指をアゴに当て、空を見上げながら居直っていた。
「ってー……お前思いっきりやっただろ!?」
「……なんとなく? まあこれで元通りだし、ね?」
「こいつ……!」
ナルミは土管に突っ込んでいた男性を観察する。
下半身だけでは分からなかったが、どうやら自分と同年代の少年だったようだ。
「あー目が回る……お、あんたが今回の迷いビトか」
「え、あ……そういえばこうして面と向かって話すのは初めてですね。桃原成実と言います。よろしくお願いします」
「名前は知ってたけど……なるほど桃原って顔してるわ」
「どんな顔ですか」
少年はナルミに話しかけながら、地面に転がっていた梨を拾い上げた。
続けて肩を回している彼女の方を指差しながら、こう続けた。
「んじゃ、改めてよろしく。俺は高梨初。アイツの手伝いをしてる。案内人助手ってところかな」
笑顔で自己紹介を済ませるや右手を差し出し、ナルミに握手を求めてきた。あわててナルミも手を伸ばし、握手に応じる。
「あ、これは。どうも」
「いやーおかしな事になっちまって。色々大変だったな」
「(おかしな……)やっぱりさっきの爆発は異常事態だったんですか?」
「いや、あれはいつものこと」
「いつも爆発してるんですか!?」
「まあ……そうなんじゃないかな?」
「なら爆発はいつものコトだとして、土管に入ってたことが異常事態だったと――」
「まあ色々気になることはあるだろうけど……『細かいことはナシにしよう』ぜ」
ハジメはそう言いながら手に持っていた梨を投げてきた。思わずナルミがキャッチした瞬間、梨から緑色の光があふれ出す。
目の前が緑一色になり、ナルミは不思議な感覚に陥った。身体の向きではなく、本質の向きを正されるような、不思議な感覚だった。
自分が無意識に向いている方向を変えられ、疑いを覚えるハズの事柄をなぜか受け入れてしてしまう。
そうして、辺りをおおった緑色の光が収まる頃には。ナルミの中から先ほどの出来事に対する疑問が綺麗さっぱり消え去っていた。
「……どうよ気分は」
「不思議です。落ち着きました。これは一体……?」
「認識のズレって言うのかな。なんというかミカンセイ空間で案内人と迷いビトの関係を補助する力がある的な?」
ハジメは語る言葉が、先ほどまでよりも鮮明に聞こえてくるようになった。言いたいことはイマイチ伝わってこないが。
「――簡単に言うとね。案内人と迷いビトの関係を良くしたんだよ」
「うわっ」
背後から話しかけられ、ついナルミは驚いてしまった。いつの間にか彼女がナルミの背後に立っている。彼女はそんなナルミを見て、少し笑いながらこう続けた。
「基本的に案内人と迷いビトは初対面になっちゃうから。案内人が迷いビトに嫌われたらどうしようもないでしょ?」
「たしかに」
「でしょ? だから案内人には迷いビトから好かれるように補正がかかるの。けど、さっきまでイレギュラーなコトが起きてた。そのせいで私たちと桃原君との間に、認識のズレが起きてたの」
「んで、その認識ズレを補正し直すのが俺の梨の役目ってわけ。さっきよりはマシに見えてると思うけど、どうよ?」
彼女の言葉を引き継ぎ、ハジメが疑問の答えをくれた。
そう言われてみれば、急に彼女の態度が変化したように思える。喋り方や声の抑揚だけでなく、彼女から感じる雰囲気すらも違う気がする。まるで別人のようだ。
ハジメに関しても同様のことが言える。土管に上半身を突っ込んだいた時は怪しい人物としか思えなかったが、今では親しい友人のように感じてしまう。
ナルミは首をかしげてみたものの、内心では納得出来ている。納得出来てしまっている。
「すごいな……これが案内人の力というものなんですね。これは前提認識の統一、いや補正というからには前提認識の齟齬を補正している、ということでしょうか?」
「やっぱり理屈っぽい奴だったんだな桃原って」
「あ、すみませんつい」
「いやいいんだけどな……あー難しい事は分からんけど、まあ合っるんじゃないかな。知らんけど」
「高梨君バカだから、そういうコト聞いても答え帰ってこないよ」
「お前事実でももうちょっと優しく言ってくれよ……」
彼女がハジメの背中をノックするように小突いた。ハジメは罰が悪そうに首の後ろをおさえ、その様子を見て彼女は笑う。
最初に出会った時の不審さはどこへやら。ナルミが目前の2人から受ける印象が、今ではまるで違うものになっている。
少しも信用ならない不審者から、とても頼もしい案内人へと変化していた。
この世界は――ミカンセイ空間は。ナルミが今までいた世界とは仕組みからして違う。そう道家や墨染に教えてられてきた理屈が、実感を伴って理解出来た。
ナルミは2人に気付かれないように、少しだけ口を歪め、笑みを作る。
(ここは変わった場所だなんて、何度思ったか分からないけど……なんだか今までの常識で考えてちゃ、ダメなんだろうな)
ナルミはやっと納得出来た。ココはそういう世界なのだと。
「さーてさて? このミカンセイ空間が崩れるまでそんなに時間も無さそうだし……」
彼女は空を見上げ、それから右手を大きく前に突き出した。その姿勢から人差し指だけを上に伸ばし、こう続ける。
「まずは動いてみましょう!」