[完結]1-C 第9話 『ぶつけるだけと言われても』
ナルミは我が目を疑った。目の前にいる人物がとても奇怪に見えたからだ。
今自分の目の前には、丸い筒のような建造物に上半身を突っ込み、下半身だけを外に出している人がいる。おそらく男性だろうということは分かるのだが、ナルミには何が起きればこうなるのか見当がつかない。
男性の近くに落ちている梨がまた、この状況の奇怪さを際立たせてくる。
この男性は一体何をしているのだろう。なぜ梨が落ちているのか。ナルミにはまったく想像がつかない。
「……なんなんだこれは」
思わずナルミがもらした声に、男性が反応した。
「! おい! 誰かいるんだろ!?」
男性は上半身をコンクリート製らしき丸い筒に突っ込んだまま、下半身だけをバタつかせる。陸上でバタ足をしているようで、なんとも見苦しい光景だ。
ついついナルミは後ずさりしてしまう。
「いやこれがな? ココのミカンセイ空間に着いた瞬間こうなってんの! いやマジでビビったわー……おい、聞こえてる?」
(……なぜだ)
男性は丸い筒状の建築物に上半身を突っ込んでいる。ぴたりとはまり込んでいて、自分では抜け出せないのかもしれない。
ならばなぜ、男性の喋る声が聞こえるのだろう。コンクリート製の建築物かと思っていたが、もしかすると特別声を通しやすい素材で出来るているのだろうか。
(いや、いや待て落ち着け。たぶんこの考え方からして間違っている。混乱するな、受け入れろ……)
ナルミは顔に手を当て、あわてる思考を落ち着けようとした。
もしかしたら、ミカンセイ空間ではこんな事が普通に起こり得るのかもしれない。
(これはもしかすると、僕の認識がズレているのか? ミカンセイ空間では僕の常識は何の役にも立たないってさっき学んだだろ!? そうだ、落ち着けナルミ。僕からはこんなふざけた格好に見えているだけで、相手からしたらいたって真面目な可能性も、いや待てよ……)
「……戸惑ってるみたいね」
混乱する思考の最中、話しかけてくる声があった。
突然背後から話しかけられ、ナルミの意識が引き戻される。
驚きながら振り向いた先には、1人の少女がいた。
「なっ!? ……なん、だって……?」
「驚くのも無理はないわ。落ち着けと言っても、無理な話だと思うもの」
彼女は至って冷静に、ナルミの動揺を見抜く。そして落ち着かせようとしてくる。
「でも出来るだけ。出来るだけ落ち着いて聞いて欲しい。私と……そこの土管に首突っ込んでるバカは怪しい者じゃないわ。あなたの味方よ」
「おいこら! 今バカっつったろ! つか俺今土管の中にいんの!? マジで!?」
彼女からの暴言を受け、男性は足を大きく動かした。抗議のつもりなのか。
(そうか、アレは土管なのか。はじめて見た)
そしてナルミも新たな知識を得た。今まで現物を見たことが無かったが、どうやらあのコンクリート製らしき丸い筒状の建築物は土管らしい。
分からない事が減ったのはいいが、今困っている点は土管についてではない。
「あの、えっと……どう言えばいいのか……」
「色々と不都合な事が起きてるみたいなの。異常事態と言ってもいい。普段私は迷いビトの案内人を専門にしているから、こういったコトには慣れてないの。道を無くした挑みビトの案内をするなんてこと、今までなかったから」
彼女は男性に構わず、ナルミに向かって話しかけてきた。
その間にも、ナルミの脳内には疑問ばかりが浮かんでくる。
「前任の案内人との引き継ぎも上手くいってないみたいだし……おそらく前任の案内人が離れている間だから? 次の案内人に担当が変わる間に何かトラブルが起きたんじゃない?」
「え、ええ。その通りです……」
「だとすれば、私たちとしては打つ手がないわね。どうやら、不完全な形でこのミカンセイ空間と繋がってしまったみたいなの。こうして困っていたところよ」
そこまで告げた後、彼女はやれやれといった風にため息をもらした。
(案内人……前任……そう言えば墨染さんが言っていたな)
ここでナルミは『ついた先には、必ず誰かがいる。そいつがお前の案内人だ』と、墨染が言っていたことを思い出した。そうだとすれば、今目の前にいる2人が自分の案内人なのかもしれない。
ナルミは内心の動揺を出来るだけ表に出さないように。努めて冷静に、目の前にいる彼女に問いかけていく。
「そう、ですね……僕は墨染清明という案内人に、ココに落とされました。そして落とされたココで会った人が、僕の案内人だとも言っていました」
「なるほど。墨染さんだったのね……それで?」
「あなたが……僕の案内人なんですか?」
「その通りよ、桃原成実君。私があなたの案内人」
「やっぱり、そうなんですね……」
失礼かもしれないが、出来れば違っていて欲しかった。
なぜなら新たに出会った案内人は、以前出会った誰とも違ったから。彼女はあまりに違いすぎて、ナルミにはついていける気がしないのだ。
違うと言っても彼女が自分と同年代の少女だから、というわけではない。今まで出会った誰よりも彼女は異様で、その異様さはナルミの許容範囲を大きく超えたものだったから。
ナルミには彼女をひと目見た瞬間から、どうしても気になってしまう点がある。それは……
「……あのですね」
「なにかしら?」
「なんで……」
「なんで?」
「なんで埋まってるんですか?」
彼女が地面に埋まっている事。
彼女がナルミに話しかけてきてからこちら。彼女はずっと、身体全体を地面に埋めたままなのだ。
「さっき言ったでしょ? 異常事態のせいよ」
「はあ……確かにそれは、異常事態ですね……」
地面から首だけを出している状態の人間と、よくもまあ冷静に話すことが出来たなと、ナルミは自分を褒めてやりたくなった。
「さっそくで悪いんだけど、1つ頼みがあるの」
「頼み? なんでしょう」
「そこに、ミカンが落ちてるでしょ?」
「えっああ……ありましたコレですね」
彼女に言われて辺りを見回せば、たしかに1つミカンが落ちていた。ナルミはミカンに歩み寄り、右手に掴む。
そして彼女にミカンを差し出すと、彼女がとんでもないことを言い出した。
「そのミカンを私にぶつけて欲しいの」
「……は?」
「その、落ちてたミカンを私にぶつけるだけでいい。簡単でしょ?」
「ぶつけるだけと言われても……」
「ああ出来るだけ優しくね? ほんの少し触れるだけでいいから」
地面から首だけをだしている人がいることも。上半身を土管に突っ込んだ人がいるのも。自分が原因で起きた異常事態のせいだと言うのなら、納得しよう。
だがこのミカンは、この落ちているミカンは何なのか。
そしてこの落ちているミカンを、なぜ彼女にぶつけなければいけないのか。
ナルミには、まったくもって理解出来なかった。
「こ、このミカンをぶつけるという行為に、どんな意味が?」
「ぶつけてくれればすぐに分かるわ……時間も差し迫ってきているのは知っているでしょう?出来るだけ急いで」
彼女は答えてくれない。ナルミに理解を求めるつもりはないらしい。
「大丈夫。私たちを信じて」
「そうそう。こんな格好してるけど、結構辛いんだぜこれ。だから頼むわ」
目の前にいる少女は、顔だけを地面から出して埋まっている。すぐ近くには、土管に上半身を突っ込んだ男性もいる。話を聞く限り、どうやらこの人たちが自分の新しい案内人らしい。
ナルミは思わず天を仰いだ。
(どこをどう信じればいいんだッ……!)
この人たちについていって、本当に大丈夫なのだろうか。
だが疑問に思ったところで、どうやら他に道はないらしい。
道を間違え、反省し。心機一転してなお――桃原成実の苦難は続く。